私は頭を癒す事で必死でした。
不安や心配、嫉妬実際起きてはない事に対しても
過剰に心配したり
とにかくその不安達を消したくて
誰かを疑いまくったり、
そんな誰も信じられない、不安だらけな日々を送って
でも信じたくて疑って確かめて現実の証拠と真実だけを集める事をしてたら
結局不安は絶えず、信じる事もできなくて
私の身が持たなくなった
それで、どうしたら疑わずに信じられるか考えた時
私が疑う時って決まって言う言葉がある事に気づいた。
それは『私だけじゃダメなんだね』。
「私だけじゃなくて他の人にも満たしてもらわないとダメなんだね」
「私のことが好きだけど、つい他の人にも好意を持ってしまうことがあるんだね」って
でその本音は『私だけをみて』だった。
これはわたしが誰かに言ってる言葉なんだけど
本当は私に言ってる言葉
ずーっと自分に言い続けてたの
『私だけをみて』って
思考をどうにかしてコントロールしようとしてたけど、
そもそも思考になってる時点で手遅れなんだよね
それはもう過去に過ぎない
原点はどこかってそれは『体』
体から発せられた事が現実になってそれを思考で解釈して自分に入ってくる
だから『誰か』すらも関係ないし
疑った所で証拠求めた所で一時的な安心にしかならない
だから誰かを信じたいなら
不安や無駄な心配で身を滅ぼすのに疲れたなら
もう起こった思考じゃなくて自分を作る体を癒したらいい


私はずっと『私をみて』って言われてる
それは私を100%私で作ってって事だと思う
私を他の人で埋めてしまえば愛されてれば満たされるけど
愛されてない時私がすり減って不安でかき消されてしまう
だから常に愛されてる為にコントロールしたり
疑うって事がはじまる
でも、100%私で作られてるなら
誰が何をしようと関係ない
コントロールする必要もなければ愛されてるか監視する必要も
心配する必要もない

だから、わたし自身を全て私で作ってあげる
わたしが好きな事をして
わたしが楽しい事をして
わたしが癒されることをして
わたしがワクワクする事をする
感情に身を任せて感じてあげる
誰かに依存してるのと自立した上で一緒に楽しむのでは感覚が、全然違う
とにかく『自分の力で生きる』
をしてみると自然と現実も思考も
コントロールする必要がなくなって
私に必要な事が全て自然に流れ込んでくると思う

