⚪ルネサンス人間主義のユートピア思想が
 共産主義の基盤に


 新プラトン主義は後、単に「ルネサンス人間至上主義」の名で、或いはクリスチャン・カバラ思想として知られたが、多くの場合、神への信仰を排斥していた。
このような哲学は基本的に、事象(或いは生命)は本質的に不完全であり、それ故、他の完全なる世界に混乱を引き起こすとするカバラ思想を主要見解としていた。
また、「完全な」国家を樹立する事で社会の「不完全さ」を正し、国家の完全さは独裁制によって守られ支えられなければならないとしたプラトンの『国家』は、将来の「ユートピア」思想、つまり共産主義として最もよく知られるものの基盤となった。

 (略)


⚪イルミナティ世界単一国家思想の
 源流を見つけた


 コジモ・デ・メディチという名の財力と、無限の行動支配の可能性を提供する新プラトン主義か結びついた事で生じた状況は、セムの子孫に対する絶えることのない戦いの中で、カナン人に指令を与えようと準備されたものだった。

プロティノスとその門弟ポリフィリオスによって、新プラトン主義の基本側面、即ち第一原理及び現実の源、一なるもの(善)は存在と思考を超越していて、それ故に知る事が出来ないという側面は、既に確立されていた。
ある事柄については「知る事が出来ない」が、相応しい参入儀式を経験した秘密の一団には、「その秘密の意味が明かされるとする」教えをその出発点とするのはグノーシス主義の常である。だからこそ、新プラトン主義の教義は世界中の新(世俗的)神官の方便として理想的だった。

 こうした聖職者はバール神の儀式の継承者に過ぎなかったが、この時代にはルネサンス、後には啓蒙主義運動という名の衣をまとっていた。そしてその究極の姿がイルミナティ、即ちフリーメイソンに指示を与える秘密集団だったのだ。

 (略)


 1953年、正式に人間至上主義宣言が発表された。それによれば、

①宇宙は自ら存在するものであって、創造されたものではない。

②人類は自然の一部である。(フランス革命の先駆者ルソーによれば、人類は「高貴な野蛮人」と定義されている)

③現代科学は宇宙及び人類の価値について容認できる定義だけを提供する。


④宇宙及び人類の価値についての超自然的説明は如何なるものも排除する。


⑤人生の目的は、自由主義と自由教育によって、人間の個性の完全な実現となる。


 伝統的価値観が破壊された後だけに「個性の発展」が強調されている点が効果的だった。人々は自分が何者で、その人生の目的は何なのか、もはや分からなくなっていた。
「個性」学派のために機は熟していたのである。人間至上主義の伝道者達はそうした人々を「既存のものに代わるライフスタイル」、ホモセクシャリティ、更には共産主義革命のプログラムに誘った。

 人間至上主義はまた、国民の生活のあらゆる側面において自由主義官史が介入して圧力を掛けるための完璧な理由を提供した。私達の個々の自由及び権利は、神から直接与えられたものであり、政府による管理はあり得ても、政府によって授与されたり剥奪されたりする事ではないはずだ。

 (略)



⚪ドイツ・イルミナティが創設した
 「スカル・アンド・ボーンズ」


 アメリカ合衆国の人間至上主義の代表的機関の中心は、アメリカという共和国家を転覆させようと設立された大金持ち財団という「秘密小集団」の中に存在している。
『世界権力構造の秘密』(邦訳・成甲書房刊)で、私はそうした財団の歴史を精査し、ピーポディ財団(1865年以後、権力をかさに南部諸州に乗込んだカーペットバガーの主たる勢力)に辿り着いた。

 ピーポディは、ロンドンのロスチャイルド銀行と密かに繋がりを持つようになったアメリカ人で、自らもピーポディ・アンド・カンパニーという銀行(のちJPモルガン社となった)を設立した人物である。
カーペットバガー❲ひと儲けを企んで北部から南部へ移住した白人。一旗組とも訳される。訳者註❳たるそのピーポディ財団は、1877年まで南部諸州を占拠し続けた北軍の軍事勢力と密接に連携しつつ、やがて、一般教育委員会となり、更に後には、ロックフェラー財団に吸収された。
そのロックフェラー財団について言えば、第二次世界大戦以後、少なくとも3名の歴代国務長官、ジョン・フォスター・ダレス、ディーン・ラスク・サイラス・ヴァンスがその理事長を、ヘンリー・キッシンジャーがその理事を務めている。

