ネット系には疎く、SNSは一切やらない方とお話したことがある。
ちょうどそのころ3年A組というドラマがあっていた。
きっとみたひとたちのなかには印象に残っている人も多いだろう。
ちょうどお互いにみていたので、面白かったという話をしたら、その人は意味が分からなかったといった。
最後の結末が理解できなかったんだって。
でも、それは感受性とかの問題じゃなく、
私にとって、SNSが当たり前のツールとなり、たくさんの言葉の暴力、誹謗中傷をみてきたからとても共感できたのだと感じた。
だって、そんな世界知らなければたしかに意味のわからない話かもしれないから。
あの話に共感したわたしたちはきっとネットの凄まじさを知っている。
つまりSNSをやっている人はそのすごさがわかるってこと。
 
ならどうしてだろう。
 
人のことを非難することで自分が優位だと思い込む。
 
相手が間違っているから正してやっている。

悪いことをしたから悪いと言わなくては。
 
そんなことが蔓延している。
 
 
なぜわからないのだろう。画面の向こうに相手がいるということが。
ネットの片隅におかれたこの私の文章ですら、画面越しに誰かがみていることすらあり得るのに。
どうして、簡単に傷つくことを書けるのだろう。
 
書くというツールはとても簡単だ。電話だったり、面と向かってなんかよりもずっと。
指先を動かすだけで言葉を紡ぐことができる。
だからこそ、余計に思考しなければならないのだ。

文章はとても趣深いもので、読み手にとって、受け取りかたが、何通りにも変化する。
本当に伝えたいことはとてもとても細かくかき込まなければ100%伝えることはできない。
いや、書き込んだとて100%は不可能。
文章とはそんなものなのだ。
 
最近はずっと殺伐としていてとても心が痛い。
こんなことを私が書くことでまた心が重たくなって、悲しかったり、嫌な気持ちになる人もいるかもしれない。
 
だって、SNSにだってよくないよって書き込んでいる人はたくさんいて、
私なんかよりもずっとずっと考えている人たちだっている。
 
それなのに誹謗中傷の雨はやまない。
いくら傘やカッパで自分を守ったってずっと降り続けば腕は疲れちゃうし、どんどん浸水してきてびしょ濡れになる。
 
どうして届かないんだろうね。
 
届かないことを知ってなお、
私たちはどうするのが正解なんだろうね。