2025年、物凄く体調を崩した。
愚痴みたいになってしまうから興味が無い方はここで閉じてね。
人生最後に恋愛をしてみようプロジェクトを頑張ってみた2025年前半。
あの時、投稿に頂いた皆様からの温かい祝福がとっても嬉しかった。
だからこそ言いにくくて、これを言うことにちょっと罪悪感もあったんだけれども…恋愛は、すべきではなかったのかもしれない。
未来永劫という意味ではなく、順番が違ったのだと思う。
遡ると10代の頃から何故か、男性から様々な被害を受けた。
それが「普通ではない異常な回数」だと気が付いたのは結構大人になってからだった。
結婚していた頃に医療にアクセスしてみたが、C-PTSDの治療途中で、治療を放棄してしまった。
診察で今の自分の気持ちや自分の過去の出来事を思い出し説明するという事自体が受け入れ難く、著しく体調を崩し日常生活が困難になったからだ。
そんなこんなで問題を棚上げしたまま40代を迎え、このままずっと苦手を苦手なままで生きていく事に負い目があり、地球上の半分は男性なのにこのままずっと嫌悪感を持ち私的な関わりを避けていく生き方で本当に良いのだろうかと考えた。
結果、これが最後の覚悟で恋愛をしてみたのだ。
けれどあらゆる小さな出来事から恐怖とフラッシュバックが頻繁に起きる。
その度に、何故こんなにも当たり前のことを普通に出来ないんだろうと
「ちゃんと普通に人とコミュニケーション(この場合は恋愛)すること」
が出来ない自分を理解できなかった。
結局彼と別れたのだが、その際に私の過去の記憶のトリガーを刺激する出来事が起き、それ以来ずっと体調が悪くあまり寝られない日が多い。
関わらなければ思い出さず深く深くにしまっておけた記憶もあった。
被害を受けた過去全ての私が「どうして今さら自分から男に近付いた、お前は汚らわしく浅ましい」と、毎日毎日私を責める。
たった1度の、それもたった数ヶ月の恋愛でこんなに悪化するだなんて思いもしなかった。
だってもう大丈夫な気がしていたの。今更なに?って。
命の危険があったでもなしに、いったいいつまで過去を引き摺るのかと、私自身が一番自分の脆弱な精神に呆れていた。
だけどそれは間違いだった。
幸せな恋愛(そうはならなかったけど)で上書きなど到底できないほど、私は心の底から過去の男性からの加害が怖くて悔しくて、記憶を手放すほど受け入れ難くて、まだ少しも自分の中で消化出来ていなかったのだという「事実」をまずは認めるべきだったのだ。
自分自身のために。
自分だけは自分の現状を受け入れるべきだったんだ。良い悪いも評価せずただ事実として自分の現状を認めることを、まず何よりも先にすべきだったのだと思う。
明け方の悪夢と息苦しさにも不本意ながら慣れてきた頃に、やっと棚上げしてきた問題の本質に向き合う覚悟が決まった。
どうして私だけが繰り返し繰り返し加害男性の標的になるのか。
隙があるから?胸が大きいから?ボディラインが出る服を着ていたから?あの日家を出たから?あの時右に曲がったから?
あの時も、あの時も、あの時もあの時も…一体どうしたら避けられたのか。
どうして、の問いにずっと答えは出ない。
でももしも答えがあってもきっと、それで救われはしないのだ。
40代、これから更年期が始まり生理が止まるのかなぁと考えたらなんだか少し気持ちが楽になった。
生殖の役割が無い体になれたなら少しは女性である自分も好きになれるだろうか。
もう使わない子宮だし、早めに摘出手術でもしようかなとぼんやり考える。
でもそれも、違うのだきっと。
子宮を取ったって胸を取ったって一つも変わらない。だってもしもその後に同じ被害にあったなら、次は一体何を取ればいい?
こんな目にあったのは自分に責任があるのだ、と。
そう思い込まないと、コントロールが効かない恐ろしい世界にいる恐怖で生きては行けないと、そう【脳が判断した】
生命の危険を感じるよりは自分を責める方が合理的に安心を感じる。そういう脳のバグなんだ、と医師に説明されたような記憶がある。
理性では加害者が悪いと理解している。
でも繰り返し繰り返し私にばかり起こるのであれば、その説明がつかない。だから脳は、自分が悪いとした方が合理的説明が付くからそう思い込み自分を裁くのだそうだ。
この盛大な脳のバグを抱えたままで生きることを、受け入れる。
普通の恋愛、よりも先に私がすべきだったこと。
なんかね、普通になれれば、もう同じ被害に合わないんじゃないかという全く論理的ではないそんな縋るような願いがずっとあった。それは自分が全ての元凶だと責める脳のバグがあったから、普通、に必要以上に固執したんだと思う。
だけどもう受け入れなければいけない。
普通をあきらめて、盛大な脳のバグ(認知の歪み)がある現状を受け入れる。
普通を強いて上書きせずに、私に合った生き方をすることを、自分に許してあげよう。
いまは意識的に仕事以外家から出ず、気心知れた方以外ほとんど誰にも会わないようにしている。
プライベートでだれかに会ったのは夏の終わりくらいが最後かな。
電車は極力使わず、勿体ないが基本タクシー移動をする。仕事以外の人間関係は昔からの関係性以外増やさない。
それを「大人としてどうなの?」と思うのもやめた。
私が思う普通になっても、過去の自分が救われる訳でも未来の自分が守られる訳でもないのだから。
相変わらず体調は良くは無い。3歩進んで2歩下がる。
SNSにはあらゆるトリガーが乱立しているからしばらく発信だけであまり見ないことにした。
生活は散々で何も片付かず商業施設のバックヤードみたいな家だが、仕事はお陰様でそれなりに伸びてきている。
来年は自社や共同開発ブランドの新製品をローンチ出来るのを楽しみに、日々粛々と向き合っていく。
明け方眠れないとき、寅次郎部長はよくとてとて歩いてきてそっと背中に添い寝してくれる。猫らしく気分屋なのか、お気遣いなのか。
寒くて鋭い明け方特有の空気のなかで世界に私ととらちゃんだけのような背中からじんわりと伝わるちいさな、でも確かな体温。
汚い家でごめんねと思うが、存外この子は物だらけの家をいろんな隠れ家を探し出し楽しんでいるようにも見える。人間よりずっとたくましい、動物って不思議だ。
脳のバグを少しずつ普通に、、いや「私が生きやすいように」修正していく。
もう、普通を強いることはしない。
性被害は魂の殺人だという。そうかもしれない。
自分の中で自分には価値が無いものだと感じるのも、どれだけ頑張ってもずっと焦燥感を感じるのも、繰り返し誰かに殺された後の「もういない自分」だからなのかもしれない。
もういないものとして、自分をどこか他人のように感じている。
いなくなった自分を
1つずつ
もう一度
かき集めていく。
もう一度この人生に「私」を取り戻す。
何故こんなことを書いたのか。
IQの数値に著しく偏りがある私は、言語野だけがスムーズであり、こうして書くことが脳のバグ=認知の歪みのコントロールに有効に繋がるから。
同情や心配が欲しい訳でもない。
これはただただ、七転び八起き亀のようにスローに歩む私の、魂の再生の物語だ。