 人間至上主義に基づく財団は非課税の数千万ドルを使って、アメリカの教育、宗教、政府へ入り込み、それ等を支配している。

 こうした財団の人間至上主義者役員は、
ダヴィストック研究所(英国の心理戦局の一部門)の系列機関で徹底的に洗脳され、カナン人による世界支配のプログラムを吹き込まれる。

だからこそ、ディーン・ラスクはジョージア州の旧家の出であるにも関わらず、娘を黒人男性と是非結婚させるよう、世界秩序の支配者から指令されると、勇んで記者会見を開き、喜々としてそれを告げたのだった。


 驚くべきことに、アメリカの財団の多くはダニエル・コイト・ギルマンという名のドイツのイルミナティの一員によって創設されている。「死の同胞団(ブラザー・オブ・デス)」のファイルの中には、ドイツのイルミナティからギルマンに宛てられた書簡が残されている。


 ギルマンはピーポディ財団及び別のカーペットバガーの財団で、南北戦争後、南部の政治を支配したスレーター財団の副会長でもあった。その彼がジョン・D・ロックフェラーの「慈善事業団」の理事フレデリック・T・ゲイツに出会い、1898年に自分達の為の財団を新たに設立した。それが南部教育委員会と呼ばれるもので、ピーポディ財団とスレーター財団とを合体させたものだった。

 そして、この財団を「一般教育委員会」と呼ぶよう、ギルマンがロックフェラーに進言するに至って、同財団はいよいよ中心的な存在となった。
(この改称は、その目的が南部の教育支配に留まらず、合衆国全体のそれにあったことを意味する動きとして、注目に値する。)
現在、この委員会はロックフェラー財団の名の元で活動している。


 ギルマンは、一般教育委員会を設立したばかりでなく、カーネギー協会も設立し、その初代会長に収まり、ラッセル・セイジ財団も設立した。また1856には、アンドリュー・ホワイト及びティモシー・ドワイトと共にイェール大学にラッセル信託を創設している。

 この組織は後、そのシンボルの絵柄(骸骨と大腿骨)から「スカル・アンド・ボーンズ」として知られるようになった。

 それはまた、合衆国の指導者層の多くを、つまり戦争、平和、革命、経済危機を画策する人物群をそのメンバーに含んでいたところから、「死の同胞団」とも呼ばれた。

その顔ぶれはW・アヴェレル・ハリマンと彼の銀行ブラウン・ブラザーズ・ハリマンの多くの関係者(プレスコット・ブッシュとその息子のジョージ・ブッシュ元合衆国大統領など)、そしてエネルギッシュな論客ウィリアム・バックリー等々、枚挙いとまがない。

 ラッセル信託の3人の設立者は合衆国の教育界に大きな影響力を発揮した。ドワイトはイェール大学の学長になり、ホワイトはコーネル大学の初代学長となった。
また、ギルマンはカリフォルニア大学の学長、更にはジョンズ・ホプキンズ大学の学長となった。因みに、ジョンズ・ホプキンズ大ではウッドロー・ウィルソンがギルマンの影響を受けている。

 (略)

 1876年、スカル・アンド・ボーンズに関係する現象がイェール大学に現れた。それはこの結社の不可侵の前提への秘密の参入をこれ見よがしに物語っていた。
一方の壁には開いたアーチ、四つの骸骨、そしてその他の道具一式が描かれ、その下には以下の内容のカードが添えられていた。「ジャーマン・チャプターより。D50のD・C・ギルマン(パトリアーク)の提供による。」パトリアークとはイルミナティ、フリーメイソン両方の役員に共通する称号である。

 それでも、私が述べたことからスカル・アンド・ボーンズをフリーメイソンの単なる出先機関機関に過ぎないと思うのは間違いだ。
スカル・アンド・ボーンズはイルミナティが世界権力を行使する時に利用する秘密の高位階の一つではあるが、フリーメイソンのどのグループとも直接的な繋がりを持っていない。





⚪カナン人は「ベネチアの黒い貴族」
 として蘇生した

 フェニキア人と名を変えたカナン人は様々な物資を独占して、地中海地域全体を支配した。

 (略)

 こうしてベネチアは非情な成り上がりの起業家集団の拠点と化した。彼等は称号を金で買い漁り(何処からともなく手に入れる場合もあった)、豪奢な館を建設し、ヨーロッパの宝物を○集した。交易、海賊行為、融資で築いた莫大な財を新たなそのライフスタイルに注ぎ込んだのである。

