はじめに
第2次世界大戦に突入する直前の、時代背景の下で行われた講演録である、『経営者の役割』の刊行から80年近くが経った。この間、バーナード理論が先駆的[1]で複雑すぎたためか、後継者[2]たちはオペレーショナルな理論構築のために、バーナードによる概念の範囲を、意図的に狭めて目的を達成した。ただ、それがバーナード理論の動態性と、今日的課題に対する適用範囲をも、狭めてしまった感がある。この点について、本稿では、バーナード理論の全体をなぞるのではなく、重要と考えられる論点のみを、列挙してみた。
バーナード理論は所有と分離した専門経営者の「正統化」を、「行為規範」や「責任の創造説」を基礎とする「リーダーシップ」論として展開したという意味では、かなり初期のものに属する理論である。80年近く経った現在でも批判に耐えているところも、その「現代的意義」の一つだろうと考える。
バーナードは、ヘンダーソンから指摘された、(1)表象(symbolize)および擬人化(personify)を容易にする為に貢献者(contributors)を表現すべく、「人間と協働体系」を含めて説明可能性を高めること、(2)前半と後半との間に、概念と理論の差がある事を「序」で示すという提言を、(自分の考えとは違うと、拒否しながらも、)主著に取り入れていった。[3]これにより議論が複雑になる反面、これまで存在しなかった公式「組織」概念は動態性をえて、それなりの効果があったと考えられる。
バーナードは当初、ローウェル講演のタイトルとして、「管理執行過程の性質」(The Nature of the Executive Process)[4]を考えていたが、ヘンダーソンの提言により、第2章の挿入によって、「個人と協働」(部分と全体)という二つの基本的な視点軸が設定され、第5章で「管理執行者」というもう一つの重要な視点軸が明確になり、題名も「管理執行者の諸機能」に変更されたのである。[5]ただし、理論は複雑かつ難解になった。
「管理者の職能」(the function of executive)とは「行為の調整」(the coördination of action)である[6]。バーナードは、組織の科学の発展が、管理技術(executive arts)と、協働一般の発展に重要であると信じて『経営者の役割』(THE FUNCTIONS OF THE EXECUTIVE)を著した[7]が、これらを直訳すると、『管理執行者の機能:(執行技能による)、協働の調整』となろう。その概念構成は、現代に至るまで先進的なものである点が、その現代的意義であると言えると考える。ただし、それ迄なかった概念の、時代的背景を伴った訳出の過程で、誤解も広がった面も見逃し得ない。
また第15章「管理執行職能」では、「管理執行職能、すなわち他の人々の活動の調整」[8] (the executive function, the coördinatation of activities of others)と述べている。1938年当時にはマネジメント[9]は一般的ではなかったのか、従来型企業理論と差別化すべく、あえて、対象を異にする「執行者」(executive)を使ったのであろう。さらに、「技能」(arts)が技術と訳されたことも、のちに誤解と混乱を招く元になった。ちなみに1948年の論文集は”Organization and Management”になっている。
バーナードは、晩年に行われたインタビューで、「人間関係論」とパレートから、距離を置く発言をしており、[10]まさにそれらを超えようとした意図が感じらとられるし、本稿1,(2)で述べるように、パレートの「残基」について明らかに、ヘンダーソンら一般とは別の、独自な捉え方をしており、一線を画している。さらに本稿4,(2)で紹介する、「道徳を創造する『公式組織』」と、「対立の具体的解決の発明をする『リーダーシップ』」という概念もオリジナリティが高い。バーナードは、法律至上主義を批判して「権限受容説」を唱え、経済至上主義を廃して「全人仮説」[11]を立てている。
さて、バーナードは「機会主義」[12]や「誘因の経済」など、コモンズからアイデアを得ているし、「組織成立の三要件」も、コモンズの影響を受けたと考えられる。コモンズの「共通の行動準則」(common working rules)と、バーナードの主著前半[13]の「組織論」で扱われた「コミュニケーション」[14]や,主著後半の「リーダーシップ論」における「道徳準則」[15]を関連付けて考察すると、概念の新しい展開の可能性があると考えられる。 組織の定義、「二人以上の人々の意識的に調整[16]された活動や諸力の体系」(a system of consciously coördinated activities or forces of two or more person)にあるウムラウトも、ヘンダーソンからの、「個人と協働」を概念に含めるべきだとする変更要求や、それに応える過程での,コモンズの集団行動理論からの影響を示しているのではないかと推察される。[17]
バーナードは、組織成立の三要件として「目的」、「協働意欲」「コミュニケーション」を挙げ、機会主義の観点から、組織存続の二必要条件として、「効率」、「能率」をあげる。これらの過程でコモンズをアイデアの源泉とした引用、言い換えや、再解釈がバーナード理論の特徴の一つになっていると考えられる。[18]詳しくは、本稿4,(3)で述べる。
