⚪暗躍するメーソン、欧州各国での
 組織形成の実態


 共産主義運動の陰に潜む権力はフリーメイソンの権力だと気づいた最初の人物はおそらくディロン司教だったと思われる。

 (略)

 1747年には、レリュダン神父がアムステルダムで以下のように記している。「フリーメイソンの真の秘密はキリストの神性を否定し、自然主義或いはポーランドでソッツィーニによって説かれた合理主義の教義に置き換えた点である。」
英国の国王殺しの首謀者オリヴァー・クロムウェルは、信条においてソッツィーニ主義者であり、それ故、フリーメイソンは英国内で正式に組織作りが出来たのだった。フランスでも組織作りは進み、ナポレオンの長兄ジョゼフ・ボナパルトがグランド・マスターの地位にあった。それにも関わらず、ナポレオンはフリーメイソンの一人、ベルナドットに唆されてロシア遠征を敢行し、自らの軍隊を破滅させるという悲惨な結果を招いた。彼が余りにも大きな権力を持ちすぎていると、フリーメイソンに見なされた為だった。

 イタリアにあっては、英国のサックヴィル卿がイタリア大東社を設立していた。これはその実働部門である組織「アルタ・ヴェンディタ」❲「復讐」の意 訳者註〕を通じて、秘密結社色の濃いカルボナリ党から指示を受けた。メンバーへのこうした指示には以下のような戒めも含まれていた。
「汝の人生の活動の全てを「賢者の石」の発見に向けよ。中世の錬金術師は、この夢を追って、その時間とスポンサーの金を失った。この秘密組織の求めるところは、動機の単純さ故に、実現される筈である。即ちそれは人の熱情に基づいている。抑制、制限、敗北に挫けてはならない。……」

 アルタ・ヴェンディタの指示には以下のようなものもある。
「どのような組織であれ、秘教性、神秘性が際立った特徴として感じられるものでありさえすれば、どの位階、どの儀礼を問わず、組織の人々と手を結ぶことを勧めてやまない。……連携は共通の音楽、目的の為の芸術を生み出す。そうして後、その選ばれた芸術に毒を浸透させよ。毒はほんの数敵垂らすだけでいい。

我々はイエス・キリストの王国を継ぐ立場にない。それが我々の幸運である。

彼等の多くは苦境に立たされている。それ故、己の為と信じ込んで、我らの目的の為に仕えてくれる。彼等は見ればちゃんと分かるし、愚か者である故、誰が首謀する陰謀であれ、それらに荷担して評判が落ちる事など何とも思っていない。
この世界で最も高得な人々の間でさえ、今では得は存在せず、誰もが得の無い道を突き進んでいる。完璧なまでに冷酷で、完璧なまでに計算された見事な憎しみは、人為的な砲火や演壇上でのどのような宣言演説より効果がある。

ほどなく、マルタ島に、我らが自在に稼働させる事の出来る印刷施設が設備される。完成の暁には、英国の国旗のもと、我らの目的は罰せられる事なく、一つ一つ確実に行動に移す事が可能となる。そしてイタリアの津々浦々に、アルタ・ヴェンディタによって流布するに相応しいと判断された書籍、小冊子がばら撒かれるのである。」



⚪どうして世俗的人間至上主義が
  議論されないのか

 
 フリーメイソンたるカナン人が成功を収めているのは、プロパガンダの方便を慎重に選んでいるからである。そうした方便の中で最も有効に働いているのが、「世俗的人間至上主義」で、これによって、キリスト教会の発言者の大部分がフリーメイソンの活動に身を転じるところとなった。

 世俗的人間至上主義は、人類の利益が何より優先されなければならないという基本前提に立ち、「政府の利益」こそ人類の利益を実現する為の第一の道具と主張する事で、サタン主義、大きな政府即ち、言うまでもなく、全体主義の第一の支持思想となっている。
政府の官僚は、このやり方に則って、常に「人類の利益」を「精神の利益」に対抗させるから、「精神の利益」は脇に押しやられる事になる。

 世俗的人間至上主義は、もっと的確に言えば、束の間の事柄についての人間主義である。「死後の世界はない」、この世があるだけだと考える人々にとって、生きている内に全体を支配することは何より重要なことなのである。
他方、死後の世界を信じる人々は、この世での非道な行いに対して寛容すぎるきらいがあって、死後の世界では万事もっと良くなると考える。

 「人道主義」という言葉と「人間至上主義」という言葉が頭の中でないまぜになっている人も多くいる。人間至上主義は決して人道主義的ではない。20世紀に最もよく知られた人間主義の例といえば、ソヴィエト・ロシアの死の強制収容所だろう。そこではおよそ6600万人が死亡した。

 人道主義というのは思いやりと、誰かの苦しみを癒したいという望みの結果である。
一方、人間主義は、古代バビロンの悪魔崇拝と幼児の人身御供に直接由来しているから、敵或いは敵と目される人に苦しみを負わせることをその究極の目的に掲げる。アメリカ合衆国の人間社会主義的諸機関は「支援している」と自ら主張している人々を侮辱し、傷付けている。

