お久しぶりの更新となってしまいました
今回のテーマはタイトルからお察しの通り、
ペットに関わるお仕事についてです!
私自身ワンコとニャンコと暮らす身でとても身近な話です。
先日、こんな話が耳に飛び込んできました。
それは、
軽井沢にあるペットブリーダー会社が潰れてブリーダーが夜逃げし、犬猫が百頭近く路頭に迷ってしまっている、というもの。
正直、またかと思いました。
私の住む地域は田舎なので人里離れた山中に犬や猫を繁殖させる施設を置く会社が少なからずあります。そういう会社の内必ず倒産してしまう会社があり、行き場を失った犬や猫が保健所に引き取られていく。良くて県の愛護施設に引き取られても里親が見つからなければ、その末路は想像に難くないでしょう……。
こういう話を聞くに付け、深い悲しみと憤りを覚えます。人間の身勝手な都合で死んでいくのは犬や猫だから。
だからこそ、
個人的な主義であるが、>ペットショップで命を販売する事に嫌悪感を覚えます。
もちろん、ペットショップでペットと出会い購入された方々を非難してはおりません!!
論点はそこではないのです。
なぜペットショップやそれに関わるブリーディングに嫌悪感をおぼえるのか論理的に説明できるかと問われたら、難しいと言わざるを得ない。そもそも、理屈ではない感情からくる気持ちであるからだ。しかし、それを感情論でなく論理的に説明できないとなぜ殺処分が無くならないのか、なぜ殺処分0を達成できないのかが見えてこないと思う。
少しだけ広い視野に立って考えてみたいと思う。
現代の生活は市場主義が世界を支配していると言えると思います。あらゆるものがカネで取引されているし、なんでも商品になりうる時代である。
この点に関しては疑問を挟む余地はないと思います。アメリカの不妊に悩む裕福な夫婦はお金を支払いインドの女性に代理母として出産を依頼する。ちょっと前ではうら若き少女が自身の初夜をオークションに出品し話題になった。貧しい人が肝臓や網膜を売るなんていう怖い話もある。
例を挙げたらきりがないほどです!
上記に挙げた特殊な商取引の例も、市場の論理に照らせば何の問題もないんです。それを売りたい人と買いたい人がお互いに納得して双方にメリットを得ているからです。極論だが、明日の食べ物を買う余裕もなく現金収入源もないとき、困り果て最早自分の肝臓を売るしか生きる手段がないと知ったら、その時一旦道徳は忘れてしまうかもしれないと思います。肝臓を売って生き延びるか、餓死するかの瀬戸際では道徳を気にできるかどうか私には自信がありません。
市場の論理は道徳を追い出してしまいます。というか、道徳的観念は加味されないのです。
しかし、何かおかしいと感じる人が出てきます。経済学の視野から覗いて問題が無ければそれでいいのか?と私個人はそう疑問に感じます。
ペットの販売と繁殖についても同じ>ジレンマが生まれるのです。
犬や猫をペットとして育て売りたい人と買いたい人がお互いに納得すればその取引自体は何ら問題はありません。それが市場の論理です。
しかし、扱う商品が生き物である以上常に道徳的問題を抱えたまま商売をしなくてはならないのです。
何故かと言えば、
それが商売である以上、ロスという考えが出てしまいます。生産したものが100%売り切れるなんていう商売はありえないはずです。
問題の核心はそこにあると思います!
ペットショップでいうロスとは…想像したくもありませんがつまりそう言うことのはずです。県の愛護施設で働く友人曰く、施設で世話をする犬や猫の出処は何も家庭だけに限らないそうです。でもそういう事実は伏せられ世の中に知られることはありません。
店頭で売れ残った生き物をどうするのか
自分たちで彼らが亡くなるまで世話をする覚悟で繁殖し販売するのか
そういった道徳的問題をクリアにしないまま商売をしているのではないだろうかと邪推してしまいます……
そして、これは何もペット産業に携わる企業のみに負う問題でないです!!
市場の論理が適用されるのなら、ペットに関わる商売を支えているのは私たち消費者ひとりひとりです!!
ハーバード大学教授で政治哲学者のマイケル・サンデル氏曰く、
「結局のところ市場の問題は、我々がいかにして共に生きたいかという問題なのだ」
と言っている。
私たちが生き物とどう共に生きていきたいのかを改めて真摯に考え直さなくてはいけない。
ペットにまつわる悲しい事件は人の命に対する姿を暗に社会に反映しているのだと思います。


今回のテーマはタイトルからお察しの通り、
ペットに関わるお仕事についてです!
