こんにちは😄ひーです🙏
最近、フと気づいたのが

一年前は
InstagramもYouTubeも
自分がしているとは思っても
見なかったです😅

昔、漫画の巨匠
萩尾望都さんが
「ようやく自分の表現する場を見つけた」とお話しされてたそうですが

私もカードリーディング動画を撮影する内に

「やっと自分を出せる」と
嬉しいような安堵感にも似た感覚もあります😄

「好きな事は何ですか?」と聞かれたらば

そこそこ枠内の当たり障りのない「好き」を私の脳内が選んで答えると思います😄

でも何も臆する事なく答えるならば
「見えない存在達との対話です」と答えると思います

答えた時にすぐさまに
「夢みこちゃん」「現実を生きてない不思議な人」と世間一部かも知れませんが
「相手」の想いを言葉を想像する私もいると思います😄

だから私はきっと
そこそこの
当たり障りのない回答をするのだと感じます

でも心の声は

ようやく今まで一緒に居たであろう存在さんと存在さん達と
YouTubeと言う世間に発信する公の場で現実に「対話」する場が出来たのは
私にとっても大きな喜びでした

昔、こんな事がありました
気付くと寝ている私を見ている
もう一つの「目」としての自分がいました

そのもう一つの目は
意味付けせずに
もの凄く静かな心持ちで
ありのままを見ている「目」としての自分

その自分を私は「よく知っている ずっと共に居た」と言う感覚もあり

私は寝ている私を見て
「もう直ぐ起きる」と見ていました

起きた時にはいつもの
自分の感覚に戻っていました

ああ私達と言う存在は
「個」と言う存在でもあるが

「複合体」でもあるのだなと
改めて感じさせて頂きました

私のこの肉体ないし
気の塊の母屋としてみるならば

様々な自分がいる

時々夜勤中に
「あ!違うのが付いた」と感じた時はこの私と言う複合体に
憑いてきた事になる

だから
「暫く一緒に仕事をしましょうか?キツいですよ〜」と心で囁く

父も同じような事を言ってたのですが

(あ!父は超現実思考の方でもあります😄)



「ずっと憑いている事は出来ないからそのうち 何処かに行くからね」

私も全く同じ感覚があります😊

本来ならば
複合体である「個」の霊的磁場を形成している
凄まじい流れで纏っている
「気」に全く違う存在が
ずっと居座るのは無理があると

私は「知っている」と言う感覚もあります😄

それほどまでに
「個」としての人間は
本来凄いものなんだと
その様に感じてます

「意識」により
自己磁場の流れも変わる

「意識」とは魔法の杖で
もしかして舟のオールのようなものかも知れない

悪い良いは
私達の意識の枠組みが決めて判断しているものなんだろうけれど

本来の「私達」は知っている

そうでないと言う事を

だから見えないオールと言う「意志」を使い

この大きな全体と言う大海原に
流れを感じながら
オールを手にとり舵を切る

そんな感覚が浮かんできた
今であります😊


ありがとうございます🙏