……ここまで本文全体で第11章からなる内の、
第4章までをだいたいの所紹介させていただきました。第5章からは、フランス大革命の話から南北戦争、第一次、第二次世界大戦までの歴史的史実の裏側の出来事を、カナン人とセム族の立場から詳しく説明されています。
勿論、カナン人ことイルミナティ、フリーメイソンが裏側でどのように歴史を作ってきたかの話に他なりません。
だいたいのところ、第4章までの紹介だけで皆様も予想が着くように、ひたすらカナン人の私利私欲の為の支配の策略と陰謀の歴史です。
非常に陰湿で長いので止めときます。

 なので、「カナンの呪い」第10章と第11章の
一部のみの紹介で終わりにしたいと思います。




 
⚪大戦争は世界的奴隷制度を完成するために
 必要だった。


 世界の名だたる銀行家が、熱心に共産主義を支持していることが気付かれないわけはなかった。香水会社の設立者フランソワ・コティは、1930年にパリで国際評論社から出版された『ヴェールを剥がせば』の中で、以下のように記している。「資本主義、社会主義、共産主義といった言葉は奴隷となることを運命づけられた大衆の心を混乱させようと、高給取りの扇動政治家の間にばら撒かれたテーマである。世界的奴隷制度はブライヒローダー・グループの目的そのものであり、彼等は新たな戦争という手段によってそれを実現しようと躍起になっている。」
ブライヒローダー一族とはロスチャイルド家のドイツにおける代理人だった。
第一次世界大戦時、※※エズラ.パウンドと共に「渦巻派(Vortex)」の運動を起こし、その一派の雑誌『ブラスト(Blast)』を創刊したウィンダム・ルイスは著書『死者を数えろ 彼等は生きている』の中で、以下のように記している。
「ロスチャイルド家やモルガン家の人間はナフィールド家やフォード家の人間とは異なったやり方で金を稼ぐ。前者は金を換金出来ない商品として扱い、そのビジネスは本質的に金貸しのそれと類似している。彼等は何も創り出さない。あくせく、せっせと働く事がない。それでも大抵の場合、たいそう優雅である。一方、後者ナフィールド、フォード家の方は、何かを創り出すという意味では少なくとも創造的である。貸付資本がなければ、共産主義は成立しない。例えば、ポリットやストレイチーのような生粋のボルシェヴィキには、その理論は立派だが、資本主義は理解出来ない。ヘンリー・フォードでさえ大悪辣商人なのだ。(因みにエズラ・パウンドはフォードのことを『アメリカの雇用労働者の典型』と呼んでいる。筆者註)そしてマルキストは悪辣商人を何より嫌う。だが、その一方で、貸付資本に大きな親しみを抱いている。実際のところ、貸付資本が干渉されずに独自の道を歩んでいいなら、自動的に共産主義に行き着くはずだ。ソヴィエトの人々は資本主義とがっつり組んでいると、私は思っていた。また、いつかも言ったように、こうした資本家は、私達が思っているほど共産主義を憎んでいないらしいから、私達の仲間ではない。私達が彼等から得るものは何もないが、彼等が私達から得るものは多い。したがってごく少数のそうした人々が金持ちになればなるほど、私達は貧しくなっていく。」



(※※エズラ・パウンドと「カナンの呪い」の
  著者ユースタス・マリンズの関係。
 
 第二次世界大戦後、マリンズはワシントンで研究していた時に、1949年に反戦を訴えて国家反逆罪となり聖エリザベス精神病院に収監されていたエズラ・パウンドを訪ねて話をするように依頼をされた。(依頼はFBI?はっきり誰からの依頼とは書かれていない。)
パウンドは20世紀を代表する詩人だった。❲その門下生の3名がノーベル賞を受賞している。❳
しかし、マリンズはエズラ・パウンドに感化されて弟子入りを決意し、彼の為に積極的に活動した。パウンドがベネチアで没した直後に設立された「エズラ・パウンド文明学会」の活動を通じて、エズラ・パウンドの名を不朽のものにしている。〈本作冒頭マリンズ氏についての説明文より〉)


 (略)

 ボルシェヴィキ革命の後、ドイツとハンガリーに共産主義による異動が生じたものの、実を結ぶことはなかった。ドイツ革命はすぐさま根絶され、ハンガリーでは実のところベラ・クーンが共産主義者による狂宴で国家を破綻、荒廃させた。
合法政府が復古すると、ハンガリー政府はフリーメイソンのロッジの古文書を公表して「共産主義革命」を辿れば100%、フリーメイソンの仕業に辿り着くことを実証し、全土のフリーメイソンのロッジを閉鎖した。
後、ハンガリー政府が国家経済の再建をはかろうと、資金の借入を合衆国に申し入れると、借入が承認されるには一つの条件が満たされなければならないという通達があった。
閉鎖したフリーメイソンのロッジを修復し、再開させる、それが条件だった。

