広島市の西隣の廿日市に 端から端まで1000m余りの巨大なマリーナがあります。
東から見た光景
名称は廿日市ボートパーク、廿日市沖の埋め立て地の一部、広島南道路沿いです。
幾つかの河口をまとめて幅の広い水路にして右岸をマリーナとして整備、
数えきれない位の自家用ボートが係留されてる光景は圧巻です。
広島の人口当りの自家用ボート所有率は日本一、広島周辺にマリーナが沢山ありますが
ここが最大の広さです。
広島市の西隣の廿日市に 端から端まで1000m余りの巨大なマリーナがあります。
東から見た光景
名称は廿日市ボートパーク、廿日市沖の埋め立て地の一部、広島南道路沿いです。
幾つかの河口をまとめて幅の広い水路にして右岸をマリーナとして整備、
数えきれない位の自家用ボートが係留されてる光景は圧巻です。
広島の人口当りの自家用ボート所有率は日本一、広島周辺にマリーナが沢山ありますが
ここが最大の広さです。
広島駅1番ホームの片隅に 立ち喰いうどんの店があります。
その昔、このような小屋ではなくて吹きさらしで 今の半分程度の広さでした。
かつて呉線が電化されてなくて蒸気機関車が走ってた時代、カメラや録音機を持って出かけて帰りに ここのうどんを食べて ホッと一息入れた思い出があります。
この写真の奥の方に 行き止まり式の0番線があり、宇品線の列車が発着、機回し線や側線もあって ここだけは異空間の雰囲気でした。・・・
現在では線路跡地に土を入れて かさ上げし、建物が順次建てられてます。
この下の写真は(旧)丹那駅に近い場所にある小さな公園、仮設のミニホームや踏切・信号灯などが設置されてます。
場所は南区 山城町の旭町ポンプ場の入口前です。
実際の廃線跡は この上の写真の線路から20m程度 西側にあります。
この下の写真は 廃線跡から上記の公園を撮影したものです。
市道の反対側に渡って歩道を過ぎた所から撮影してます。
この公園内の線路が廃線跡ではないのでご注意。
宇品線の廃線跡の現在の状況
・・・次の (1) (2) (3) のどれかに該当します。
(1)空き地として残ってる区間・・これは一部しかありません。下記の2ヶ所のみ
旧・宇品駅構内を出たカーブのあたりから旧・丹那駅(広島南警察署の裏手)までと、
広島駅(旧)0番線を出たあたりから荒神陸橋をくぐって少し先に進んだ辺りまでです。
(2)道路用地(緑地帯)となってる区間・・下記の3ヶ所です。
旧・宇品駅構内と周辺部・・広島高速の橋脚が建ってます。
旧・丹那駅を出て市道を横断した所(上記の公園のあたり)から国道2号線を横断して
旧・上大河駅(広大病院正面入り口)から300m程北に進んだあたり(南区霞1丁目-5)に面している所まで。
猿候川の平和橋周辺から野球場の近くを通って荒神陸橋の手前まで。
(3)廃線跡地の西側に沿って市道が整備され、後に再開発用地に編入され分譲された区間
上記の旧・上大河駅(広大病院正面入り口)から300m程北に進んだあたりから猿候川の平和橋 南詰のあたりまで。
・・この区間では段原再開発が行われ完全に様子が変わっております。
一見して廃線跡らしく見える道路ではなくて、その東側の敷地の中が廃線跡です。ご注意!!
以上 Google earth の航空写真を使用したり車で通りがかりに確認したものです。
いずれ気候が良くなったら徒歩で確認してみようと思います。
路面電車の屋根の上の様子をご覧になった事は ありますか?
