判断の基準 | 支配者はサイコロをふらない

支配者はサイコロをふらない

別のサイトにて書いている自分のブログを移植したものです



日本人に総じて足りないのは、理論的に考える力だと考えています


これを出来ない日本人が、本当に多すぎる


こういった人たちは、恐らく法治国家という意味も理解できていないと思う。



法治国家とは、文字の通り、法が国を治める


法で決まっているのならそれが全てだという意味



ここに個人的な感情が入るのは、本来、決してあってはならない


例えば、赤信号で車が交差点に進入したなら、当然、その車が悪い


それを、殺意はなかった、や、反省しているように見える、などという理由で

曲げることは許されない


そんなことは誰にも分からない

神にしか分からない


それを法の中に持ち込めば

いくらでも解釈は広がり、結局は判断する人間の価値観でしか判決は出ない


都合のいい解釈が可能だということ



そういった考えそのものが間違いだということを理解して欲しい



こういったことは会社でも、政治でもたくさんある


そういった考えから生まれた答えは

すべて無意味だとしか言いようがない


どんな答えであっても、すべてが間違い



ここにある問題は、公的な問題に対して

個人的な価値を持ち込むことに問題がある



自分自身の問題の決断であれば、好きなように判断すればいいが

政治では絶対にしてはいけない


判断するべき基準は

数字と科学のみが望ましい



何人かの人間にとって1+1=3の方が得をしたとしても

絶対的に正しいのは2だ


どんな状況であっても、答えは2でしかない


それを、東電などは

いままで3だと見せかけてきたのが、原子力にまつわる物事の本当の姿だ


そのために有利な研究をする科学者には、多大な研究費を寄付し、推進させてきた



科学者たちは、国から多くの研究費が出ている以上は

国民に、研究結果で貢献していかなければいけないし

なによりも、国民に正直でなければいけない



科学者達は、何よりもまして、まずは正直であること以外に

何が必要だろうか?


それ以外に優先するべきことはない



正直であることに比べれば、研究結果や内容はそれほど重要ではない



そして、これは他の事でもあおなじことがいえる



例えば、数学と科学の観点から判断すれば

すべての宗教の主張はどう考えても間違いでしかない


何を信じるかは、個人の勝手でかまわないが

それが正しいかどうか?という話しであれば

「間違いです」と、答えるしかない


何万人の信者が、否定をされて困ったとしても

正しいかどうかでは、そういう答えしか出せない


それが学問に沿った正直な答えだからだ



公的な場での話しには

それ以外は、なにも必要ない


何万人の、何億人の信者が

路頭に迷おうが、絶望しようが

そんなことは問題ではない


そもそも、学問というもの全てが

全人類のためのものである


信者のためではない



誤解しないでもらいたいのは

個人的な価値観の中で、信じるのは問題はない


それを、公的な判断の基準にすることを問題にしている



神のお告げがあろうが、どれほど偉大な教祖が言おうが

どれほどあたる占いでも、啓示があろうが


すべて間違い


すべては全人類のために

有益な判断をすることが必要だ



神にとって不利であっても

すべての人類にとって正しいのであれば

それを行うのが正しい




たとえ、政府や国にマイナスであってもだ


すべての人の利益を優先する



なぜなら、政府も国家も存在しないからだ

実態などない



愛国心を持つくらいなら

地球に持て


国がなくなっても人々は生きていくことが可能だが

地球がなくなれば終わりだ


そのことを良く理解して考えてほしい