はじめまして、ままごとです。ルポライターのままごとをしています。
初めての記事。心を込めて執筆させていただきます。
この記事では、くも膜嚢胞について当事者の立場から書かせていただきます。
医学的な解説ではなく、あくまでも体験談となっております。
2006年、私は杜の都に生を受けました。
3000キロ越えで無事に生まれた私の便が、ミルクしか飲んでいない筈なのに赤褐色だったことが発端となり今回の記事を書くに至ります。
うんちの色で先天的な身体欠陥を疑われ、私は検査することになりました。
小さなレディースクリニックから大学病院へ、救急隊は私の入った透明な四角い保育器にシートベルトをしたそうで、救急車が曲がり角に来るたびに私はゴロン、またゴロン、と転がるため母は気が気でなかったそうです。
検査の結果、おかしな色の便の原因は母の血液を大量に飲んだことでした、拍子抜けも甚だしいです。
産道を通り抜ける、太古から続く神秘的な瞬間にお腹が空いたのでしょうか。
しかしこの検査で新たに、本日の主役、くも膜嚢胞が発見されます。血便騒動でMRI検査をしたため、偶然見つかりました。
一難去ってまた一難です。
くも膜嚢胞は特に生活を制限するものではありません、30人に1人くらいが持っていると言われています。クラスに1人か2人いると考えると大したものではないです。悪性ではなく、ほとんど無症状のまま経過します。一生涯を自分がくも膜嚢胞がある事を知らないまま終える人もいます。
そもそもくも膜嚢胞とは、脳を包む膜の一つである“くも膜”の下に脳脊髄液がたまって袋状になったものです。消えることはほぼありませんが、人によってはいつの間にか割れていて、久しぶりにMRIをしたらなくなっていたなんてこともあるそうです。
しかし私のは左後頭部に位置していました。視覚の後頭葉、聴覚の側頭葉がある場所です。
つまりもし嚢胞が割れる時に後頭葉や側頭葉を刺激してしまうとヘレンケラーのような状態になるということです。
胎児の頭の骨は小さく柔らかいため、いつ割れてもおかしくない、また最悪の場合、植物人間状態に陥るかもしれないと母は医師から伝えられたそうです。状態が安定するまでは大学病院に入院しなければいけないということで、私たち親子は離れて暮らすことになりました。
弱冠27歳の母はたった一人で待望の第一子へ植物人間の可能性を示唆されました。
母は泣きながら会社にいる父に電話しました。取り乱してはいないものの動揺する母に、「うーんOK!とりあえず分かった!気を付けて帰ってきてね!」と父はあっけらかんとした調子だったそうです。当時は怒りが湧いてきたそうですが、父のいつもと変わらない様子に母は救われていたとのちに言います。
その当時の母の日記を見たことがありますが、マタニティブルーを鑑みても、尋常じゃないほど思いつめた内容が記されていました。
具体的には、健康に生んであげられなくてごめんなさい、義理の両親や自分の両親に申し訳ない、どうして私たちの子だけ、もしこの子が障害と共に生きるとしたら、などです。
私たちの場合、母が一人で搾乳、殺菌、保存したものを大学病院に毎日届ける日々は割とすぐ終わりました。その後はほかの胎児と同様に家族と一緒に自宅で過ごします。
以上は両親から聞いた話でしたが、ここからは当事者として記します。
記憶のある限りで年3回、春休み、夏休み、冬休み。長期休みのたびにMRI検査のため大学病院に通いました。幼稚園や小学校低学年の頃はMRIを中に入るとグオーングオーンとけたたましい音が鳴るために我が家ではライオンと呼んでいました。
MRIは退屈です。
経験のある方は共感してくださると思いますが、MRI内はほんの気休めにちょっと時代遅れのBGMが流れ、それをかき消す勢いの轟音が響いています。アナ雪の「ありのままで」が流れていたことをなぜか今でも思い出します。よくペットの動物がMRIに入れられるのを見ますが、ハムスターや小型犬などよくあの音に耐えられるなと思います。
また、MRIに入るときに水風船のようなものを握らせられ、具合が悪くなったら握ってね、と言われます。小学生のころあまりに退屈すぎて握ったら技師さんが慌てて飛んできて、「ごめんなさい、暇なので握っちゃいました。」と言ったら笑われました。技師さんから「暇だったそうです。」と説明された母も、笑いをこらえながら謝ったそうです。
小学校の頃、学年全員が私がくも膜嚢胞を持っていることを知っていました。
小学校が始まってすぐに学年集会で私の嚢胞が取り上げられたことを覚えています。
当時の若くて綺麗な女性の担任の先生は学年集会で説明する際、どんな言葉を使ったらいいかを私と母に聞いてくださいました。
「障害」、「病気」、どんな言葉で説明されたのかは私自身覚えていないですが、いじめられることも除け者にされることもなく、楽しく小学校に通いました。
くも膜嚢胞によって何かを制限された経験として剣道があります。しかし、その他は至って好きにさせてもらえました。剣道教室のチラシを小学校の前で受け取り、家に帰って剣道をしてみたいと言ったところ、体験まではさせてもらえましたが最終的には嚢胞を理由に許可が下りませんでした。その代わりという訳ではありませんが、数年後合気道にはなぜか許可が下りました。
MRIライフは12歳、小学6年生で一旦終了します。嚢胞も落ち着いているし、毎年の検査は今後せずに体調不良、特に頭痛があったらすぐ病院に来るようにとのことでした。
この時になってようやく医師から私にくも膜嚢胞とは何なのかについて説明がありました。記事冒頭、くも膜嚢胞の説明がやや幼稚なのは当時の受け売りのためです。
中学校では嚢胞のことは生徒には共有されませんでした。同じ小学校から来た人だけ知っていて、「最近頭の風船どう?」なんて聞かれると、ほかの小学校出身者が「なにそれ??」となって説明するという場面は何度かありました。
中学校では陸上部に入り、速く走るよりも、高く飛ぶ方が向いていると気づきました。プチ家族会議は開かれましたが両親はGOサインを出してくれました。両親が最初は難色を示した競技だったのもあり、表彰台はすごく嬉しかったです。
余談ですが当時私はトンデモ反抗期だったため、いくら嬉しくても表彰式の写真はカメラを睨みつけているショットしかありません。
現在20歳、最後の検査から8年経ちますが一度も病院に駆け込むことなく元気に暮らしています。あまりにニッチな題材でありますし、誰かのお役に立てるとは到底思えない内容で申し訳ありません。
一概にくも膜嚢胞であるとは言えませんが、もし、突発的にひどい頭痛が始まり、エスカレートするようでしたら一度脳のMRIを受けてみるというのも有効だと思います。