「レシピのないランチボックス」と名付けた通りレールのない電車は迷いながら、ぶつかりながら進み始めた。


まず退院時の請求書


分娩費は帝王切開、異常分娩だったから保険が使えた。

しかし、早期流産を避けるため、

また後期の妊娠中毒症の予防のための度重なる長期入院の室料,食費は保険適用外…


オムツに,粉ミルク,お世話を手伝っていただく人件費、は避けられない出費

 ギャ〜   同時に発生する課題の数々。


先立つ物は現金、そして今後も続く出費

 ア〜どうなるのか


不安に押しつぶされそうになる。


夫は普通のサラリーマン

私のショップ経営は走り出したばかり。


"まだミルクを飲んでいるうちは何とかなる。

問題はその後、1歳、2歳 ……"


歩き始める頃は保育士専門学校にアルバイトの募集を試みた。

  直ぐに連絡が来て

「1人では不安ですからお友達も一緒でいいですか?」

「もちろん」

3人のお兄さん,お姉さんがお散歩や遊戯をしてくれることになった。


先例は無いけど私流で切り抜ける方法を考えるしかない。

手は2本だけど,指は10本、子供はくっついて歩いてくれる。


何とか過ぎ行く毎日。


部屋が狭い。


戦後間も無く出来た東京都住宅供給公社の1室

ベビーにとって水道水が不安 臭い!


水道管を調べてもらうとかなり酷い状態


住民が集まって公社と話し合いを続けた。


公社の60年特殊契約の賃貸住宅だったので残額支払いの上払い下げを受け,民間デベロッパーに

等価交換を実現させることが出来た。


私のはじめての住民による建て替えの経験は、その後、またマンション建て替えを経験する強い下地となった。


ベビーたちは2歳のお誕生日を3LDKの新居で迎えることが出来た。


開かぬと思っていた扉も、時間と熱意があると

少しづつ成功体験のご褒美をくれるらしい。




ブログ12回目

読んでいただきありがとう😊ございます❤️