釣りは命と戯れる行為  | 電動自転車と釣行の日々

電動自転車と釣行の日々

釣行の記録
電動自転車は、BSアルベルトe、
釣り・・クロダイ夜釣り、延竿でハゼ釣り。ルアー釣り
断酒。
my car →スバルフォレスター

釣りをしていて思う事がある。


釣りとは、命と戯れる(もてあそぶ)行為じゃないか、と。


魚は別に、釣られるために生きている訳じゃない。


釣りはおもしろいんだけど、魚の命と引き換えということもある。


釣り場でよく見る光景は、魚が陸に放置してある、というもの。


多分、想像するに、魚釣った→外道だった→放置


又は、魚釣った→とりあえずキープ→持って帰るつもり無いから放置


こういうの、でかい魚が放置してある事はほとんど無い。


たいてい小さい魚ばかり。


小さい魚だから放置して死なせてもいいということだ。


小さい魚=感情も無いし、ちっこいし、命の価値があまり無い→放置OK


大きい魚=血もいっぱい出るし、なんかかわいそう、命の価値が多少ある→放置NG


そういうことだな。


メダカ飼ってて死んでも泣く人はあんまりいないけど、


飼ってた愛犬が死んだら泣くよね。


犬猫=感情があるし、なつくし、命の価値がとても重い、人間同等


メダカ=感情も無い、ちっこい、なつかない、たいして命の価値はない


ドウブツアイゴなんて、人間のエゴ以外の何者でもない、


人間が勝手に命の価値をランク付けしてるんだから。



釣りの話にもどるけど、釣った魚がハリから外れて、取れないところに落ちることはある。


だが、魚を故意に放置するようなことはしたくないな。


魚釣りはスポーツだとか、自然とうんぬんとかいうけど、


それ以前に命と戯れ、もてあそぶ行為に変わりはない。


キープするなら、美味しく頂く。


リリースなら手早く。


釣り場に魚を平気で放置する輩にかぎって、犬猫を家族の一員とか言ってたりしてな。。