"私"の不運 -2ページ目

 私の中学は一クラス約30人ほどで学年二クラス。

 もちろん、”私”の学年も二クラス。で、例の”彼女”が同じクラス。”親友”も同じクラス。

 

 中学になると思春期と言うこともあり、当時の男子は分からないけれど、女子は恋愛話が増えていく。それと同時に、女子の中で派閥というかグループが出来ていく。それが授業や課外活動などの班分けで良くも悪くも活用されていく。

 

 一年生の時、中学にはいるともれなくついてくる一番最初のイベント、【部活動決め】がある。”私”は最初はソフトボール部に参加していて、隣で練習している野球部には小さい頃、二つ上の兄の金魚のフンだった”私”と仲良くしてくれた先輩”Y”がいた。ソフトボール部での練習を見ていた”Y”が野球部へ来いと冗談半分で勧誘してきた。もちろん、断ったし、ソフトボール部にも良くしてくれている先輩はいた。ただ、ある日急に冷たいまなざしで見られ、居づらくなり、”私”は担任の紹介で女子テニス部へ入部した。

 

 

 ある時社会の授業でグループを作り、自分たちの興味のある物の歴史を模造紙にまとめて発表するというものがあった。”私”は、”親友”と同じグループで洋服の歴史についてまとめていた。”彼女”も同じグループだった。”彼女”は”親友”と同じバレー部で、”私”とほぼずっと一緒にいる”親友”を奪うことで優越感に浸りたかったんだと思う。

 

 放課後にラストスパートで完成させたかったため、部活動も休みだった日にグループで残り作業に取りかかっていた。でも、”彼女”はずーっとクラスの別グループの子や隣のクラスの子たちと話していて、”私”と”親友”とあともうひとり、”私”と同じテニス部の”I”と3人で作業していた。

 

途中、”親友”が先生に呼ばれ抜けたときに”彼女”が気まぐれで作業に戻ってきた。ただ何も聞いていなかったのか、単純に忘れたのか分からないが、”私”はグループリーダーでもあった”親友”の指示をそのまま伝えた。

 

 『洋服の歴史だから、洋服は黒ペンで太めで縁取りして強調させたいって言っていたから、茶色だと目立ちにくいし、黒の方がいいよ。』

 

 ただこれだけで、”彼女”の沸点に達したらしい。

勢いよくペンを放り投げ、そのタイミングで偶然にも隣のクラスから遊びに来た子に、

つい今し方起きた出来事を教壇の方まで行き、吐く。

その際に、黒板に「”私”死ね」と書いているのが見え、

同時に遊びに来た子が苦笑いでこっちをみる。

 

このときの感想としては、ただただめんどくさい、それだけだった。

 

”私”としては、触らぬ神にたたりなしというように、

仲良くしたいとも思わないし、大して話したいこともないので近寄ることもなかった。

けど、”私”の机を中心に数人の男女が集まったりしているのが気にくわないのか、

気がつけば人の隙間から”彼女”が見える。

 

あるとき気づけば普通に机を囲んで、”彼女”がいた。

このときは、”彼女”がモテる女アピールか分からないが、

「私、今、7股かけてるのー」と言っていた。

一緒に机を囲んでいる一人が、食いつき誰なのかを尋ねると、

いつぞやか耳にした名前が挙がる。

その名前は、”彼女”が片思いしている二つ上の先輩だった。

何を勘違いしているのかわからなかったため、

よせばいいのに”私”が横から正論をぶっ込む。

『付き合っていないと何股っていえなくない?』

すると”彼女”はだんまり。

後日、”親友”とともにいつものように一番乗りで教室へ行くと、

机に鉛筆で落書きされていた。

 

ただ秋が終わり冬が来ると、悪夢が彼女だけではなくなった。

 

 

当時は今ほど、10代で携帯電話やPCが普及しておらず、

クラスも3~4人ほどしか持っていなかった。

なので、持っている子たちだけで、宿題などの答えや持ち物などを教えあっていた。

ただ、持つ子も増え始めていたため、

”私”は自主的に自分のアドレスや電話番号を教えていた。

なので、携帯を買った子や親と共有してPCを使っている子

、家の電話から”私”の携帯に連絡をくれる子などがどんどん増えていった。

 

今の時代は分からないが、私の学校では週替わりに給食当番があり、

学校のコンテナから自分が担当する物を教室へ運び、配膳の準備、

後片付けで最後コンテナまで戻すという仕事があった。

 

週当番だった”私”は自分の仕事を終え、教室で友達と話をしたり、デコピンゲームなど、

しょーもないことばかりして、昼休みを迎え、過ごしていた。

すると、担任の先生から食器がまだコンテナに戻されていないから、週当番誰でもいいから戻してこいと、”私”が怒られ、渋々それを持ち、教室を出ようとした。

自分の担当を忘れていたことを思い出したのか、”A”が駆け足で戻ってきて、

教室の扉前でぶつかり、食器が飛び散った。

『自分の担当くらいしっかりしてよ!”私”が怒られたんだけど。これも自分でやってよね!』

と残りの食器を押しつけ、”私”は教室をあとにした。

その日の夜、”A”から謝罪のメールが届き、もう二度とするなと念押しして許した。

 

”A”とは小学校6年間同じクラスになったことはなく、

同じクラス、いや、この出来事がなければ記憶から引き出してこれなかった存在だった。

当時の印象としては、スポーツはまぁまぁ出来て、頭もまぁまぁ良いくらい。

体育の授業がこの時期バスケで、”私”は”A”と同じチームだった。

”私”はバスケをしたことがなく、ルールもざっくりしか分からないが、

”A”はバスケ好きでそれなりにうまかった。

 

食器事件から、ほぼ毎日メールのやりとりをしていた。