スマホでは「今日あった事をブログに書きましょう」と毎回出ますね。
昨日はうれしい報告をさせてもらいました
が、今日はあえて無題で。
今日は、県で「医療的ケア児者・重症児者の会が発足し、その第一回の総会がありました。
普段仕事以外は通院とリハビリに追われる中、情報の不足を実感し、似たような状況の方との接点が少ない事からの孤独感も感じていたので、是非にと出席し入会してきました。
そこでは、私が今の職場に就職する前に約一か月ほど入院していた時に、廊下でうたびに「ちーちゃん可愛いー
」を毎回言ってくれるお母さんがいました。 部廊屋も違うので廊下で会うときしかないのですが、とても印象に残っています。
そして退院してから、約一年前の小児慢性特定疾患児の交流会で再開した以来でしたが、変わらず優しい笑顔をされていました。
今回はご主人と出席されていたようだったので「今回子供さんは病院でお留守番ですか?」と聞くと「実は亡くなったんです」と返答が
言葉を失いました。
子供さんは4歳を迎え今年初めに亡くなったそうです。 まるで4歳には見えないほど本当にしっかりしているんです。廊下であって、挨拶やちょっと立ち話をするだけでもそんな風に感じさせるお子さんだし、愛情いっぱいで温かなやさしさを醸し出しているそんなお母さんです。
私は、涙をこらえるのに必死でしたが、お母さんの表情が本当にいい表情だったのが印象的です。
「4歳までしか生きられなったけど、すごく私たちが学ばせてもらったなと思っているんです。だからそれを無駄にしない様にしないとなとおもいます。お母さんが悲しい顔をしていると子供にもつたわるじゃないですか
」と。
今回総会に出席していた方は親御さんはもちろんの事当事者の方もいます。
バギーに乗り、チューブ類をつけている子たちも多い中、ちーちゃんは現在歩行訓練中であるものの、バギーまでは至らないのでベビーカーで、装具を履かなければわからないし、水頭症があってシャントが入っていて、定期的に導尿と浣腸が必要な事もわかりません。
保育園も院内保育園なので、普通の子たちと一緒に混ざり普通に遊んでいます。
だから、私も時々。ほんの時々だけれど、なかなか気の抜けない持病がありそれが難病であることの意識が薄れる事があります。
難病の方がすべて病状が重いわけではないし、その方その方で状況・病状は違うけれど「あー、そうだった。障害がある子を持つ、難病がある子を持つ、医療ケアが必要な子を持つという事は、「死」というものが普段からついてわまるんだよな」と改めて思いました。
もちろん、普段の生活の中ででも事故にあったり突然病気になったり、死は誰にでも訪れるものです。
でも、医療的ケア児・重症ケア児の様な「スペシャルケアチャイルド」(海外では障害児をそう呼ぶそうです。素敵ですね
)を持つと、更にもっと身近に感じます。
自分がちょっと目を離してしまったら、自分が処置を一回だけ抜いてしまったら・・・。
きっと考えればきりがない。そのくらい。毎日毎日気を張って、神経すりへらしています(まだ、私がうまく資源を活用できていないだけかもしれませんが)
今日、お会いしたお二人。もちろん気を張っている部分もあるでしょう。それでもあの笑顔を出せるのは、本当に気持ちの中で少しずつ整理をしていたり、ちゃんと現状を受け入れてきたり、しっかり向き合って来たり、感謝の気持ちを忘れずに毎日たくさんの愛情を注いだ結果なんだろうなって感じました。
暗くなるなとは言わないけれど、普通よりも「死」というものが早く来る可能性があること、忘れちゃいけないんだよな
今、うちは荷物にヘルプマークつけてます。
世間では賛否両論あるようだけれど、これは実際に当事者、または家族にならないとわからない事です。
時々出席している難病疾患の交流会でも「周りに伝わりづらくて、怠けているとしか思われない」という方、これ結構います
たぶん自分が逆の立場なら、もしかすると「怠けてる
さぼってる
」と思っちゃうかもしれない。
でも、やっぱり必要
そして、何より「他と違っていい」と周りが少しずつでも思えるようになって、ちゃんと「耳を傾け聴くいて、わかろうとする」事をして頂きたいです。
ちょっと、無題と言いながら話がそれてみたりしたけれど、ごめんちゃい