 1171年以後、こうした集団は「黒い貴族」としてヨーロッパ中に知れ渡った。何故なら、彼等はカナン人の子孫であり、セムの子孫の貴族ほど肌の色が白くなかったからである。
やがて、この黒い貴族はヨーロッパの名門一族の中に入り込み、今では、ヨーロッパに存在する王室の大部分を彼等が占めるほどになった。



⚪政略結婚で英国支配層に食い込む

 (略)

 ベネチアの黒い貴族は、その非情さ故に、陰謀、革命、そして毒殺をはじめとするあらゆる形態の暗殺の国際的大家として世界的に有名になった。敵対者を破産に追い込む策略も珍しくなければ、意見を異にする政府の要人の娘をあろうことか強姦することもあるとされた。彼等はベネチアから、新種の疫病さながら、北に向かってその勢力を急速に広げつつ、イタリアの北部都市で様々な事業、金融業を確立していった。
そして貴族の称号を買い漁り、没落した旧貴族の家系と婚姻関係を結んだ。
フィレンツェで隆盛を極めたのはメディチ家だった。メディチ家はその財を注ぎ込んでアカデミアを設立し、人間至上主義を押し付け、フィレンツェを黒い貴族(ゲルフ)のヨーロッパにおける中心地とした。
こうした黒い貴族はまた、サヴォイ家(1146年〜1945年までイタリアを支配)及びエステ家(12世紀〜1860年イタリアが統合されるまでフェラーラを支配)を通じて、英国の支配者家系と、密接な関係を築いた。

 9代目サヴォイ伯爵ペテロ(1268年没)は姪のエリノアを英国国王ヘンリー3世と結婚させ、枢密顧問管となった。ヘンリー3世は彼に広大な土地とリッチモンド伯の称号を与えた。
ペテロは仲間の黒い貴族を招き入れ、例えばリチャード・デ・バーグ、リンカーン伯といった英国貴族と婚姻関係を結ばせた。

 (略)


⚪メーソン英国ロッジの首領は
 バッキンガム宮殿から選ばれる


 ハノーヴァー家の家系はフリーメイソンと常に深い関わりを持っている。1714年ハノーヴァー家の英国王が誕生したが、同じ年、英国最初のフリーメイソンのグランド・ロッジが設立されている。フリーメイソンが英国に設立されたのは1376年、ロンドンにおいてだった。

 (略)

 ウィンザー家は今日、君臨する王室としては世界でも際だった存在だ。彼等は黒い貴族(ゲルフ)の最終的勝利と、カナン人の支配欲の最たる象徴である。

 (略)


 王宮の一員、或いはバッキンガム宮殿と深い関わりのある人物が英国ロッジのグランド・マスターに指名されるという伝統が作られた。

 (略)

⚪ウィリアム3世即位で黒い貴族が
  王座を掌中に

  (略)します。


⚪「背後に控える陰の預言者」に
  与えられた論功行賞

 さて、英国王となったウィリアム3世はベンティンクをポートランドの初代伯爵に指名した。2代目公爵は富豪キャベンディッシュ家と婚姻関係を結び、3代目公爵はインドの総督になり、サティーの慣習❲夫の火葬の火の中に妻が投身して殉死する古いヒンドゥー教徒の慣行、訳者註❳を廃止させた事で歴史にその名を残した。

 ウィリアムの陰謀に手を貸した人々は十分に報われた。彼等は以来、英国において富豪一族となっている。ともあれ、第一の課題は1694年の英国銀行の設立に勅許状を与える事だった。この為に、アムステルダムの銀行家達はウィリアムを支援してきたのである。
これによって、カナン人の一大運動は真の世界権力となった。ウィリアムが王位に就いた事で、英国の王座は黒い貴族の系譜にしっかり組み込まれ、そのまま今日に至っている。

……英国銀行が英国の金を支配するようになってから、どの革命軍分子も融資を受けられなくなった為に、英国では二度と内戦も革命も起きなくなった。

キャベンディッシュ、ベンティンク家の家系は、ウィリアム支持にまわった他の家系同様、常に繁栄し、当主はケンタッキー州のクィグリーなる女性と結婚し、ロスチャイルド一族の会社リオ・ティント社の重役を務めている。
尚、第二次世界大戦中には、彼は統合参謀本部(諜報機関)の議長を務めた。
スコットランドの領主は一人残らずジェームズ2世に忠誠を誓っていたが、パトリック・ライアンがまずウィリアム支持にまわった。


