私が子供の頃
阪神淡路大震災で体験したお話しです。

良い人の方が多かった。

マクドナルドの従業員の方が
あの日、無料でパンを配っていました。

今回は以前に投稿した補足の投稿です。

良かったら読んでみて下さい↓ニコニコ
あの日は地球が壊れちゃうんじゃないかと
思うくらい大きな揺れで目覚めました

全てのライフラインは止まり
あの頃は今ほど災害対策が充分では
なかったのだと思います。

政府も大人も知識不足で準備不足でした。

何が起こっていて、どうしたらいいか誰も
分からなかったんだと思います。

数人の大人が協力して
鍵のかかったスーパーのガラスの自動扉を
無理矢理こじ開けて入ろうとしているのも
見ました。
スーパーの人に怒られてすぐ退散

魚肉ソーセージを1本5000円で売ってる
人もいたり。

子供だった私はそれらをジーッと
見てるだけでした。


今なら救援物資がその内に届く事を
知ってるけど、あの時の大人はみんな
多分忘れてるのか
知らなかったのかもしれない。

そんな中

店舗の付近でマクドナルドの従業員の
男性の方が
一生懸命大きな声で呼び掛けてました。

「パンしかないですが
パンを配ってます!」

「たくさんの方に
配りたいので1人1枚で
お願いします!」



パンを無料で提供

慌てず並ぶように促しながら
とても大きな声で一生懸命説明してました。

なので落ち着いた行列が出来てました。

マクドナルドの方々も被災者です。
お店に居る時に地震にあったのかも
しれません。

家族が居れば安否が心配だったでしょう。

もしかしたらパンを出した途端に
騒動が起きて盗まれたり、怪我人も
でるかもしれない。

襲われるかもしれない。

私が気になってたのは
マクドナルド本部の指示だったのか、
本人の判断だったのか。

あのひどい状況を考えると
本部からの指示の線は無さそうだけど、
でもあんな時に
マクドナルドの従業員として
パンを配ろう!
と決断できるものなのかなとも思える。

ただでさえ地震後のあの恐怖という中で
そんな人いるんやろうか真顔

何故かふと思い出すし、その勇姿がずっと
気になってマクドナルドさんにメールで
問い合わせしました。


結論

あの時の事は詳細が分からないから
確認が出来ない
との事でした。

30年も前だしそうよね‥うんうん

でも私の問い合わせに何とか答えようと
してくれたんだと思いますおねがい
もうひとつ返答がありましたダウン


誰も経験のしたことの無い状況下でしたので、
マクドナルド本社の指示というよりも店舗従業員が考え対応を行っていたと考えられます。


やっぱりそうだったのか~


私の検索ではどこを検索しても画像も

情報も残ってませんでした。


でもこんなに良い事をした方が

何も残らないのはさみしい悲しい


上記の絵はその時の記憶を簡単に

描いたものですアセアセ


確かこのような感じでした。

もっと色々描ければ良かったのですが、

私の記憶の限界です滝汗


分かりにくかったらごめんなさいお願い


あの頃は今のように携帯なんてなかったから

情報が多くないなと感じました。


写真もカメラマンの方が地震後に

落ち着いてから撮ったであろう現場写真

が多いかもしれません。


当時、私が避難してた所にカメラマンの

方が来て色々聞いて来たのですが、

もしかしたら危険な人かもしれないと

思って親がインタビューに答えるのは拒否

してました。


せっかく残ってた白い一戸建てが

放火されて真っ黒焦げになってた事件なども

あったので。


うちの親のように警戒してインタビューに

答えない人もいただろうから

余計に小さな話は残ってないのかも

しれないんやろうな~


あの震災の時に色んな人からの

心温かい親切は今でも覚えてます。


軽の車で家族全員がすごすのは大変

だろうと学校の運動場にある備品庫を

生活出来るように明け渡してくれたり、


まだ物資が来てない状況の1月の寒い中

知人の方がふかふかの毛布をくれたり


自衛隊の方が仮設のお風呂を作ってくれたり


あとは、

しばらくすると楽しいものを見れないのが

辛くなってました。

テレビっ子だった私は夜の夢を見るのが

楽しみになってました。


夢をテレビの代わりにしてたんです。


夜は寒くて寝れない


夜は暗い、寝るとこも狭い


何で遠い無事な人達は助けに来て

くれないんだろう‥


いいな、家でテレビ見て、ご飯たべて、

お風呂も入れて


スーパーマンはいないんだな~


と夜は色々考えてしまうようになってました。


しばらくするとラジオをもらえました。


鶴瓶さんのオールナイト日本を夜に

聞いてたのを覚えてます。


「頑張れぇ~!頑張れぇ~!」って

言ってくれてた。


親にばれないように毛布の中で

泣いてました。


今は子供がいて、次は守る側に。


もう地震を体験するのも、させるのも

嫌だけど


そうなった時は、あの時に助けてくれた方々

のようにいたいと思います。



そして、大きな地震にあった方へ


募金という形でしか、協力ができなくて

申し訳ないです。


1日も早い復興を心より願っております。


最後まで見ていただき

有難うございましたニコニコ


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