




誰も経験のしたことの無い状況下でしたので、
マクドナルド本社の指示というよりも店舗従業員が考え対応を行っ
やっぱりそうだったのか~
私の検索ではどこを検索しても画像も
情報も残ってませんでした。
でもこんなに良い事をした方が
何も残らないのはさみしい
上記の絵はその時の記憶を簡単に
描いたものです
確かこのような感じでした。
もっと色々描ければ良かったのですが、
私の記憶の限界です
分かりにくかったらごめんなさい
あの頃は今のように携帯なんてなかったから
情報が多くないなと感じました。
写真もカメラマンの方が地震後に
落ち着いてから撮ったであろう現場写真
が多いかもしれません。
当時、私が避難してた所にカメラマンの
方が来て色々聞いて来たのですが、
もしかしたら危険な人かもしれないと
思って親がインタビューに答えるのは拒否
してました。
せっかく残ってた白い一戸建てが
放火されて真っ黒焦げになってた事件なども
あったので。
うちの親のように警戒してインタビューに
答えない人もいただろうから
余計に小さな話は残ってないのかも
しれないんやろうな~
あの震災の時に色んな人からの
心温かい親切は今でも覚えてます。
軽の車で家族全員がすごすのは大変
だろうと学校の運動場にある備品庫を
生活出来るように明け渡してくれたり、
まだ物資が来てない状況の1月の寒い中
知人の方がふかふかの毛布をくれたり
自衛隊の方が仮設のお風呂を作ってくれたり
あとは、
しばらくすると楽しいものを見れないのが
辛くなってました。
テレビっ子だった私は夜の夢を見るのが
楽しみになってました。
夢をテレビの代わりにしてたんです。
夜は寒くて寝れない
夜は暗い、寝るとこも狭い
何で遠い無事な人達は助けに来て
くれないんだろう‥
いいな、家でテレビ見て、ご飯たべて、
お風呂も入れて
スーパーマンはいないんだな~
と夜は色々考えてしまうようになってました。
しばらくするとラジオをもらえました。
鶴瓶さんのオールナイト日本を夜に
聞いてたのを覚えてます。
「頑張れぇ~!頑張れぇ~!」って
言ってくれてた。
親にばれないように毛布の中で
泣いてました。
今は子供がいて、次は守る側に。
もう地震を体験するのも、させるのも
嫌だけど
そうなった時は、あの時に助けてくれた方々
のようにいたいと思います。
そして、大きな地震にあった方へ
募金という形でしか、協力ができなくて
申し訳ないです。
1日も早い復興を心より願っております。
最後まで見ていただき
有難うございました