痔瘻に苦しむ全ての人々に。
痔瘻かもしれないと悩む全ての人々に。
そして、そのご家族に。

これは私の経験を綴るものであり、単なる備忘録として書き残すつもりで始める記録である。
ただ、私自身、先人達の綴ったブログの類はくまなくチェックした。そして、何が起こるかわからない不安から逃れることができ、何より自分だけではないという勇気をもらったので、これがまた1つの経験の蓄積として、どなたかの役に立つのなら、とても嬉しい。


僕はつい3日前に、都内の病院で痔瘻の手術を受けた。生後間もない長男と過ごす最初の夏休みを、思いっきり初日から単身病院に乗り込んだのだから、妻も複雑な心境だろう。

経過自体は恐らく良好なのだろうが、痛みはある。ただそれよりも退屈という辛さの方が自分にとってはつらい。

オリンピックを見るのも飽き、病院内のポケモンはゲットし尽くし、食事とトイレ、寝る以外何もすることがない状況に辟易し、私は暇つぶしを求めていた。それがこのブログを書くきっかけの1つなのだが、実はそれだけではない。

生まれて31年間、これといった大病を患うことなく、大怪我をすることもなかった人生。
就職してからというもの毎日朝8時から日付が変わる頃まで仕事に明け暮れていた僕にとって、これだけ異質の場所に閉じ込められ、管理され、生かされていると感じたことは今までなかった。

寺に入ってみたり、絶食してみたりする人に近いのだと思う。普段生きている世界から離れることで、普段気づかないことに気づくことができたのだった。

五体満足で普通の食事を食べ、生きられることがどれだけ幸せかということ。
医師および看護師という職業がどれだけ聖職であるかということ。
友人、家族との時間の尊さ、愛おしさ。

月並みではあるが、当たり前のことが当たり前のようにできていることの素晴らしさを、30年生きた節目に改めて思い知り、この感謝の気持ちを忘れないための備忘録としての機能がこのブログを記録するに至ったもう1つの理由である。

というわけではじめてみたわけだけど、スマホだとなんと文字を打ちづらいことか。

なんとか継続して更新できるよう頑張ってみるつもりだが、なにぶん昔から飽きっぽい性格は折り紙付きだ。どうなることやら。

それでは、少し記憶を遡りながら、コトの経過を辿ってみることにする。

僕が痔瘻と診断されたのは2016年7月なのだが、思い返せば肛門周囲に異変を感じ始めたのはもっと前。そう、時は1年弱前に遡る…

つづく