第449回さいたま三愛病院糾弾ブログ /番外編・「叱るquizシリーズ13・唐澤富太郎編」其の2ー光明皇后の「千人洗垢・吸癩膿」教科書「画像」まとめの巻

他の人のブログを見ると、画面左側に「過去ログ」があって、其処に「テーマ」別に分類して並べられていて、例えば、光明皇后の「千人洗垢・吸癩膿」なら其のテーマのところに関連のものが収束されています。あの方法を採り入れたいなあと思いつつ無駄に日を過ごしておりますが、今日は、IT未熟者が弊欄過去ログで光明皇后の「千人洗垢・吸癩膿」を画像として添付した日だけにリンクを貼って、オヒラキにさせて頂きます。つまり今日は、光明皇后の「千人洗垢・吸癩膿」にしぼって、弊欄の画像に限ってのまとめという訳です(※だけど、光明皇后の「千人洗垢・吸癩膿」といえば、小学校しか出ていない人でも知っている有名な逸話であった筈で、ネットで簡単に分かると思っていたものでしたから、こんなに苦労するとは意外でした)
。以下、画像をまとめてみます。

○唐澤富太郎の『教科書の歴史』(創文社)本冊索引『五期国定教科書(修身・国語)に現われた人物索引』→弊「第446回さいたま三愛病院糾弾ブログ」(2月2日付 )。※此の索引では、光明皇后はわずかに1箇所、「第五期の国語教科書」のみに出てくると記述されています。

○唐澤富太郎『教科書の歴史』別冊の第二表「五期国定修身教科書に現われた人物及び徳目表」→弊「第447回さいたま三愛病院糾弾ブログ」(2月3日の画像1~3 =縦91センチ×横29センチ)。※「明治37年巻三」と「大正7年・高等科巻二」の2箇所に出てきます。つまり上述の本冊索引では「国語教科書」にしか出てこないようになっていますが、唐澤氏自身が整理した「分析表」に「修身教科書」には2か所も出てくるように書かれているのです。これって、やはりチョンボですよね。単純に「採択モレ」だったのかどうか(恐らくそうでしょうが)分かりません。

○同別冊第四表「五期国定国語教科書に現われた道徳的教材の分析」→弊「第446回さいたま三愛病院糾弾ブログ」(2月2日の画像1~2 =縦76センチ×横105センチ)。

○同別冊第五表「五期国語教科書に現われた主要人物表」→弊「第445
回さいたま三愛病院糾弾ブログ」(2月1日の画像1~2 =縦103センチ×横35センチ)。

○講談社の日本教科書大系・近代編第8巻・「国語(五)」所収の『初等科國語三』の六『光明皇后』→弊「第444回さいたま三愛病院糾弾ブログ」(1月31日付 )。※此処に全文が引用されているのが、本日のトップに掲載した「本冊索引」にとられている訳です。

○下見隆雄『母性依存の思想ー「二十四孝」から考える母子一体観念と孝』(研文出版)173頁に紹介された教科書「女子修身書」→弊「第439回さいたま三愛病院糾弾ブログ」(1月20日付 )。※下見氏の『女子用修身教科書の傾向ー昭和20年以前の教育と儒教主義』に紹介がありますが、冒頭の本冊索引では、光明皇后は「国語教科書」に1箇所出てくるだけになっています。


○林陸朗の人物叢書版『光明皇后』96頁~に「千人洗垢・吸癩膿」が出てきます→弊「第448回さいたま三愛病院糾弾ブログ」(2月4日付 )。※前項の下見氏の場合と同じで、林氏の指摘を待つまでもなく、「戦前の小学校の修身教科書にとりあげられていたものである」。それほど有名であった光明皇后の「千人洗垢・吸癩膿」原文を探すのに、ネットで簡単に探せ出せずにウロウロする結果になってしまいましたが、やはり(唐澤氏が『教科書の歴史』で述べているように)「終戦当時の焼却や削除で完本が見つからぬという現状」が(終戦後60年もたったというのになおも)続いているのでしょうか。トホホ。旧機のパソコンを修理に出して、せっかく採り込んでいた画像も(恐らく全部)初期化されて帰って来るでしょうから、其の振り返りの意味もあって、画像の整理をした次第です。

(「箸にも棒にも掛からない問題病院」に数多くヒットするように)、「さいたま市桜区田島の三愛病院の口コミ・評判・悪評」という言葉を入力して、「 三愛病院の医療姿勢を改善させる会 」のブログにリンクを貼っておきます。此の記事の「医療過誤死亡事故」の反省がまったく生かされずに(むしろそれよりもずっとヒドイ形で)、私のオフクロは胃カメラ検査直後に急死させられ、院長は説明を一切行なうことなく机を叩いて(あまりの突然の急死に呆然としている)遺族を怒鳴り散らして恫喝したのでした。嗚呼。一切説明をせずに(説明出来ずに?)、「葬儀用の名札つき花輪」を送ってきて平気なのですから、院長の神経を疑います。也

平成26年2月5日13時20分

さいたま三愛病院を糾弾する
コードネーム0213231
(追うに意味ありto三愛)