今日 七夕の日を無事に迎える事が出来ました。
1年前の今日 朝の9時に みどちゃんは親族一同に見送られ 手術室に繋がる自動ドアの向こうに吸い込まれる様に 足を踏み入れました。
半泣きになりながら 振り返ると心配そうなお父さん 泣きそうなお母さんに
涙を拭ってる旦那が見えました。



手術室に繋がる廊下は 青くて静寂で荘厳で
私は 一瞬 神様に繋がる道があるとしたら
こんな青の世界なんじゃあないかと感じました。
怖くて…怖くて…
勝手に ポロポロと涙が溢れて止まらなくなって
そんなみどちゃんの背中を 看護婦さんは優しくさすってくれました。



廊下で署名を書かされるのですが お隣の手術室の前では 旦那さんと変わらないぐらいのお年の男性が ぴくりともせずに 堂々とサインしていて すげー腹が座ってるって思った事を覚えてます。



手術は6時間を超える大手術だったそうです。
手術後 強制的に起こされるのですが
目を覚ますと 先生が全部悪い所取ったから大丈夫やってと 母が泣きながら言ってくれて
旦那も 飲む抗がん剤だけやから 頭は はげないぞって報告してくれました。



息子は先生に言って早退させて貰い 娘も学校終わりに来てくれて
娘いわく その時のICUでの私は 顔も浮腫み 大変な常態やったそうです。



手術前には Kちゃんが 千羽鶴届けてくれたり
全国から お守りだとか お花のリースだとか ニカちゃんが食べたたこ焼きやら ニカ千の可愛い絵を描いてくれたり
色んな励ましのサプライズプレゼントが届きました。
どんなに励まされたか分かりません。
本当にありがとうございました。



思い起こせば チキンな私は入院日前日の晩からあまりにもの恐怖で 過呼吸を起こし 急遽 病院に担ぎ込まれました。
そんな チキンな私を同室のおばちゃんらあが とても励ましてくれました。
それからの退院するまでの日々は
毎日の外科医の先生の完治したよー的な励ましや おばちゃん達からも励まされ
沢山 管は繋がってたけど そんなに辛い記憶はありません。
ただ 退院 前日に外科医の先生のリンパに飛んでる…
残念ですが ご家族の方を呼んで下さいって少し血相を変えて ベットのカーテンを開けた姿が忘れられません。



超早期から ステージ3に突き落とされて
4回の抗がん剤 4回の入院
本当に辛かったです。
グロくて ここには書けない様な辛さ
もう 生まれて初めて味わった苦しみ
2度とごめんです。
毎回毎回 千羽鶴と共に入院して きっと良くなるって
毎日 仲良くなった同病のおばちゃんらあと
励ましあって乗り越えました。
お母さんが毎日来てくれて 入退院繰り返した5ヶ月 ずっと ご飯も 何もかも 3個のお弁当も 家事も全てやってくれて
いったん 兵庫に帰った後も 何回も来てくれました。
今 ようやく 家事も出来て 一人で ふらふら買い物にも行けて 美容院にも行ける程髪の毛も生えてきました。









気持ちは前向きに…
分かってはいるけど イレッサもタルセバも使えない私は
毎日 毎日 怖いです。
これも みどちゃんの運命なので 強く生きるしかないのです。



今日は 主治医の診察でした。
取り合えずクリア出来ました。
1年前の七夕の日
みどちゃんの手術が上手く行きます様にって 皆様がお祈りしてくれた事 一生忘れません。
1日1日を 大切に生きていこうと思います。
時にはへこたれながら 泣いちゃう時もあるやろうけど
まずは ニカちゃんに逢えるって信じて 8月の熱い夜を目標に生きぬこうって思っちゅうよ!