イスラエル観光の最後は、ガラリア湖の周辺です.
日本に帰る前日、ツアーが組まれていました.
会議に参加した人のうち、17人が参加.

ガイドの男性が一人つき、内容の濃いツアーでした.
内容が濃いというのは、このガイドさんが、観光ガイドはもちろんイスラエルの成り立ちから歴史的背景、宗教の話、彼の生い立ちの話など、10時間くらいの間ずっと話し続けたからです.

ガラリア湖周辺は、イエス・キリストの生誕地や若いころに宣教した地であるため、クリスチャンの方たちが多く訪れます.
だから、自然と観光ガイドの内容もクリスチャン向け.
「ほら、聖書に出てくるあのくだりの、あれはなんでしたっけ? わかる人~」
「はい!! 〇〇です!!」
「そう、その通り~~!!」
というようなやり取りが多く、私は殆どついていけず・・・

でも、ガイドさんの話の多くは知らなかったことが多く、すごく印象に残りました.
ちょっと長い記事になりそうですが、書き記したいと思います.

エルサレム近郊にあった会議場からバスで出発し、北上しました.
ガラリアというと湖を思い浮かべますが、本当は北部の地域一帯をさす、ガラリア地方のことだとか.
世界で最も海抜の低い場所にある淡水湖がガラリア湖です.
海抜が低いと気温が上がるので、このあたりは死海の付近と同じくトロピカルな雰囲気です.

ナザレを通り過ぎて、ガラリア湖を見下ろす高台にある、山上の垂訓教会に着きました.
イエス・キリストが人々に教えを説いた場所だそうです.
ガイドさんによると、イメージではキリストが山の上から下を見下ろす形で人々に話しかけたようなものが多いですが、本当は山の下から、斜面にいる人々に話したのではないかとのこと.
ちょうど、すり鉢型の演劇場のステージに立つような形だったらしいです.



教会自体はイタリアの建築家が建てた物なんですって.



中は珍しいですが、円形の部屋の中央に祭壇があり、信者の方は取り囲むように座るようです.

 

ドーム型の天井が美しい教会でした・・・

 


そこからバスを走らせ、次に訪れたのはペテロ召命教会.
イエス・キリストが十字架にかけられたのちに復活した場所の一つです.
キリストの弟子たちの多くが漁師だったので、復活した際も漁をしていたそうです.



観光客の皆さん、湖の岸辺で水を触っていました.



教会の中には、キリストがこの上に教会を建てるようにと言ったとされる岩がありました.




次に訪れたのは、カペナウム.
イエス・キリストが住み着いて、教えを説いた漁師町です.

 

ここの目玉は、シナゴーグ.
ユダヤ教の祈りをささげる祭壇が設けられる建物です.
ガイドさんの話では、車輪のついた台を中央に出して、生贄の動物をささげる儀式が行われたとのこと.
でも、儀式がない時は台を移動させ、公共の施設として利用したとか.
キリストのような宣教師の布教の場でもあったのですって.



表に見える白っぽい建築物は、後の時代に移設されたもので(と言っても、かなりの大昔に)、下に見える黒っぽい土台がキリストがいた時代のものだそうです.



漁師町の住居跡も残っています.

 

それから、高足の教会の下にあるのは、ペテロの家.
ペテロの生家に、キリストも住み込んでいたとか.
2枚の写真を合成してみました.



中央の小さな円形の壁を囲むように、2つの六角形の壁が作られています.
もともとのペテロの家は中央の小さな円形の建物で、周囲のはキリストの死後に信者たちがこっそり集まって祈りをささげるために囲ったものなんですって.
よく理解できませんでしたが、6角形というのは意味のある形だそうです.



その後はガラリア湖クルーズをして移動し、岸辺で「ペテロの魚」という揚げたテラピアのお昼ご飯を頂きました.
ワインでフラフラになって写真は忘れました


 

 



それから、ヨルダン川の河畔で洗礼の儀式(バプテスマ)を行っているところを見学しました.



女性が男性に手をひかれて川に入っていきます.



祈りの言葉を唱えて・・・

 

この後、女性は背中を支えられて仰向けで寝るような格好で川のなかへすっぽりと入りました.
岸辺では拍手や歓声があったので、堅苦しくない雰囲気なのかもしれませんが、なんだか申し訳なくて入水しているところは撮りませんでした.
周りでは洗礼をうけない人も、川の水を触って十字を切っていました.

 

カワウソ(?)のような動物がたくさんいました.



お土産に買った魚. 
キーホルダーにつけるのかな.

 


途中にバスから見たゴラン高原.
中東戦争の際には戦地となり、かなり危険な場所だったそうです.

 


ガイドの男性は子供時代をアメリカ合衆国で過ごしたそうです.
その間、何がつらいってクリスマスに周りが祝っているのに自分の家族は祝わなかったことだと言っていました.

イエス・キリストはもともとユダヤ教徒で、彼の教えもベースはユダヤ教.
それを少し変化させたものだったとのこと.
そして、当時はキリストのようなミラクルを起こす宣教師が何人もいたとか.
大勢の中から特別な存在として、大きな宗教の祖になったのは、ひとえにパウロの宣伝能力のおかげだとガイドさんが言っていました.
彼が成功した理由は、キリストをメシア(救世主)だと信じさえすれば、あとの宗教的習慣やもろもろは何をやっても良いとしたことだと.
クリスマスもイースターも、本来は別の地域(?)の習慣だったとか.
だからこれほど世界に広まったのだと、ガイドさんは考えているようです.
きっと、クリスチャンではないのにクリスマスを祝う日本のようなスタイルは、彼にはまったく理解できないだろうな~と思いながら聞いていました.

で、彼の子供時代の話に戻りますが、アメリカではマイノリティー気分を抱えて過ごしたんですって.
それで、イスラエルに移って何が嬉しかったって、クリスマスを誰も祝わないことだったとか.
ここでは僕はマジョリティーなんだ!と感じたそうです.
ちなみに、イスラエルの(ユダヤの?)人々の95%が純粋なユダヤ教徒、5%はユダヤ教徒だけどイエス・キリストがメシアだと信じる人なのだそうです.

それ以外に、イスラエル国の成り立ちや、アラブ諸国との関係についても、彼なりに公平に語っている様に感じました.
片方のサイドの話なので、ここでは書きませんが.

いろいろと考えさせられるツアーでした.

やっぱり長い記事になっちゃいましたね
イスラエルの話はこれくらいでしょうか.
仕事の面ではもちろん、それ以外でもとても有意義な出張でした.



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