
「上級」を選択した理由は、子どもに関する救命は、このコースのみであったことにある。
受講動機は、いくつかあった…。
①「0歳から100歳までの生涯発達支援」を掲げ、様々な活動を日常的に展開する上で、幅広い年齢層の利用者に起こる不測の事態にも、なにがしかの適切な対処が出来るようになりたかった。
②高齢化が進む町内にて、高齢者世帯において、散歩中の横転による怪我、誤飲による死亡、浴室内の水没死などが多発するようになり、地域交流においても、救命士としての学びを活かしたかった。
③通所する子どもたちの家族に、必要な予防知識や対処を伝え、自らも、必要とされる救命行為を行えるようになりたかった。
④20年前に他界した父の死因が、脳梗塞であり、家族として、発症直後の迅速な対処が出来なかったことの後悔があった。
講義は、朝から夕方までの1日を通して、理論と実践を学ぶ。
近年の死因傾向、発症予防等は、対象年齢によって異なり、発症後の対処も様々であったが、特に、「心肺蘇生」に必要な実践は、実際に自分で行わなければわからないことが多く、大変学び多き時間となった。
救命処置…。
医者であった父が、倒れた日まで尽力していたことは、救急隊が病院に搬送する車中にて、救命処置を行うことを、法令で認める主張だった。
「人の命を救うためには、
一分一秒が勝負のこともある。
病院に到着するまでに、
医者が患者を迎えるまでに、
救急隊が、
出来る限りの対処を患者に施せるシステム、
それを作らなければ、
助かる命も助からない。」
その頃は、まだ救命処置は、医者のみに許された医療行為であり、救急隊は、患者を受け入れる病院を探し、搬送することが業務とされていたらしい。
父が、医療関係者の会合から帰宅して、
「そんなバカな話があるか⁉それで人の命が助かるなら、やれることをやるのが人間だろう‼できることがあるのに、やれないなんて、患者の身になって考えりゃわかるじゃないか‼」
と、仕事の話は、滅多にしなかった父が、
大層苛立って話してくれたことを思い出す…。
今では、救急車が来れば、許された範囲による救命処置をしていただけるが、
それは、時代とともに、
私たち一般市民もまた、自助力を高め、他者への救命知識と実践をもって、「命を救い、命を守る」ことの必要性を認識するべき時がきたのかもしれない。
いつ、なんどき、災害が起こるかわからない。
そのとき、
目の前に倒れた人に、なにがしかの救命処置が出来たなら、
きっと、救われる命もあるだろう…。
今朝、講義に出かける前に、
私は、父の遺影に
「私にできること、人の命を救うための学び」
について、あの日の父を浮かべながら、
手をあわせて思った…。
無事に講義を終えて、認定証をいただき、
講義を担当してくださった救急隊長に、
お礼のごあいさつをしたとき、
私の活動内容をお伝えし、子どもたちの家族や、近隣の方々にも、救命講習を受講することをお薦めしたいと話し、今後も機会があったら、ご指導いただきたいとお願いしたら…。
隊長から、私の住む地区、名前を聞き直され、
「その地区は、20年前、配属されていました。あなたと同じお名前の方を知っています…。」
私は、「私の父は、医者でしたが…。」
隊長が、「あなたは、もしかして、娘さん⁉」と驚かれた。
私が頷くと、
「院長先生が倒れられた時、
病院に搬送したのは、私でした。
救急隊で、院長先生の名前を知らない者はいません。院長先生は、患者の受け入れを絶対に断らなかった。本当にありがたい病院でした。」
私は、涙が止まらなかった。
あの日のことを知っている方に、
20年ぶりに、ようやく会うことができた…。
私は、父が倒れた朝、その頃務めていたテレビ番組のロケで、早朝5時過ぎに家を出なければならなかった。
父の部屋から目覚まし時計が鳴り続けていて、気になりながら、父に声をかけずに靴を履いてしまった。
父は、その時には、すでに倒れていたのだと、私は、その夜、病院からの電話で知った。
父が発見されたのは、昼…。
脳内の出血は、かなり広がり、意識不明状態が数日続いた。
それから父は、2年あまり闘病生活を送り、言葉ないまま逝ってしまった…。
もし、私が、
あのとき、父に声をかけていたら…。
倒れていた父の姿に気づいていたら…。
私が救命処置をしていたら…。
今も、父は、きっと元気に、生きている…。
父が闘病生活を始めたとき、
私は、全てのステージから降りた…。
そして、保育園の園長だった母の補佐をしながら、保育の仕事を学び、父の介護を学んだ。
父の通夜で、
父の発見が遅くなった理由は、
私にあると言われたこと…。
あの目覚まし時計の音は、一生忘れられない。
確かに、私のせいだ…。
この20年、誰にも許されることのなかった、
私の過ち、私の悔恨、私の哀しみ…。
父の枕元で、どんなに泣いても、謝っても、
父が、昔みたいに応えてくれることはなかったし、亡くなったら、もっともっと悔やむ気持ちが大きく、深くなって、
私は、生涯、この罪を背負って生きていくんだと、腹に決めてた…。
それなのに、
隊長の優しい笑顔、父のことを知る言葉を前にしたら、
「本当にごめんなさい…。あのとき、私が」
と、私は、思わず、泣きくずれてしまった…。
こんな出逢いがあるだろうか。
こんな巡り合わせがあるだろうか。
偶然か、必然か…。
信じられなかった…。
隊長いわく、
「院長先生が、喜んでいらっしゃいますよ。
これでいい。これからは、あなたが人の命を救うんです。救えるんだから‼」
帰り道、道々ずっと、涙腺崩壊…。
父は、人の命を助ける‼
私は、人の心を育てる‼って、
私、父と仕事をしたかった…。
父の遺影に、修了証を見せながら、私、
また泣いてしまう…。
なんだか、今夜は、泣き虫コムシ…。
明日は、子どもたちが、やってくる‼
きっと元気に迎えます…。