昨日は遅番。
仕事をしながらテレビで終戦記念日のニュースが多く流される。
戦争体験者が少なくなってきた。
私達世代は戦争体験者から生の声を聞いている。
私達世代は、講義や講演以外の生活の中で話しを聞いている。
私達世代が語り継がなければいけないのに…
私は、パラオ、東南アジア、中国、硫黄島、沖縄などの戦地の話しを聞いた。特攻崩れ、予科練崩れと言われる人達の話しを聞いた。
空襲の話しを聞いた。
戦後の動乱の話しを聞いた。
でも、それを誰にも話していない。
東南アジアからの帰還兵の人は「鉄砲の弾は前から飛んでくるとは限らんぞ。後ろから飛んでくるんや。」
パラオの帰還兵の人は「100m先に敵が見える。お互いに目が合うと顔が引きつる。お互いに怖いんや。」
中国からの帰還兵の人は「逃げる時、死体の服を剥ぎ取り、死体の下に潜って夜を待つんや。絶対に喋ったらあかん。殺される。」
硫黄島からの帰還兵の人は「あいつら何やったと思う。タコツボ(兵士が隠れている穴)の上をタンク(戦車)で踏み付けて生き埋めにするんや。」
沖縄からの帰還兵の人は「俺は死んだら地獄に行く。」
私の祖父は死ぬまで絶対に戦争の話しはしなかった。いや、今思うと出来なかったと思う。
人から聞いた話しでは、祖父は名古屋の大空襲の時、働いていた工場が被害にあい、一緒に働く仲間を防空壕に避難させたが、その防空壕の中に祖父は入れてもらうことが出来ず、防空壕の横で頭を抱えて蹲っていた。空襲が終わり、防空壕を覗くと…
直撃弾を受け、防空壕の人達は全滅。生き残りは祖父だけだったそうだ。
祖父は裸足で血だらけの藁草履をぶら下げて帰ってきた。祖母が「何やそれ?」と聞くと祖父は「弁当箱や。」と言って寝転がり寝てしまったそうだ。たぶん、気を失ったと思う。
私の先輩の父親はA級戦犯だった。東京裁判では死刑にならなかった。そして、最期まで戦争を語らなかった。
裕仁天皇(昭和天皇)は、ある時、侍従に言ったそうだ。「何故、朕(チン    私)が靖国へ行かないかわかるか?」「それが朕の心だ。」と言ったそうだ。
戦争は終わっても戦後は終わっていない。
政治家も私達も歴史を見直し、考えなくてはいけない。我が子達が大人になっても戦後であってほしい。
第二次大戦後、戦争や紛争に参戦していないのは日本とブータンだけと言われている。
争いの無い世の中になってほしい。
切に願いたい。