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ブリア サヴァラン
1755~1826 司法官 美食家

教授のアフォリスム

1.生命がなければ宇宙もない.そして生きとし生けるものはみな養いをとる。

2.禽獣はくらい、人間は食べる。教養ある人にして初めて食べ方を知る。

3.国民の盛衰はその食べ方いかんによる。

4どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間であるかを言いあててみせよう。

5.造物主は人間に生きるがために食べることを強いるかわり、それを勧めるのに食欲、それに報いるのに快楽を与える。

6.グルマンディーズはわれわれの判断から生まれるので、判断があればこそわれわれは、特に味のよいものを、そういう性質を持たないものの中から選びとるのである。

7.食卓の快楽はどんな年齢、身分、生国の者にも毎日ある。他のいろいろな快楽に伴うことも出来るし、それらすべてがなくなっても最後まで残ってわれわれを慰めてくれる。

8.食卓こそは人がその初めから決して退屈しない唯一の場所である。

9.新しい御馳走の発見は人類の幸福にとって天体の発見以上のものである。

10.胸につかえるほど食べたり酔っぱらうほど飲んだりするのは、食べ方もの味方も心得ぬやからのすることである。

11.食べ物の順序は、最も実のあるものから最も軽いものへ。

12.飲み物の順序は、最も弱いものから最も強く香りの高いものへ。

13.酒をとりかえてはいけないというのは異端である。舌はじきに飽きる.三杯目からあとは最良の酒もそれほどに感じなくなる。

14.チーズのないデザートは片目の美女である。

15.料理人にはなれても、焼肉師のほうは生まれつきである。

16.料理人に必要欠くべからざる特質は時間の正確である。これはお客さまのほうも同じく持たねばならぬ特質である。

17.来ないお客を長いこと待つのは、すでにそろっているお客さま方に対し非礼である。

18.せっかくお客をしながら食事の用意に自ら少しも気を配らないのは、お客をする資格のない人である。

19.主婦は常にコーヒーの風味に責任を持たねばならず、主人は吟味にぬかりがあってはならない。

20.だれかを食事に招くということは、その人が自分の家にいる間じゅうその幸福を引き受けるということである。

関根秀雄訳

 

 フランスの美食を思い起こす時、まず浮かぶのがこのブリア=サヴァランの名だろう。特に食文化やフランスに興味を持たないものでも、彼の書いた「味覚の生理学」または「美味礼讃」の書名や、そしてこの20のアフォリスムの一つ、二つ、きいたことがあるかもしれない.そしてこれらの言葉は今日でも全く輝きを失っていない。

 ブリア・サヴァランは1755年4月1日、リヨンとジュネ-ヴをつなく街道の途中、ブルゴ-ニュ地方にも程近い街、ベレ Belleyで生まれた。彼の家は代々司法官や弁護士をしており、彼もその道をすすむ事になるが、音楽にも興味を持ち、特にヴァイオリンはかなりの腕だったらしい。彼は一族の伯母の一人から「サヴァラン」という名を継ぐと言う条件でその財産を譲り受ける。
 23歳でディジョンに行って法律を学び、学位をとって故郷に帰り、弁護士となった.1789年、大革命勃発、彼は故郷の人々に選ばれ、ヴェルサイユの立憲議会に代表として派遣され、その後、アン県に新設された民事裁判所長官、続いて大審院判事となる。
 しかし革命が進むにつれ穏健派であったブリア・サヴァランは次第に王党派とみなされるようになり、1793年の夏、ギロチンの嵐の中、革命裁判所に引き出され、あわや処刑というところまで行った。すんでのところで、旅行許可証を得た彼はケルン、そしてスイスに亡命する。この旅行許可証を得る経緯は味覚の生理学「ヴァリエテ23」にサヴァラン自ら書いている。
 そのスイスにも長くは居られず、アメリカに渡り、ニューヨークに落ち着く。そこで彼はオーケストラでヴァイオリンを弾いたり、フランス語教師として生計をたてる。
 1796年、フランスへの帰国の許可がおり亡命者リストから名前が削られる。その時ブリア・サヴァランは全ての財産を失っていたが、総裁政府で駐独共和国参謀秘書となり、司令部の食卓係に任ぜられ、進軍する先々で御馳走を調達する係となる。そして1800年、ナポレオンがエジプトから帰還した後、再び大審院の判事となり、以後、終世その職にあった。

 生涯独身で、亡命時代を含む一時期を除いて、パリの最高の食卓につき、自らも厨房に立ち腕を振るったという。
 サヴァランの有名な著作「味覚の生理学」は彼が高級官僚として悠々自適の生活を送っている時に書かれ、彼の死の二ヶ月前に匿名で出版された。原題は,

Physiologie du gout ou Meditations de gastronomie transcendante ;
ouvrage theorique,historique et a l'ordre du jour,dedie aux gastronomes parisiens par un professeur,membre de plusieurs sosietes litteraires et savantes.
「味覚の生理学、或いは超越的美食学の瞑想ーー文学、科学の学会の会員である一教授によるパリの美食家に捧げられた理論と歴史と日常の問題を含む書」

という非常に長いものである。
 この書の第一部で、彼は味覚、食欲、美食学、グルマン、グルマンディーズなどの定義を行い、また種々の食べ物、特に、ポ・ト・フー、ブイィ、トリュフ、砂糖、コーヒー、チョコレートなどの考察をし、ダイエットと休息、肥満のについての考察、死、そして料理の哲学史、ボ-ヴィリエなどの料理店主についても記述している。残念ながら、お菓子についての記述は特別にはない。
  第二部のヴァリエテは彼の食に関する種々の思い出がかかれているが、亡命時代の思い出についても触れられている。

 この「味覚の生理学」に関しては、古今の美食家、研究者が一様にその功績を認めるものであるが、数々の疑問も呈されている.確かに20のアフォリスムにはインパクトがある.しかし、本文にはまとまりに欠けるところも多々あり、一説には死期を悟っていたブリア=サヴァランが出版を急ぎ、未完成品のまま世に出したのではないかとも言われている。

「味覚の生理学」は出版されるや評判となり、以後再版を重ねることになる。
 サヴァランと同時代の美食家にグリモ・ド・ラ・レニエールがいる.サヴァランとグリモの二人がフランスのガストロノミー エッセイの分野を作り上げたといってもいい。かたや、グリモは同時代のガストロノームたちに常に情報を発信し続け、同時代の食文化に多大に影響を与た.かたやサヴァランは、死の直前まで美食に関する発言を公表することはなく、彼が「味覚の生理学」の中に書いた事柄は時の経過というフィルターを通してある一定の普遍性をすでに備えていたともいえる。それゆえ、「味覚の生理学」が再版を重ねたのとは対照的にグリモの著述はガストロノミーの研究の分野ではサヴァランとは比ではないくらい重要視されているにもかかわらず、あまりに同時代的であり過ぎたため、ほとんど再版されなかったのではないだろうか。
 サヴァランの文章は、軽妙、洒脱、ときにユーモラスでもある。しかし、グリモの一種の激しさに接すると、何だ、ただの蘊蓄オヤジじゃないか、と思ってしまう時があるのは「食聖」に対してあまりに失礼であろうか。