次の写真は 超低床型の 広電5100型・5連接車、屋根の上いっぱいに機器類が設置されてます。
従来 超低床型が登場するまでは 屋根の上にはパンタグラフや集電装置とか冷房装置の室外機くらいしか設置されてませんでした。
超低床型では床をギリギリまで低くするために、従来では床下に設置されていた機器類を コンパクト化して屋根の上に設置してあります。
但し この周囲には広告化粧版がグルリと囲んでるので 地上からこの様子は見えません。・・この写真ではCarpの広告看板となってます。
下の2枚の写真は 従来の低床型です。
屋根の上には集電装置とか冷房装置の室外機しかありません。
広電3900型・3連接車
これは単行運転の700型です。
超低床型電車を開発するためには、両側の車輪をつなぐ車軸を省略した懸架装置の開発だけではなくて 電子機器類のコンパクト化・耐水性の開発も必要だったのですね。
カフェラテ・アートの子犬です。
手を付けるのが もったいない感じがして しばらく眺めてました。
バール デルソーレが広島でのイベントに出店、楽しいコーヒーが味わえます。
この写真は去年5月撮影、ほぼ年に一回位 広島にやってきます。
ここは広島市佐伯区の山の中腹、国道2号線バイパス三宅トンネルのすぐ近く、かつての旅客用の主力だったEF58 36 (愛称・白髭の権八)が設置してあります。
この工房では鉄道模型を作ってましたが、経営者が亡くなられて廃業、工房内部は埃だらけで荒れてました。
この電気機関車も外装は はげ落ちたり錆びたりして かなり傷んでおり、内部は 荒れ放題で見るも無残な状態、何とかならないものかなぁ・・・。
なお、この近くに ウグイス色の車体にオレンジの警戒色が入った クモハ73 383 の運転席部分が設置してあり、かつてはバイパスからも見えて ちょっとした名物でしたが、現在では その手前に広告看板があって見えにくくなってます。
広島市内の 緩やかな山の斜面を上っていたら謎の警報機を発見 !!?? ・・・
よーく見ると道路の右側にある ? 線路らしきものが見当たらない、・・・
廃線跡でもない、多分 廃品となったのを 貰って建てたのでしょう。
その理由は 謎 です。
先ほど午後8時から 遠くで ドーン ドスン と花火の音が聞こえ出しました。
花火大会が始まってます。多分 会場の周辺では すごい人出だと思います。海の上には多くのプレジャーボートが詰めかけてるはずです。
かつては家の周囲に高い建物が無かったので 遥か遠くに小さく花火が見えました。
今では音だけです。
これより 8番下の書き込みで紹介した宇品線関連の本、しばらく店頭になかったのですが、再度入荷してました。
やはり買う人がいるのですね。・・ただの廃止ローカル線ではない、広島の発展の歴史を語る上で欠く事の出来ない存在なのです。
旧・山陽鉄道(株)の 糸崎ー広島 間が開通する直前に日清戦争が勃発、完成して間もない宇品港を兵員や軍需物資の積み出し港として使う事が急遽決定、突貫工事で 広島ー宇品 間が建設されました。
これを機会に軍関連の重要な施設が広島に設置、持ち回りの帝国議会が広島で開かれて 一時期 日本の首都となりました。
中国地方を統括する政府機関も広島に設置、そして全国展開を目指す大手企業の支店も次々と広島に設置されてゆく流れとなってゆきました。
明治時代の中頃までは広島湾の奥の小さな城下町でしかなかった、広島城の外堀周辺の街道沿いに集落がある、程度の街でした。それが急速に発展してゆく事になるのです。
もしも下関まで鉄道が全通した後に日清戦争が起こっていたら、おそらく今とはいささか違う状況になっていたかも・・・。
現在では宇品線関連の遺構モニュメント整備計画が進行中です。
昨日 広島市中区 八丁堀のオープンして間もないヤマダ電機に初めて行ってみました。元の天満屋広島店の跡です。
中はものすごく広くて どこに何があるかわからない位でして、グルリッと見て回りました。
そこでアレレッ!?と思ったのですが、店員さんの一部に 明らかに日本語習いたての人がいる、多分中国人かな?・・・外国人の雇用が次第に拡大してる感じです。
外国人の雇用としては工場現場・水産加工業・大都市圏のコンビニ アルバイト などが知られてましたが 間違いなく拡大傾向です。
経費の削減・・人件費の抑制・・外国人の雇用 の流れが各業種に拡大している感じです。こうなると日本人の賃金切り下げがさらに進む、・・・昔からの「我慢して働いていれば いつかは必ず良くなるはず」なんて考え方は通用しなくなるかも? なんてフッと思ってしまいました。
だから こうしてネットビジネスなんか試みたりしてるのですが、
今のところの成果は ウーーン!? です。
いささか暗い話で失礼しました。次回は明るくいきますね。(^^)