……人間至上主義には常に特別な政治的方向がある。それが目指すところは、政治的機関を乗っ取って恒久的に社会主義を打ち立て、そこで全体主義国家の官僚が「人類の利益」を支配する事である。現在、実に多くのヨーロッパ諸国で実現されている「福祉国家」は、このゴールに到達する為の大きな一歩と言える。



⚪この世はサタンに支配されていると考える
 人間至上主義者

 
……実際、憎しみが人間至上主義の重要側面だとは、大抵の研究者が見落とすところだ。

……ソヴィエト政府は、世界一人間至上主義的な国家を運営し、この国家を代表する作家アレクサンドル・ソルジェニーツィンによれば、ボルシェヴィキ革命以降、自らの国民を6600万人も殺害してきたとされている。このような事は全て「社会主義的現実主義」ないしは人間主義の名においてなされた事だった。

 人間主義の重要要素である憎しみの起源は、古代史の中のバールという邪神崇拝に、「宗教」の名を借りて人身御供を行ったカナン人に、そしてその神々を称える儀式において行われた人肉嗜食に、更にはモロクの儀式で行われた幼児殺害に存在する。

……人間主義の悪魔的根源は、神を否定するその立場にも、神は世界の創造には実際のところ関わっていない、とするカバラ思想の主張にも、又世界の創造をサタン及び、サタンの悪行によるものとするカバラ思想の発想そのものにも表れている。

 「霊の世界全ては堕天使の知恵で動かされる。冥界の霊は降霊記に現れる……降霊術(スピリティズム)は、この世の王子、神の称号を未だに維持し、長期に渡ってこの世を満たし、動かそうと決意している大堕天使の手中にある媒介手段に他ならない」とするI・M・ハルデマンの言葉を考えると、降霊信奉者、降霊術師など、多くの人々がこの世はサタンに支配されていると信じている事が明白であり、人間主義者も、その行動から察するに、同様であると思われる。



⚪神秘学派の祖ビタゴラスから
 連綿とつづく系譜

 人間至上主義の長い歴史を検証し、更には古代世界から現代に至るまで、その発露を追跡すると、どの時代にも共通して見られることがあるのに気づく。
第一は、言うまでもなく、悪魔崇拝の儀式に重きを置くバールとアシュトレトのカナン人の世界。
第二は、世間から大きく抵抗された為か、
「知的」外観という保護衣をまとったこと、即ちバール神がフォースタス博士(伝説的錬金術師)となった事だ。
哲学めいた話を徐々に全面に打ち出すことで、血しぶきが上がるカナン人の祭壇を靄(もや)の中に隠したのである。


 こうした「人間至上主義学派」の開祖が
ビタゴラス(紀元前582~507年)で、ビタゴラス学派はクロトナを拠点に「神秘学派」として役割を果たした。

つまり、その哲学の「神秘学的」側面は慎重に選ばれ、「参入者」の集団に対してだけ説かれたということだ。また、ビタゴラス方程式は二元論の第一原則、即ち限りあるもの(有限の源)と、限りないもの(無限の源)に基盤を置いていた。時実上、これは最古の弁証法学派であり、その教えはヘーゲルや、有名な門下生カール・マルクスの19世紀の活動において頂点に達した。

 ビタゴラスの一派は更に、何世紀か後〈ゾーハル書〉の中に表れる教え、つまりカバラ思想を大々的に扱っていた。その一つが「数秘術」で、彼は宇宙を数学的等式として凝縮し、それを支配する秘術めいた公式を算出、発見しようと試みた。また、この一派は四列数(テトラクテュス)を取り上げ、1から数えて最初の4つの数字を足すことで得られる10を聖なる数とした。


 クロトナのビタゴラス一派は今日、私達の時代に興味深い関連を残している。1930年代、神智学協会のアメリカ支部が置かれた場所がカリフォルニア州クロトナだった。この町の名がビタゴラス学派の町にちなんで付けられたものかどうかは今もって不明だが。



⚪陰で世界を支配するメーソンの原理は
 プラトンの発明


 ビタゴラスの定理、或いは数字についての形而上学はプラトンに大きく影響を与えた。私達はプラトンを哲学者として認識しているが、成人してからの彼はかなり政治力を行使し続け、ペルシア帝国の拡大に反対する、地中海派の政治的集団の指導者と目されていた。

 彼は又、地中海地方における政治支配権をギリシャに取り戻す為に、エリート層の教育に主導的役割を果たした。ビタゴラスの影響から、今日のフリーメイソンのそれにも似たプログラム、即ち背後で影響力を行使しつつ、隠された計画に従事する秘密のエリート集団を組織し、その計画原理は彼等だけにしか知らせないといったプログラムを作り上げたのだ。

 (略)

