70歳母、小細胞肺がんになる -2ページ目

70歳母、小細胞肺がんになる

2015年1月、大好きな母が肺がんになりました。
『小細胞肺癌(縦隔、肺右肺門リンパ節転移、同側肺内転移)上大静脈症候群、低Na血症、進展型に近い限局型』
抗がん剤、放射線治療のち寛解。
再発、転移に怯えながら何気ない日常を大切に過ごしています。

母が在宅療養での頑張っている様子を更新したばかりでしたがの翌日の外来受診で
CRP(基準値0.00〜0.30)が18.97Hとまた上昇しており白血球(基準値34〜91)も159Hと高く
採血レントゲンに加え急遽CT検査(単純)をした所
右肺は無気肺(肺の含気がなくなった状態)となりそこへの感染合併が疑われ在宅療養も困難との診断でそのまま入院となってしまいました。

今後は抗菌治療薬鎮痛などの緩和治療になりますが病状的には肺癌終末期の状況と言う事で主治医からは
大変残念ではありますがよほどの事がない限りこのまま当院で最期を迎える事になる可能性か高いですと…。

経過中に急変する可能性もあるので…
挿管、心臓マッサージは…?
しません…。
今後痛みや苦しさがでるようならモルヒネ注やセデーションで少しでも苦痛のないようと…。

以前母には「いつかその時が来たら絶対そうしてよ!絶対だよ!?」と言われ約束していました。でも意識を意図的に落とすからもうお話出来なくなるよ?って聞いたけどそれでもいい、苦しいのは嫌だ…と。

お部屋に入ってから最初は久しぶりに会う看護師さん達やお掃除のおばちゃん、リハビリの先生に声をかけられお話もしていましたががあるせいか夜が近付くにつれ急に元気がなくなりトイレにも行かない。
夕食のメイバランスにも手を付けないのは初めての事…おまけに薬も飲まない…。

頑張って我慢して何度も吸引してもらっていますが吸引してもしてもすぐにまた痰が上がってきます。だからずっとゴロゴロ…

今朝5時頃母から電話が鳴り「私、もうダメじゃないかな…自分で分かるもん…」って。
急いで病室へ行くとシャツからズボンからびしょびしょ…
夜中じゅう気持ち悪かっんだろうな…
トイレまで何とか連れて行き全身お着替えをさせスッキリしたかな。少しだけお粥を食べメイバランスを飲む母に
「抗生剤でよくなれば外泊だって退院だって出来るんだから大丈夫だょ。週末外泊して伊豆に行けるといいね(^^)」って…
そしたら少しニッコリとして「うん」(^^)

もしかしたら抗生剤で一途期でも良くなる可能性だってあるでしょ?

沢山の応援コメント頂いたのに
こんな結果になってしまいました。
在宅療養で頑張っていると応援してくれている皆様に取り急ぎのご報告でした。

今日はいつもの母に戻っています(^^)





更新遅くなりご心配おかけしましたm(_ _)m

4月3日を最後に抗がん剤(ハイカムチン2クール目)を投与してから無治療(感染症治療のみ)になり4ヶ月以上が経ちました。

お薬はトラムセットをやめ朝晩2回のMSコンチンを服用しています。
レスキューでオプソを…
酸素は安静時0.5、労作時2で様子を見ていますがここの所安静時0.5だといつの間に70くらいまで下がっている時があります。気を付けないと。

小細胞肺癌は無治療で2、3ヶ月、6ヶ月持つ事はまず無いと言った主治医の言葉が時折頭をよぎりますがそれでも母は毎日変わらず頑張って生きています。

少しの距離も歩くのはしんどそうなので念の為介護用のおねしょシーツをベッドに敷きリハビリパンツを履かせていますがなるべくトイレで用を足したいと言う気持ちがまだあるようです。最近は失敗も多いですが出たくなると「おしっこ〜」と呼んでくれます。
父は朝4時には仕事に行ってしまうので私がまだ2階で寝ていると母から携帯電話が鳴り「おしっこ〜」って^^;

トイレまでの数メートルを歩くのがやっとなのにカートにボンベを積んで通所リハビリにもちゃんと行くんです^^;
優しくしてくれるスタッフの皆さんが大好きらしく父に買わせたお菓子を毎回持って…
無理しなくていいからねとは言ってありますがクラブのスタッフが言うには何も出来ない日や横になっている時間が多いもののカートを押しながらゆっくり施設内を歩く時もあると…
もうかなり苦しいはずなのですが…

