ぱわふるトイ・プー ディーンと歩けば~♪ -8ページ目
今年も
暑い原爆
の日がやって来ました
当たり前の日常が始まりました
あさんぽ

でも
犬友の間で
黙祷
の時間
までには帰ろうね
が、合い言葉でした
セナ&ララパパは、黙っていました
が、ヘリコプターが何機も飛んでいる……
交通事情を偵察してるんだねって
ワタクシはTV取材だとばかり思っていたから
「偵察
」という言葉にドキッとしました
そういう視点が無いのが
戦争を知らない世代なのです

原爆投下から、80年なら17歳の
多感な青春時代を送られていたはず
そう言えば、ついこの間も
お買い物は○○だね~
(○○は、なかなかの高級店)
もうね、良い物をほんの少し食べられたら
それでいいんだよって
イズミの食料品館が出来ることを
喜んでいたら、そうおっしゃってたな
戦時中、餓死や病死で亡くなった方も
実に戦死者の四割近かったらしい
アキマルパパは
被爆体験口承の仕事をされているらしい
こういう方々が周りにいるのです
*****
ヘリコプターが何機も飛んでいた空 は
爆弾が降ってくる心配の無い空
その下で
当たり前の日常が繰り広げられる街並み
この川底に
この土の下に
たくさんの人間の屍が埋まっているのが
信じられない……

8月6日 午前8時15分 黙祷
左、後方あたりが平和公園
手前が空鞘橋、その後方が相生橋
被爆犠牲者の方々のもとに
今の平和
があることを忘れず
感謝して一日一日を
大切に過ごしたい……
*****
今年の石破首相の平和へのメッセージは
実感が込められていて
多くの人々の
心に響いたのではないでしょうか
原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑にある
短歌に込められた万感の思い

太き 骨は 先生ならむ
そのそばに 小さき頭の骨 あつまれり
(歌人 正田篠枝
)
愛国心から多くの学徒を戦争にかり出し
自責の念で
職を辞めた教師も多かったに違いない
作家、三浦綾子氏も小学校の教師を
敗戦をきっかけに辞めた一人である
その後脊椎カリエスのため
13年間もベッドに伏す生活をしいられた
神様はその人が耐えられる試練を与える
と言われる
試練に屈しない
人間の強さを信じることも出来る

(画像
はYahoo!よりお借りしました)
原爆投下の直前まで
一般の人々の普通の日常
一人一人の
かけがえのない人生があったことを
決して忘れてはならない……
*****
敗戦で戦争が終わったとは思えない
ニュースが今も流れている
生き残った人たちも今なお、
苦しみ続けている……
戦争は決して終わっていない
私たちは人間の強さを信じて
今出来ることを精一杯やっていかなければ
*****
戦後、
生存した技術者たちは当時の技術を
武器として利用するのではなく
人々を安全に助けるために
利用できることに情熱を注ぐ
見事、広島が復興を成し遂げたことが
人間の強さの象徴である

では、また、今度。

