16世紀末、廣瀬弁財天という社あって。

毛利輝元がこの地に菩提寺 洞春寺をおいた際に、

厚く信仰していた廣瀬市杵島大明神を鎮守社とし、

社領を寄せられたといわれて

1723年に廣瀬大明神と改称されました。

 

白神社は、

昔、この辺は

海岸線で岩礁があって

そこに衝突する船が後を絶たないため

船人により岩礁上に白い紙がたてられ、

海難事故を防止する役目を

果たしていたそうです。

船の安全な運航に貢献した白紙に

代わる守り神の象徴として祠が建てられ

祠は白紙にちなみ「白神(しらかみ)」と

呼ばれました。

後に、1591年に広島城を築いた毛利輝元により

新しい社殿が建立された。

 

多家神社は平安時代の書物「延喜式」(当時の法典)に

速谷神社、厳島神社と共に安芸の国の名神大社

として列せられています。

 

中世になると武士の抗争により社運が衰え

1873年に新たに創建された。

 

 

この神社は凄い

私の良心を試させました。

 

手水舎で清めて

横の方を見ると

一万円札が落ちている。

しばらく、落とし主が来るかと

見守りましたが誰一人も来ない

取りあえず一万円札を持って

拝礼をして

神様に報告

隣の社務所には誰もいない

そこから下の社務所兼住宅へ

関係者が居られたので

説明して一万円札を渡して帰る事に

後日、警察署から連絡があって

権利を放棄、神社に権利を譲りました。

 

落とされた人がわからないと

お賽銭になります。

これも有難いものかな?

 

もう一つの祠

貴船神社です。

 

 

おまけ