……カナン人はよく仕えた人物には必ず報奨を与える。その典型例がジョン・バガンだ。彼はスーザン・グローヴナーと結婚した。グローヴナー家(ウェストミンスター公爵)は英国一の富豪一族で、ロンドンの一等地に600エーカー(約7万5000坪)もの不動産を所有している。3年間に渡って、バガンはボーア戦争を推し進めていた時期にアルフレッド・ミルナー卿の個人秘書を務めたのだった。

 因みに、ミルナー卿は円卓会議
(現在の外交問題評議CFR)の創設者でもある。

バガンはやがて内外に名を知られる小説家となり、カナダ総督の地位に就き、トゥイーズミュァー卿の称号を与えられた。

 (略)

 英国銀行は、英国の王位の奪取を成功させた国王殺害と世界的陰謀の結果として勅許された。



⚪ロスチャイルド紋章「赤い盾」
 流布に貢献した救世軍

 
 大陸の経済システムを手っ取り早く乗っ取ろうとして、ロスチャイルド家が利用した伝達組織はヨーロッパにおけるイルミナティのネットワークだった。

 彼等は様々な策を弄した。一部はギー・ド・ロスチャイルドの『ロスチャイルド自伝』(邦訳:新潮社刊)の中で明かされている。それによれば、ロスチャイルド家の通信文は常にヘブライ語で記され、署名はされなかったという。
(従って5人の兄弟の誰かの者とされる署名は偽物とみなされた)。

 (略)

 ロスチャイルド家が世界に遺した紋章の一つに救世軍の伝統的な「赤い盾」がある。
19世紀、ロスチャイルド男爵はロンドンのブース将軍にかなりの金を、大抵の場合は特定出来ない代理人を通じて与え始めた。
ある時、同男爵は自分がその資金の謎の提供者だと名乗り出て、寄付は今後も続けるが、一つだけ提案したいと発言した。
救世軍が一つのあるロゴを採用すれば、更に多くの関心を集める事が出来るのではないか、彼はそう言ったのだった。
「具体的にはどのような物をおっしゃっているのでしょうか?」ブース将軍は尋ねた。
「赤い盾が効果的だと思わないかね?」
ロスチャイルド男爵は答えた。
こうして、救世軍は世界中に赤い盾の紋章を広める役を仰せつかる事になった。


 カナン人のネットワークの代表機関の一つに『ローズ基金』がある。この組織は、ほとんど一世紀に渡って、世界権力を目指すカナン人のプログラムの原則に則って若者を教化し続けている。

 セシル・ローズは、南アフリカのダイヤモンド及び、金の大鉱脈の支配権を確立した時、ロスチャイルド家の代理店だった。
彼等は今尚、「デビアス社」を通じてダイヤモンドを、アングローサクソン・コーポレーションを通じて、金(ゴールド)を支配し続けている。





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 本当に、カナン人が神を排斥しながら、古代より共産主義、人間至上主義を掲げ、宗教、教育、政治、戦争、平和、革命、経済危機まで、全てを支配出来るように、画策してきた流れが書かれています。
イタリアで黒い貴族として大成功を収めたカナン人が、ヨーロッパを制覇するために貴族の地位を金で買い漁り、あらゆる汚い工作を繰り返しながら、遂には英国王の系譜まで辿りついてまた手に入れる様はまさに執念そのものです。
そして、ヨーロッパだけでなく、アメリカもその掌中に収めました。


 最後に「デビアス社」のダイヤモンドが出てきました。このデビアス社は別名「デビル(悪魔)社」と呼ばれています。このデビアス社はダイヤモンドの世界市場の9割を占めた巨大企業ですが、その成り立ちや背景においては、血塗られた歴史があるのです。それは産出国アフリカで起きた「ダイヤモンド戦争」です。
罪なきアフリカの市民がこの戦争により、50万人以上殺されました。しかも、現地の人々はこの戦争で手足を切り落とされています。その残虐行為は、妊婦や子供にまで及んでいました。先進国の女性の指に飾られる宝石の為に、何の罪の無い現地の女性達はその指を失い、または息絶えたのです。
興味のある方は「血塗られたダイヤモンド」若しくは「デビアス社」で検索して調べて見られて下さい。