遂に、短期集中型レッスンが終わった。
これから1人、地元での独学にシフト。
茨の道は続く。


今日もけたたましく吠え続ける、
お向かいさんの犬。
枯れた声も回復して、ギャンギャンと吠えまくる。

本当に無理で仕方なくなり、ホテルに泊まったり、マンスリーマンションで過ごしたりもした。

調和を掻き乱す、暴力的な声。
こちらの精神はズタズタだ。


そして、明日からレッスンも無くなるので、
地元一色の生活。
さて、どうしよう。

と悩んでいたら、フと思った。
お向かいさん達の非情な言動によって、
自分が成し得たことを。


私は、お向かいさんに犬の騒音で殺されると思い、
何とかしなくてはいけないと頭を捻りまくり、
1番会いたかった人の元に行った。
とても尊敬している人格者であり、私の人生の師匠だ。
遡ること10年前、師匠の元に行く機会があったのだが、今は「時」ではないと思い断ったことがある。

なので、それから10年後、犬の騒音で心身ともに弱り、死ぬ前に行かなければいけない場所に行っておこうと思い行った。
死ぬのはその後に考えようと思って。


もし、犬の騒音の件がなければ、私は師匠の元にはまだまだ行っていない。ずっと先延ばしにしていたはずだ。何故ならば、直接会っても、会わなくても、人生の師匠ということには代わりがないので、会うことに執着がなかった。


でも、師匠の元に行ったことで、沢山の心の財産を獲得して帰ってきた。お金では買えない心の宝を。


では、この宝を積んだのは、何が原因か。
それは、騒音に屈せずに「師匠」という希望に自分を傾けたからだ。
無謀さながらのレッスンを恥を偲んで挑戦したこともそうだ。
愚人と同じ言動に汚れ堕ちる方を選ばず、
美しい精神の人達に向かってダイブしたからだ。


そして、この愚人行動軍団に縁したこと自体が、心の財産を詰む要因そのものでもあったとも感じた。
騒音問題は絶対に許されない問題ではあるが、どうしても解決に繋がらない。
最悪な事態。
でも、それがあったから黄金の経験を師匠の元で詰めた。師匠の元に、私を押し出したとも考えられる。
決して愚人行動を肯定するわけではない。
騒音で重大な心身被害を与え続けられている人々は、今も存在するし、もちろんNO!だ。


死にそうな程辛いのに全てに見放されたときの、ピンチをチャンスに変えた事実を今後の自分のために書き残しているだけだ。
もし、師匠の所に行かずいつも通り騒音被害にのたうち回るだけの生活だったら、いのちホットラインで話を聞いてもらいながら、なんとか心を落ち着かせていただろう。それとも、今頃もう本当に気がおかしくなっていただろうか。
師匠に会ってからは、いのちホッとラインに頼らず日々を送れている。


今は、最悪な出来事が最高の出来事に転換されたように感じれている。
今は、生きることをもう少し続けられる気がする。


お向かいさん達は断固変わらないが、
私は変わってきているようなきがする。
良い方に。
お向かいさんが主の地獄に、花畑を造れるような気がしている。