バーナードは主著で、「全体状況感」(a sense of a situation as a whole)[19]や、「組織感」(the sense of organization)[20]を重視している。また、コーエン=マーチも、「組織ルーティン」に基づく組織学習に重点を戻して取り組んでいる。
最近、人工知能(AI)の、パターン認識や、自動運転の強化学習に関して、大量の事例を記憶、学習させる「ディープ・ラーニング」の研究で、部分の総和とは異なる「全体観」とか「直感」が現れるという研究が成果を収めている。ただし、「ルール」発見により、実用化が可能になることの理由が、ブラックボックス化するという問題も指摘されている。
バーナードも、当時の最先端だったゲシュタルト心理学や脳科学から、「直感」;部分の総計とは異なる「全体感」、「責任=個人道徳準則」が協働や管理過程に与える影響の重要性を説いており、ひいてはマーチ=サイモンの「認知論的意思決定」に影響を与えた。これら「非論理的思考過程」、「直感」は現代の知見を先取りしていたとも言えるのではなかろうか。
バーナードは、当時の最先端だった現在のA.I.の前身である、脳科学や通信理論を研究して、「直感」、部分の総計とは異なる「全体感」、「責任=個人道徳準則」が協働や管理過程に与える影響の重要性を説いており、ひいてはマーチ=サイモン、また、その後のマーチによる「認知論的意思決定」に影響を与えていた。これら「非論理的思考過程」、「直感」は現代の問題を先取りしていたとも言えるのではなかろうか。これについては本稿4(5)で述べる。
このようなバーナードの「非論理的思考」[21]における「直感」[22]が、ヘンダーソンが強調した「ヒッポクラス的手法」や、コフカらによるゲシュタルト心理学の「全体感」に対応していることが知られている。これらがまた、近年のAI(人工知能)研究における「ディープ・ラーニング」や「全体観」を先取りしていることを本稿4(6)でのべる。このことも、その「現代的意義」の一つといえるだろう。
次に、バーナード=マーチ理論について述べる。
眞野脩は、サイモンの誤解、誤謬として次のように述べている。[23]
「バーナードの場合に重視された組織の機能即ち、効用の『創造』、『変形』、『交換』の機能がほとんど考慮されていない。」
「交換に際してバーナードが重視した,組織と参加者の間に見られる、評価の相違による両者の満足(能率)の確保という,視点はサイモンにおいては触れられないで終わっている。」として、両者の対象領域が異なっており、バーナードは、「行為準則」、「行動智」を重視するのに対し、サイモンは「機会主義的側面」に限っており、「創造的能率概念」や「組織経済(機能)の概念」は、検討対象から除外される事になってしまったと述べる。
従って、サイモンが『経営行動』において「組織の均衡」と題して論述し、さらにマーチとの共著『組織論』において「組織均衡についてのバーナード=サイモン理論と呼んだものは、バーナードの立場からすれば、重大な誤解によるとする。
また、この点に関連して庭山佳和は次のように述べている。「戦略論の基礎理論である組織論、とりわけ意思決定理論においては近年、圧倒的影響力を持ったサイモン理論からの脱却がみられ、合理的意思決定研究の見直しが始まっている。、、、不合理、非論理、矛盾に由来する“あいまいさ”に踏み込んで、組織の意思決定を理論化したマーチ=オルセンの「ゴミ箱モデル」もその一つである。この理論が妥当する領域はかなり限定されようが、その問題意識はバーナードにやや近いものをもっている。この“あいまいさ”に通じる“混沌”、“ゆらぎ”、“不均衡”などを積極的に評価する自己組織理論が組織研究でも強くなってきたが、バーナード理論にこの原型を見出すことも無縁ではない。」[24]
バーナードの後継は、カーネギー学派のサイモン・サイアートとみられる議論が多かったが、バーナードとサイモン、更にサイモンと計量経済学のサイアートや新制度派経済学のウィリアムソンとの理論上の確執を見るとき、これら全行程を貫いて残るのは、マーチの「あいまい性下の決定理論」であると考えられる。またこのように考えるとバーナード=マーチ理論という括りが出てくる。これについては、本稿4(5)、4(6)で述べる。
政治学者、詩人でもあるマーチの「ゴミ箱理論」における、あいまい性の「組織化された無政府主義」(organizational anarchy)という理論だては、バーナードの非論理性の議論を直接引き継いでいる。また、『新制度派』を標榜した,「やわらかな制度」[25]はワイクの「ルース・カップリング」[26]を元にしている。ゴミ箱モデルもまた、組織行動を分析するための初期のエージェント・ベース・モデル(Agent-based modelings ; アクセルロッド=コーエン)であると言われる。
1972年の論文[27]では、Problems, solutions, decision makers, choice opportunitiesという4つの独立した流れがエネルギー経済を通じて,Oversight、problem resolution flightという3つの形で働き、その結果8つの有名な知見(本稿4(6))が得られる。
なお、この「ゴミ箱理論」を用いて、日本の大企業内の意思決定を説明する研究としては、リン[28]による製鉄産業における新技術の導入、および高橋[29]による訓練費用としての「やり過ごし」等の実証研究がある。また、海事への応用も興味深い。[30]。
以上、バーナードが強調する非論理的思考が現代的展開をとげ、概念的枠組みとなっていく予兆が見られるのである。