ヒトって何でしょうか??
今日はね本当とりとめのないお話
ちょっと前にXで雄熊は子連れの母熊を発情させるために小熊を殺してその母熊と交尾するってポストを見て
雄熊のやり方えげつなさすぎてファッッッ⁉️…。ってなったんだけど…
人間界でも無いことは無いけれど、そんなことしたらとてつもない業を背負うことになるよね。
命は全てが平等ではあるが、この地球でヒトとヒト以外に転生する存在との違いはどこにあるのでしょうか。
話は少し飛ぶんだけど相談や浄化の依頼を受けていてあるあるな事というかね、
元彼から嫌がらせを受けている方とか、これまたえげつない不倫をしている方とか、
そう言った男女関係に問題のある方って必ずすごい数のとある動物霊の憑依があるんですよ。
動物霊ってのは動物が死んで霊になるとかっていう訳ではなくて、
(そういうのもあるんでしょうけどね、例えば動物を虐待しまくってめちゃくちゃ恨まれた違法なブリーダーとかが生前虐待しまくった動物に恨まれて憑依されているみたいなことはあるのかもしれないけれど、)
説明分かりにくいと思うんだけど、すいませんね〜。
なんて言うかね、動物霊ってのはそれぞれの動物の感情や本能的行動のプログラムの霊的元型というのかな、
例えばなんだけど、執着心のすごい人とか異常な性欲の人とかにながものが憑いているなんて言ったり、
大酒飲みのことをウワバミなんて言うのを聞いたことがあるかもしれないけど、(うわばみってのはオロチみたいなでかい蛇のこと)
そう言った強い執着心、強欲、強い性欲という性質が蛇の形を持つんです。
だから本当は霊っていうか、まあ霊なんだけど、プログラムみたいな感じなんだよね。
それぞれの性質がそれぞれの動物の形を持つ。
この世界の自然界の動物の本能というのは種の保存の為の合理的な選択をする為にプログラムをされているけれど、
善悪や様々な概念を持つ人間が最初に書いた熊みたいなことをしたらそれはそれは凄まじい感情的遺恨を残すよね。
子を殺された恨みを晴らす為に次の世では相手を殺すかもしれない、子を殺した方は殺しの罪を背負い何度も凄惨な殺され方をするかもしれない、
殺された子供をもう2度と殺されないように次の世では母は子供が潰れてしまうほど過剰に子供を守ろうとするかもしれない。
そしてこういう事を何度も繰り返し、どんどん複雑に絡まっていく。
浄化をしているとこういったことはザラにあります。
そしてそれは、終わるまで終わらずいつかどこかでお互いが相手を許し、許されることで初めてその因縁は終わる。
ヒトは延々と輪廻転生を繰り返して色んな縁、因縁を通して姿形を変えて何度も同じ魂と出会って、
衝突や不和という現象を通して浮き出てきた複雑に絡んでしまった糸を解くこや、
何度も同じ問題にぶち当たることを通してみたくなかったもの、逃げていたもの、
自分に足らないものを識り壁を超えていく。
どんな生き死にであっても自然界ではそれが厳しくも美しい調和の中の一つの在り方であるのにも関わらず
どうしてヒトだけはその調和に反する苦しみを味わい、それを乗り越えるまでひたすらに繰り返す事を求められているのでしょうか。
本当にヒトだけが違うんです。
恐らくね、ヒトという種は創造主の卵なんです。
大層なこと書いているように感じるかもしれないけどあくまで卵ね、卵🥚
私たちは元々持っている、自らが作ってしまった、または植え付けられた動物的プログラムや他の様々なプログラムを乗り越える事を求められている存在なんだよね。(だからこそこの世はすんごい壮大なゲームなんだけど)
ヒトは調和的でありながら調和を超えていく事を求められている。
(母熊のように子供を殺した相手に抱かれることを受け入れることがヒトに求められている訳ではありません。
私たちは自然の存在達のように種の保存の為にヒトという種を脈々と繋いできた存在ではないということです。)
私たちに求められていることは選択したこと、起きたこと、全ての結果に責任を持つことです。
不倫の事を例に挙げてみると、(善悪は置いておきましょう)
不倫をする人がみんな全く同じような事を言い、同じような行動をする、
そしてみんな同じ動物霊が憑依している。
動物霊(霊的プログラム)は因縁のお相手と一緒になりたい、一番に愛されたい、執着心、交尾したい
相手に夢中で旦那や妻や自分の子どもを蔑ろにする意識、逆に家族を裏切る罪悪感、周りにバレる恐怖心etc
そんな感情や衝動の元型な訳です。
ヒトはどういう選択、どういう結果を辿ろうと、その巨大な魔物と立ち向かう事を求められているんですね。
逃げ続けるだけ何度でも同じことを繰り返し、同じことで苦しむ訳です。
罪悪感や恐怖心からくる性のエネルギーの衝動や相手への強烈な執着心を乗り越える為にいずれ自らと向き合わなければいけなくなる時が来る。
自分の感情を紐解いていくとあらゆる動機につながる未浄化な感情的経験、トラウマが必ず存在する。
それを認識すること、感情的昇華を通して魔物を退治する(プログラムがクリアになり離散して消えていく)
そうやって人生を通して感情的経験を積んで成熟させていく事を求められているんですね。
そう、だからヒトは種の保存の為にヒトという種を脈々と繋いできた存在ではなくて、
種の保存の為の美しく、同時に残酷な合理的な本能的プログラムを超えで魂を成熟させ調和を外れた所で世界を創っていく為の種族なんだろうと。
だからこそ浄化が必要で、浄霊をする為には内観をすることが絶対に必要なんですね。
いつだって私たちの世界は破壊と衰退の狭間にいる訳だけど、
調和といういつまでも同じように完璧に美しくクルクルと回っている存在ではないからこそ、
様々なものを生み出せる存在なわけで、
生み出す動機が破壊的であれば招く結果は危機であり、生み出す動機が退廃的であればそれだけ私たちは衰退に向かっていく。
様々な経験を通してその時その時選択し、結果を通してまた学んでいく、ヒトとはそういうことを本来求められている存在なんでしょう。
そんなとりとめのないふんわりしたお話でした