 こうした出来事からも、1920年代においてさえ、合衆国政府がフリーメイソンたるカナン人の完全支配下に置かれていた事は明らかである。




⚪CIA予算からソヴィエト秘密警察への
 秘密送金

 
 第二次世界大戦の初期、ソヴィエトの殺人集団は15000人のポーランド人将校を捕まえた。教育もあり、責任ある地位を担う人々だったが、彼等の姿は永遠に消えた。
国家保安委員会の指揮下にある3つの強制収容所スタルビエスク、コジエルスク、オスタシュコフに連行され、次々に殺害され、墓とも記されない穴に放り込まれたのである。

この事実は、カティンの森として知られるこの地域がドイツ軍に占領された時発覚したが、ニュルンベルクの裁判で、ソヴィエト側はドイツ人の仕業だったと主張した。それでも1952年7月2日には、合衆国議会のある委員会が、大量殺戮を実行したのはソヴィエトの人民内務委員会であり、計画そのものは1939年の秋に既にスターリンによってつくられていたと報告している。

 フリーメイソンたるカナン人によるセムの子孫の支配は常に絶望の気配をもたらし、正義も名誉も未来への希望もことごとく霧散させる。著名ジャーナリスト、ドン・クックはその著書『ヨーロッパの満ち潮』の中で、共産主義国を訪れるジャーナリストは全て「共産主義の匂い」に衝撃を受けると述べ、「私が最悪だと感じた匂いはライプツィヒに蔓延していたロシア及び共産主義世界の一種独特の匂いだ」と記している。
また「ソヴィエト連邦に足を踏み入れたことのある人には、この匂いが分かるはずた。じっとり重い、不潔な匂いが」とし、「古いトイレ、消毒用石鹸、汚れた体の匂い」と呼んでいる。つまりソヴィエトの「社会主義経済」にあっては電話帳、石鹸、トイレットペーパーといった生活必需品を作り出すのに未だ手間暇はかけられていないということだ。捕囚となっている人々のエネルギーと才能をまったく無駄遣いしている為に、ソヴィエト連邦は、西側の民主主義国家からの巨額の資本投下によってのみ、かろうじて存在を維持していた。


 内国歳入庁によって給料から取り上げられた**私達の金のどれほど多くが連邦準備銀行に送られ、そこから更にスイス銀行に、そしてソヴィエトの5つの銀行へと送られていったのか、アメリカ人のほとんどは知らない。**


 **1964年3月2日付『ニューヨーク・ジャーナル・アメリカン』紙には、ソヴィエト連邦から逃れてきた一人の人物の報告が掲載されている。それによれば、合衆国政府によってCIAのウイーン支部に送金される金額は120万ドルで、この資金は3分の1はソヴィエトの秘密警察に、3分1はイタリアの共産党に、残りの3分1は合衆国の共産党の活動資金として返送されるといったように、割り振りされていたという。**


 策略事務局がイタリアの共産主義者に金を提供した第二次世界大戦以降、この措置はいよいよ正式のものとなり、CIAの秘密活動の責任者であり、イタリア支部長も務めたジェームズ・アングルトンによって設立された複数の組織を通じて、イタリアのフリーメイソンの一団、とりわけ重要な存在、P-2(プロパガンダ-2)に資金が流れるようになった。
イタリア政界、実業界の主要人物から成り立つこの組織には、国家保安委員会(KGB)を掌握した後のアンドロポフが入り込んでいた。
前述の通り、イタリアのフリーメイソンは1733年に英国のサックヴィル卿によって持ち込まれたもので、英国秘密諜報部はこの組織を媒体に、ガリバルディ、マッツィーニを使って、イタリアを統一し、「新生イタリア」をつくった。

 1913年、フリーメイソン勢力がイタリア政府全体に支配権を行使するのに脅威を感じた国務次官は、フリーメイソンが「秘密の、それ故制御出来ない結びつき、及び大衆の信用を得られない、疑わしい動機をもって」要職に就く事を禁じる法律の制定を求めたが、この法案は可決されず、不幸にも、次官の方がその職を追われた。
それでも10年後にムッソリーニによって違法とされた。すると、世界中に「残虐な独裁者」及び「ファシズム」を糾弾するカナン人の叫び声が響き渡った。

 今日、無力のロシアにヨーロッパの自由民主国家の極上の製品を供給するという重要な役割を担っているのは「赤い億万長者」ジャン・バプティスト・ドゥメンで、彼は野菜供給会社スラグリのギー・ド・ロスチャイルドのパートナーであると同時に、インター・アグラ及びソコパといった企業の重役でもある。

インター・アグラ及びソコパは最近、市場価格をはるかに下回る価格でロシアに小麦を100万トンも供給している。また、ドゥメンはヨーロッパの消費者の購入価格の4分1の値段で、肉やらバターやらを定期的に共産主義者に出荷している。ロシアの方は、こうした必需品を支払われた価格の2倍の値段で頻繁に再出荷して、ヨーロッパ経済から交換可能通貨をせっせと集めている。このような事は、フリーメイソンたるカナン人の世界権力がなければ、到底出来ることではない。





(**カナン人曰く、「世界中の奴隷達から集めた金を何処にばら撒こうが、どう使おうが我々の勝手だ。」です。)