広島に戻って
路面電車に乗るたび
天満町という電停で
なんで、天満という地名が
あるのだろう
と思っていました
そしたら

住んでる区内に
天満宮があったではないですかっ


天満川河岸が工事中
で
あさんぽは迂回路を歩いていたら

天満宮にたどり着いちゃった

白い椿や

絞りの椿が満開で
撮影して帰ることにしました


ご機嫌さんのディーン


紅白の枝垂れ梅も出迎えてくれました
(2023年3月10日撮影
)



アネモネも咲いています



一通り撮影
して奥に行くと

あっ、神戸北野天満宮と同じように
「使いの牛」
がいます
賢くなるように頭をなでたけれど
鼻の穴が上を向いて
背が低いと頭をなでにくく
鼻にも当たる人が多いのか
鼻の頭がテカテカになっていました


ここは狭いけれど
花が美しい素敵な神社でした

狛犬も蝶々夫人みたいな毛並みで
何だかガーリー

来年の初詣は
ここに来たいと思いました

ところで菅原道真を祭る天満宮が
どうして広島にもあるかなんですが……
というか全国に12000社ほどあるんですって

中級貴族の学者出身の菅原道真は
子供の頃から頭が良く、
弓道にもたけ、文武両道であったらしい
宇多天皇に重用されて、
政治にもたけていたため、
異例の出世で右大臣にまでなる
当時、権勢を誇る藤原氏に対抗させるために
登用したとも言われる
寛平の治を支えた一人ですが
これを成り上がりと妬む公家も多くいたらしい

宇多天皇は息子の醍醐に譲位する際も
「道真と藤原時平の助言を得て政治をするように」
と訓じたため、
右大臣に居座ったままの道真への反発は強まるばかり
(道真は断り続けていたらしいが……)
左大臣の藤原時平の政略に陥り、
無実の罪で太宰府へと左遷させられる
(結局、出る杭は打たれるってことね)
道真は、無念の涙をのみながら
その2年後、57歳で亡くなる

*****
それから5年後
彼の弟子でありながら
師の失脚に加担した藤原菅根が
雷に当たって死んだ
さらに翌年、道真を不幸に追いやった
藤原時平が39歳の若さで急死
この頃から洪水、干ばつ、伝染病など
変異が毎年のように続くようになり
「道真が怨霊となり、祟りをなしているのではないか」
と噂されるようになった

醍醐天皇の皇太子
(彼を生んだのは時平の妹の穏子)
も21歳の若さで即位することなく亡くなり、
醍醐天皇自身も道真の祟りと考えるようになる
それで、左遷を命じた勅書を破棄し、
その地位を右大臣に戻し正二位を追贈するも
なおも時平一族の不幸は続くのである
*****
このような経緯で
不安にさいなまれていた貴族や朝廷は
北野天満宮を創建することを容認し
鎌倉時代や室町時代になると歌合や連歌の会など
文化的な行事を開催して、
学問や芸能の進展を願うようになった
道真の怨霊を祀りあげることから
学問の神を祀るという
福の神へと転じていったのである
めでたしめでたし

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とまあ、長くなりましたが
道真の怨霊を恐れた公家たちが
あちこちに天満宮を建立していたのですね
ちなみにすぐそばに天満小学校があります
学問の神様にまつわる名前として
これ以上の物はないですね

ディーン
、ここに立ち寄れて
良かったね
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天満宮の花も美しかったのですが
素敵なお花屋さんにも遭遇

ミモザの黄色が印象的な入り口でした

帰りはちょっと疲れてダウン

最近のおやつはプロテインバー
効率的にタンパク質を摂取します

日陰を見つけて休みたくなるほどの
お天気でした
では、また、今度。