次男の発達が気になったのは、1歳頃から。
昨日、今日、明日などの時系列の理解が難しかった。区切りがなく繋がっている。
質問の意味が分からず、答えが支離滅裂だったり…人の気持ちを理解するのが難しかった。
しかし、言葉を覚えるスピードは、早く語彙力はあった。
意味は理解していない、音で覚えている単語も多くあった。
感情のコントロールが難しく、暴れたり、パニックになったり、衝動的に手が出たりと…悩みがあったが、検診でも引っかからず、年少の時にも専門の方にみてもらっても、様子見ましょうとの事だった。
自分で工夫するしかないなと思いながら、試行錯誤し年中の際に、もう一度見てもらった。
結果は支援が必要!
やっっと分かって貰えた!とホッとした。
私はADHDだと思って声掛けしていたけど、自閉症だと言われたのはビックリした。
これで適切な支援を受けられる事に安堵もした。
そして、保育所等訪問支援に至る。
手続きは、障害福祉課にて手続き
その日の内に手続きしに行った
私としては診断が欲しかったので、大きい病院で発達検査もしてもらった。
結果は『自閉症スペクトラム』
知的な遅れはなく、感覚過敏と繊細さんもあわせ持つので、周囲からは、分かられにくい。
本当に自閉症?と疑われる事もある。
でもたくさんの困り事があって、彼には、まぁいいかと思う事が、極端にないのだ
100か0か。
白か黒か。
考え方が極端だから…登園拒否を選択してしまう部分もある。
年中までは、泣いたりも無かったし、楽しんでいると思っていた
長男が卒園した辺りから不安な様子が見られたが、徐々に順応した。
頑張ってたんだろうな…。
心が折れたのは、年長になった4月
はじめの一週間は頑張り、
行きたくないと…泣きじゃくる…
そして吐くこともあった。
登園拒否の始まり。
始めは数日だろうと思っていたが…そんな甘いものでは、無かった
押したり引いたり、誘ったり一緒に行ったりしながら、始めは1時間とかから慣らした。
徐々に午前中、給食後、お昼寝、1日と伸ばして行くけど、順調に進む事はない。
ちょっと前進しては、また後退しの繰り返し。
教室で過ごすのが難しい為、事務室で過ごす日もあった。
中々難しい1年でとても濃かった。
月に1回、保育園の主任、支援の先生、私の3人でミーティング!
正直…登園してない園に行くのは、しんどかった。
食べてない給食、毎月給食費を渡しに行くのもしんどかった。
1番しんどく傷ついてるのは次男だなと言い聞かせながら、何とかやれた。
コロナも落ち着き出して、たくさんの行事が出来るようになったけど、次男に関係なく、参加するのは難しかった。
無理強いもしなかった。
というのは、身体に症状が強く出始めたからだ。
吐くことが多くなった。点滴もした。
自家中毒ぽくなっていた。
私も腹をくくった!
もう保育園は行けるようになるまで、休ませる!
主人ともたくさん、たくさん話し合った😊
主人も同じ気持ちでいてくれた。
そして、10月
運動会は参加できた🙌
また登園拒否
そして1月
時間は短いが行けた!
2月
1日居れる日も増えてきた!
3月
ほぼ1日居れた!
この間も休むことはあったけど、登園し、保育園に居れる事が、こんなにも凄い事なんだと改めて感じた!
私は当たり前だと思っていたから…
そうじゃなかった。
行くだけで、充分なんだ!と言う事に気付けた
登園拒否の原因は1つではない。
保育園の先生は母子分離不安症があるのでは?と心配してくれていた。
実際にあったかもしれない。
次男は6ヶ月から保育園に入園したから…。
もっと一緒に居てあげたら良かったと後悔した。
フルタイムや、正社員で働いてきたけど、
現在、扶養に入る選択をしたのは間違ってないと思う✨
私が大事にしたいのは、家族だから。
小学校のうちは、子どもとしっかり向き合いたい。
今までよりも収入も減り、工夫しないと厳しいけど、心は今が1番豊かだ!
今が1番幸せだと思える
登園拒否を乗り越えたから、感じれた事なのかもしれない
続く