食事も「薬を飲まなきゃだから少しでも食べるよ」って自主的に本当にひと口ふた口の少量ですが味噌汁をかけたご飯やお粥を…
これだけはってメイバランスたんぱくゼリーなどは残さずに…

1つ困った事は自力で痰が切れなくなった事
ほぼ1日中痰がゴロゴロして苦しそう。
出し方を色々調べてやってみるのですが大きな咳をする事が出来なくてなかなか出せない…
たまに「出たーっ!良かったね〜」って喜んでもまだ残ってたりまたすぐ絡み出します。
なるべく乾燥させないようにしてるつもりなんだけどな…
痰を出そうとする行為がかなり疲れるみたい。
薬のせいなのか息苦しさのせいなのか口数も減っていてどこか遠くを見てボーっとしている時間が増えてきたのも事実。

今でもまだ週末は父とキャンピングカーでお出かけしています(^^)
寝たままでも景色が見れるように父がベッドを改造してくれて。
今はもう車いすにも長く座っていられないからお店に食べに行く事が出来ないので父が何かを買ってきて車の中で食べているようです。
降りるのはトイレの時だけ。♿トイレが近い道の駅やサービスエリアで車中泊して家のベッドとは違う景色を見て気分転換は出来ているようです。

そう言えば主治医の勧めで介護申請をし直した所要介護3に変わりました。
もう私と父だけではお風呂に入れてあげることが厳しくなってきたのでお願いしようかなと思っています。

明日は2週間に一度の外来診療
座っていられないので通院も難しくなってきました。
前回のレントゲンでは右肺は真っ白に
かなり進行している様子が感じられました。
お薬のおかげか痛みを訴えることが今の所あまりないのが救いです。

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陰ながら応援してきたブロ友さんのご家族の訃報が続き胸が締め付けられるような悲しみと悔しさに襲われとても苦しいです。
お父様お母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます…



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今日は退院してから3度目の外来診察でした。

朝になり「病院行かない!」と困らせる母。
時間もないので無理に起こそうとすると、どこにそんな力が残っているのか全然持ち上がらず石のように動かない^^;
昨晩は「明日の着て行く服出しといてね〜」なんて機嫌良かったのに…

とても私一人では対処出来ず仕事に行った父を呼び戻し二人がかりで説得し1時間遅れで何とか父に車まで運んでもらい出発しました。

車いすで採血レントゲンを済ませ診察室前で待っていると酸素を測定しに来た看護師に「寝たい、ダルい!」と言い、診察室内の空いているベッドへ…
最近は安静時でも酸素は84〜88くらい…

そうそう前回の外来の時、動いていない安静時でも呼吸が苦しくなると言う母に実際にはその時はまだ必要性はなかったのですが本人があった方が楽とか気持ちの問題で安心するならと主治医がまた在宅用酸素を手配してくれたので今日は外出用のボンベを車いすにかけカニューレをしています。穴がズレて1つしか鼻の穴に入っていなくても母は気付きません。時には1つの鼻の穴に2つ入っているからびっくりです^^;

母がベッドで横になっている間、主治医と私だけでお話をしました。
2週間前の腫瘍マーカーの結果が、

NSE-ECLIA  226.5H
ProGRP       12000.0H

主治医曰くターミナルに近付いて来ていると…

無治療になって3ヶ月以上です。
もう体力の回復も見込めません。

CRPの数値も9.36Hと高め。
尿検査もしましたが特に異常はなくレントゲン写真が全体にモヤがかかったようになっているのでそれが癌性のものかあるいは肺炎を起こしているのか…
とりあえず抗生剤(レボフロキサシン錠)を1週間分処方してもらいました。

息苦しさ痛みについては試しにオプソ内服液を10回分。なるべく鎮痛剤のトラムセットで対応した方がいいのかどの程度の段階ならコレを飲ませてもいいのか…よく分からない。
小細胞肺癌なので急激に悪くなっていく可能性も十分あるとの事で介護保険の見直しをした方がいいと…

退院してからは毎週末、父が寝てばかりの母を外へ連れ出してキャンピングカーで伊豆や山梨、長野辺りをドライブして時には少し歩かせたり良い空気を吸わせたり綺麗な景色を見せたりしてくれています。
食欲はどんどんなくなってきていますが長野では「あやめが美味しかった」って…
あやめって花…(・・∂) ?
串に刺してある?内蔵がちゃんと取ってあるから食べやすかった?
それヤマメじゃん^^; 
ふた口かじっただけでもいいょ…美味しいと感じて口にしてくれたなら(^^)

家にいると私が口うるさいからかな母も週末の父との時間を楽しみにしているようですが行きたいと思う気持ちがまだまだ続いてくれたらいいな。。


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