小さな小さなことでいいから、
信用を10年間積み重ねることができる人と、
小さな小さなひずみから
疑惑を10年間積み重ねてしまった人とが、
世の中、いる。
その過程としての現在、
(本当の結果は死ぬまで、というか死んでから後世の人々の評価まで、でない)
ふと気づいた、疑惑積み重ね者が、
信用積み重ね者を、ねたんだり、うらやましがったり、
すべきでないと、思う。
積み重ねられた嘘は、疑惑の動かぬ証拠として、機能を発揮することだろう。
でも、神様は、結果を出すまでは、まだ猶予をくれている。
ねたむほど、誰かの行為が信頼のおけるものだったら、
その、行為を、真似たらいいんじゃないかな。
そうしたら、まだまだ挽回できるんじゃないかな。
確かに、今の行為の一つ一つが積み重なって、
私という人間の評価につながると、私の好きな人は言ったことがある。
よくよく考えると怖すぎて、にっちもさっちも何もできなくなってしまうけれど。
まぁ、まぁ、
人っていうのは、そんなに確からしいことばっかりもできなくて、
たまには、おやつをつまみ食いしたり、
夫の帰りを待たずに晩酌を始めてみちゃったり、
子どもが、珍しく勉強している横で、携帯ゲームに没頭したり。。。
いろんなことはありますが、
でも、やっていい行為としての一つの基準は、
誰かを傷つけるものでないこと。
傷つけ続けるものでないこと、を、確認すると良いかもしれない。
そして、最大の避けるべき事項は、
自分を傷つけるものでないことを、きちんと、きちんと、
確認すると、良いことでしょう。