私自身ワンコとニャンコと暮らす身でとても身近な話です。
先日、こんな話が耳に飛び込んできました。
それは、
軽井沢にあるペットブリーダー会社が潰れてブリーダーが夜逃げし、犬猫が百頭近く路頭に迷ってしまっている、というもの。
正直、またかと思いました。
私の住む地域は田舎なので人里離れた山中に犬や猫を繁殖させる施設を置く会社が少なからずあります。そういう会社の内必ず倒産してしまう会社があり、行き場を失った犬や猫が保健所に引き取られていく。良くて県の愛護施設に引き取られても里親が見つからなければ、その末路は想像に難くないでしょう……。
こういう話を聞くに付け、深い悲しみと憤りを覚えます。人間の身勝手な都合で死んでいくのは犬や猫だから。
だからこそ、
個人的な主義であるが、>ペットショップで命を販売する事に嫌悪感を覚えます。
もちろん、ペットショップでペットと出会い購入された方々を非難してはおりません!!
論点はそこではないのです。
なぜペットショップやそれに関わるブリーディングに嫌悪感をおぼえるのか論理的に説明できるかと問われたら、難しいと言わざるを得ない。そもそも、理屈ではない感情からくる気持ちであるからだ。しかし、それを感情論でなく論理的に説明できないとなぜ殺処分が無くならないのか、なぜ殺処分0を達成できないのかが見えてこないと思う。
少しだけ広い視野に立って考えてみたいと思う。
現代の生活は市場主義が世界を支配していると言えると思います。あらゆるものがカネで取引されているし、なんでも商品になりうる時代である。
この点に関しては疑問を挟む余地はないと思います。アメリカの不妊に悩む裕福な夫婦はお金を支払いインドの女性に代理母として出産を依頼する。ちょっと前ではうら若き少女が自身の初夜をオークションに出品し話題になった。貧しい人が肝臓や網膜を売るなんていう怖い話もある。
例を挙げたらきりがないほどです!
上記に挙げた特殊な商取引の例も、市場の論理に照らせば何の問題もないんです。それを売りたい人と買いたい人がお互いに納得して双方にメリットを得ているからです。極論だが、明日の食べ物を買う余裕もなく現金収入源もないとき、困り果て最早自分の肝臓を売るしか生きる手段がないと知ったら、その時一旦道徳は忘れてしまうかもしれないと思います。肝臓を売って生き延びるか、餓死するかの瀬戸際では道徳を気にできるかどうか私には自信がありません。
市場の論理は道徳を追い出してしまいます。というか、道徳的観念は加味されないのです。
しかし、何かおかしいと感じる人が出てきます。経済学の視野から覗いて問題が無ければそれでいいのか?と私個人はそう疑問に感じます。
ペットの販売と繁殖についても同じ>ジレンマが生まれるのです。
犬や猫をペットとして育て売りたい人と買いたい人がお互いに納得すればその取引自体は何ら問題はありません。それが市場の論理です。
しかし、扱う商品が生き物である以上常に道徳的問題を抱えたまま商売をしなくてはならないのです。
何故かと言えば、
それが商売である以上、ロスという考えが出てしまいます。生産したものが100%売り切れるなんていう商売はありえないはずです。
問題の核心はそこにあると思います!
ペットショップでいうロスとは…想像したくもありませんがつまりそう言うことのはずです。県の愛護施設で働く友人曰く、施設で世話をする犬や猫の出処は何も家庭だけに限らないそうです。でもそういう事実は伏せられ世の中に知られることはありません。
店頭で売れ残った生き物をどうするのか
自分たちで彼らが亡くなるまで世話をする覚悟で繁殖し販売するのか
そういった道徳的問題をクリアにしないまま商売をしているのではないだろうかと邪推してしまいます……
そして、これは何もペット産業に携わる企業のみに負う問題でないです!!
市場の論理が適用されるのなら、ペットに関わる商売を支えているのは私たち消費者ひとりひとりです!!
ハーバード大学教授で政治哲学者のマイケル・サンデル氏曰く、
「結局のところ市場の問題は、我々がいかにして共に生きたいかという問題なのだ」
と言っている。
私たちが生き物とどう共に生きていきたいのかを改めて真摯に考え直さなくてはいけない。
ペットにまつわる悲しい事件は人の命に対する姿を暗に社会に反映しているのだと思います。





是非
