不必要なものを愛しんでいます。
それは、自分と似ているからです。
それでも誰かに必要とされたいから、私はそれらを愛さずにはいられない。

世の中は実用的な存在で溢れていて、何だかそればかりが重宝されている気がする。
何かにつけて急き立て、そうして何か始めたと知るやいなや、すかさず誰かが水を差すが、その割に幕を引くことには厳しい目を向ける。
重苦しい気圧。
慢性的な偏頭痛のような鈍い痛み。
がんばることを強要されて、素直になれなくなった可哀想なみんな。
誰かの決めた、非現実的な当たり前に向かって、一生懸命照準を合わせようとしている。
私も水を差してみる、足並み揃えて皆でそこまで行くのはきっと不可能だよ。
平均という言葉の意味を考えて、と。
何者にもならなくていい。
"当たり前"ではなくとも、あなたが、"あるがまま"生きていれば、それがあなたのオリジナリティだと私は思う。
"ありのまま"ではなく、"あるがまま" で いい。
"ありのまま"なんて元々大したものがなければならないようで、私たちはまた自分探しという名の"格好いい自分"探しを始めるに決まっている。
でも、そんな風に声を張り上げてみせたところで、私個人のバックグラウンドと照らし合わせ、鼻で笑われるだけだろうな。
踊らされて痛んだ脚を休ませるのが私の膝でも、それでもいいよ。
滴る血や涙を私の服で拭ってもいいよ。
出来ることなら、そんなあなたたちを愛したいと思う。
これが私の祈りと願い。

非実用的な物に目を留めて、価値を感じて、ゆっくり穏やかに、そんな風に過ごしていけたらもっと違う毎日が待っているかも。
相対評価のマインドが根付いた私たちにとっては、とても難しいことだけれど、自分を認められたら他人にも優しくなれると信じている。


こんな私です。
問題なく人と関わり、働くことが出来る人を実用的なと形容するなら、そうではない人の日々の覚え書きです。