リハビリ病院に転院してから最初の1か月は大部屋が空いていなくて個室でした。

個室は他人の目を気にする必要がないので自由で快適な一方、見舞いで来る人がいなければ看護師しか部屋に入ってこないので人とのコミュニケーションが全くありません。

しかも個室にいたときの母は後遺症で1人でベッドから動けず、脳は正常だった母はとてもつまらなくて辛かったようです。

 

 

大部屋と個室の良し悪しも一概には言えないなと思いました。

 

 

ちなみに、その個室で手すりにつかまって病気で倒れてから数日後、母が初めて自分1人で立ち上がれて『あ~立てた~』と喜びながらおしりを左右に振っていたその光景は今でも脳裏に残っています。

 

 

ようやく大部屋に移動できたときは『やっと移動できた』という想いでしたが、それも束の間、次は人間関係に悩まされることになりました。母は脳梗塞になってから閉所・暗所恐怖症の症状が出るようになっていて夜は豆電球をつけて寝ていました。

 

しかし、その豆電球が明るいと同室の方から注意を受けたのです。もちろん母も他の入院患者さんに迷惑にならないように十分に対応策を講じていたつもりでしたが、その相手の方はとても気難しい方だったようで「明るくて眠れない」と強く注意を受けました。ただでさえ常に体調が辛いのに、そこに執拗以上に強い口調と荒げた声での注意で母が精神的に参ってしまわないかと、私はとても心配しました。すぐに私は代替としての卓上電気を買ってきて一件落着となりました。

 

そのあと間もなくその方は退院することになり、他の患者さんが入ってきたりと病室内での移動がありました。

 

 

その結果、母の大部屋はと超がつくほど とても楽しい部屋になりました。

 

ベッドに横になり腹の上にかっぱえびせんを置いて食べる当時70歳のAさん、小柄でおとなしい印象だったけど実はとても辛口で面白い83歳のOさん、入院中の洋服がとてもお洒落で優しい75歳のYさん。母だけでなく私のことも孫のようにかわいがってくれて、いつしか201号室マネージャーと呼ばれるようになりました。

 

 

母が倒れてからはとにかく辛かっただけでしたが、この大部屋のおかげで私もとても安心しました。

 

 

有難いことに退院してからもご縁が続いていて、私にとっても とても大切な人たちです。

 

 

母が倒れて、私はとにかく母にリハビリに集中してもらえるようにサポートする事しかできません。そのために母が家のことを心配しなくて済むように母に代わって私が全て家事全般を担っていました。病気を治すために入院しているのにその病室でまさかさらなる精神的ダメージを受けるとは思ってなかったし、私もひどく落胆していて、母を個室に戻すことも考えましたが、最終的には母が退院するまで大部屋の入院生活は本当に楽しかった。

 

 

 

 

『人生は何が起こるかわからないし、その起こった先も何が起こるかわからない』

 

 

 

 

この言葉をここで使うのも少し違う気がしますが、当時の私は本当にこう思いました。 

 

母の健康を失った代わりに、素敵な方々とのご縁をいただきました。

 

 

 

 

 

これから先の人生も『いまの状況からは到底 想像できない事もある!』と思っています。

 

 

 

 

 

 

 

・・・というよりも 『いまの状況からは到底 想像できない事が(必ず)ある!』  がより適切かな~(^^)