こんにちは、ままごとです。ルポライターのままごとをしています。

 

現在私はチェコ共和国に留学しており、クリスマス期間の休暇を利用してアウシュビッツ強制収容所を訪れる機会がありました。大学の専攻は国際関係学ですが、わたしの知識は十分とは到底言えません。しかし9・11の名残がまだ色濃く残る2000年代に生まれ、幼少期には東日本大震災を、中学生では新型コロナウイルスを、高校生ではロシアの軍事侵攻やガザ地区での危機を目の当たりにしてきた世代だからこそ感じるものがあったと思います。

 

 

 

クリスマス翌日のアウシュビッツ。アウシュビッツのある街は栄えていない。数kmおきに材木店がぽつぽつとあるだけでスーパーもファストフード店もほぼない。ポーランド第二の都市、クラクフからバスで収容所に向かう道中は曇りで薄暗く、葉のない奇妙な痩せた木と雪のみが窓から見えるのみ。労働は自由を齎す、あまりにも有名な収容所入り口の言葉とは裏腹に、戦地や都市から離れた当時のこの場所に産業の可能性があるとは思えなかった。

 

その不合理な地理と自由はどうしても結びつかない。実際収容所で行われた労働の殆どは合理的とは言えないものだった。広大な収容所へ向かうまでの間、両側を高い壁に囲まれた細い道をうねうねと歩く。訪れた人たちは緊張、興奮、鎮魂が心を支配し誰も話さず、判明している限りの犠牲者を静かに読み上げるアナウンスだけが響いていた。

 

「アウシュビッツはある日突然空から降ってきたものではない。」生還者が語ったこの言葉は収容所の意外な生い立ちを示唆する。アウシュビッツは原来絶滅収容所として建設された訳ではない。元はポーランド軍が保有する1つの施設でしかなかったが、ドイツのポーランド侵攻で掌握されたのち政治犯や同性愛者などの更生施設として使われた。その後広大なドイツ占領地から多くの障害者やユダヤ人らも集められ、人類史の惨劇が生まれた。危機感を抱ききらず日常から段々と脅威が迫るあの異様な社会構造に終わりはなく、戦後も世界のどこかで変わらず人類と共にある。

 

今も一般的な形の義足や松葉杖。

フレームが複雑に絡み合った大量のメガネ。

足の負担軽減のためソールが工夫された現代的な靴。民族の権利を否定する社会に対抗する意思で履かれた赤いヒール。

特にブラシやコームなど、慌てて家を出たとするには疑問の残る小物たちは収容よりも転居のような感覚に近い。21世紀に生まれにも馴染みのある生活用品たちは80年前の当事者たちをとても身近な存在に感じさせる。

 

保存の為に紫色のライトが灯された薄暗い不気味な部屋には大量の髪の毛が展示してある。全体量には到底及ばないほんの一部らしいが、アウシュビッツを解放した時にこの髪の山を見つけたソ連軍の兵士はなにを感じたのだろうか。容赦なく切られた未だ編まれている三つ編みの髪や白髪の混じった髪は脳を離れようとしない。積み上がった髪の隣には巻かれた大きな絨毯が展示してある。収容者の髪で作られた絨毯たちは国内外に売られた。金の価値は世界に流通する純金の量に深く関係する。抜いて溶かした収容者たちの金歯は今日も世界で流通し今日の経済を作る。

 

戦後80年、アウシュビッツは展示を増やしている。建物の老朽と歴史学習の転換によりこれから15年かけて完成させる。その一部に収容者が収容中に書いた絵があった。モデルは仲間の収容者、表情は案外明るく笑っている者もいた。収容生活が道楽的だったのではなく、仲間を励ます為実際よりも朗らかに描いたのだそう。

 

しかし収容者たち同士の関係は必ずしも良好で協力しあっていた訳ではない。毒ガス室に案内し、窒息した死体を焼却したのが同胞だというのは有名な話だが、それ以前に同胞同士の争いは絶えなかった。多くが労働に向かう中で志気を高揚させるために演奏をする楽隊は僻みを買った。腹持ちの良いパンの耳はいつも争いの元だった。スープを配膳する者は権力を持ち、手下には下の方から掬い具材を与えた。量で殺し合いが起きないように収容者たちは天を作った。棘の付いた鞭を持つのは看守ではなく同胞だった。蜂起をすると報復に10倍の人数を殺される。1人が脱走を試みると一同が殺される。密告や制裁は誰しもが生きたいと願うようにあたり前の行動だったのかもしれない。

寒波の荒野にあるビルケナウの風は突き刺すように冷たかった。貸車は人を乗せるには粗雑で窓1つない。毒ガス室はおおよそ半分をナチスに破壊され吹き晒しであった。いつの間にか日差しもさした明るい昼下がりの空気は重たかった。収容者について多く語ったが実際に収容者になったのは運ばれてきた2から3割で、殆どの人は着いてすぐに殺された。妊婦、子供、老人、病人など戦争が起きれば非戦闘員に該当する立場の人達が真っ先に殺された。ビルケナウでイスラエルの国旗をマントのように刃織った人とすれ違った。ナチスはユダヤ人を祖父母をユダヤ人に持つ人と定義した。2度のアリヤーとホロコーストを経験したユダヤ人は戦後時を経て太古から悲願のシオニズムを実現し、イスラエルを建国した。そして世界中のユダヤ人に市民権を与え保護することを宣言した。イスラエルが定めるユダヤ人の定義には配者、改宗者、そして今も祖父母をユダヤ人に持つ者が含まれている。