 プラトンもビタゴラスも、神秘思想に好まれる「魂の転生」を信じていた。プラトンが人間至上主義の発展に寄与した重要人物の一人であり続けているのは、ビタゴラスの後を受けて、人間至上主義をバールという邪神崇拝に基づく教義から立派な「哲学の一派」に、ほとんど一人で変容させたからである。
変容させたとはいえ、それが、自らを特別に「選ばれた者」、知らない者に対して「知っている者」と見なす秘密のエリート層によって、人類に仕掛けられた奴隷化を目指す教義であることに変わりはなかった。

 人間至上主義は社会の世俗的側面にいよいよ深く関わりながら、その基本的な教えに忠実であり続けた。その基本的教えとは、「汎神論」「自然崇拝」「グノーシス主義(紛れもなくその拠り所となっているサタン主義の化身とも言うべきもの)」、更には神秘主義といった主たる秘教カルトの教義を混ぜ合わせて成立したものである。……人間至上主義は羊の皮をまとった狼なのである。

 (略)

 神秘主義思想はヘルメス・トリスメギストス、つまりエジプトの知恵、学問の神トトに与えられたギリシャ語名に由来する。
この名の本来の意味は「三倍武装する」であり、他より多くの情報を持つ者はより大きな保護を受けることを意味している。

 フランセス・イェーッは、その著書『ジョルダーノ・ブルーノと神秘主義の伝統』に以下のように記している。「宇宙の生気についての理論は魔術の基礎であり、錬金術は優秀さにおいて神秘主義と同等である。錬金術師の聖典ともいうべき、有名な〈エメラルド・タブレット〉はヘルメスによって刻まれたものとされている。」

 それ故、キリスト教指導者による撲滅努力にも関わらず、中世にあっては、様々な形の迷信、黒魔術が流布した。錬金術師は卑金属を金に変えようと躍起になり、ヨーロッパ中で神秘主義という新たな弁証法、つまりカバラ思想が大きな力を持つようになった。


 「※カバラ」とはずばり、「伝統」を意味する。それは❲ゾーハル書❳として明確な形を取ったが、同書は紀元1280年、ユダヤ神秘主義者モーセス・ベン・シェムトーブ・デ・レオンによって、基本法に関する注解書(ミドラシュ)として記された。

伝説によれば、神がモーセに掟を与えたとされていた。この秘密の意味は、何世紀もの間、書き記してはならないとされてきたから、参入者の選ばれた一団に口伝するという形で残されていた。「秘密の意味」は「秘教」カルトの基本である。神智学も秘密の意味に基づいていて、その教義はカバラ思想から直接採用されている。


(※補足文 
マリンズの説明とは少し異なりますが、
「カバラ」について明確な答えをくれる著書があります。『総説カバラー・ユダヤ神秘主義の真相と歴史』山本伸一著によると、ヘブライ語で「受容」或いは「受け取ること」を意味する。とし、カバリストはその教えを天からの啓示として受け取る。それは一人一人の神秘家と神との関係によって可能になるという。しかし、カバリストが授かったと主張する神や天使や預言者の啓示は、あくまで人間が作り出した言葉として論じられるべきである。と説明されています。)



⚪金満メディチ家の支援で爛熟した
 新プラトン哲学

 ❲ゾーハル書❳は10のセフィロト(神性からの流出)と神の名を構成する22のヘブライ語アルファベットを基盤とする神智学的な体系として記されている1492年、ユダヤ人がスペインから追放された事で、カバラ思想の導師がヨーロッパ中に散り、その教義がルネサンス期の主流哲学、「新プラトン学派」を生み出した。
その「新プラトン主義」が更に、その他の哲学の発展の源となって、宗教改革、啓蒙主義運動、革命の時代を直接導き出した。

❲ゾーハル書❳は、この世の悪魔は、人間と魔性なるものとの間の性的交わりに由来し、よく知られているリリスのような悪魔もそのように誕生したとするタルムードの伝説を力説している。それ故、悪魔的儀式では常に性行為が重視される。

**新プラトン学派の徒が大きな非難を浴びたのは、その師と弟子が同性愛行為を行うことを広く知られた為だった。

(**因みに、実はプラトンも若く美しい弟子と同性愛行為をしていたようです。)

 新プラトン主義は、神秘主義の著作を、カバラ思想を背景にまとめられたグノーシス主義と結びつけ、内なる光明(ドイツにイルミナティの発展を生じさせる直接の誘因となった教え)、忘我の状態(エクスタシー状態)及び、秘密思想と合理主義の関連を強調した。

 神秘体験による「自我の開放」は信奉者を惹きつけて離さず、この哲学体系は程なくルネサンスをヨーロッパにおける主流文化勢力にした。
 
 (略)

「黒い貴族」(ゲルフ)の長コジモ・デ・メディチは15世紀、フィレンツェにアカデミア・プラトニカを設立するための資金を提供した。
こうした経済的、政治的支援を得た新プラトン主義は急速に認知され、1486年には、ピコ・デラ・ミランドラが新たな思想に関する900の論文(うち72の論文が概念的には紛れもなくカバラ思想だった)をアカデミア・プラトニカに提出した。