⚪「赤」が象徴する革命と
   罪なき人々の大量虐殺

 紀元前586年~537年にかけて、ネブカドネザルによって、バビロン捕囚が行われた(後、ペルシアのキュロス王がバビロンを占拠し、エルサレムへの帰還を認めた)。このバビロン捕囚の間に、カナン人の様々な種族は自由に混ざり合った。ユダの子孫カナン人の一派と交わったのはエドムの子孫だった。エドムとは「赤」を意味し、「捕囚」以後、「赤」は革命ないしカナン人による罪もない人々の大量殺戮を意味するようになった。因みに、イルミナティの成立を支援したロスチャイルド家も、その家名をバウアーからロート(=赤)シルド(=盾)に変えている。

 異民族間の交わりの結果、子孫の間には、どれを自分達の慣習とすべきかについて、大きな混乱が生じた。この混乱を解消しようと、捕囚達は宗教的教えを一冊の書にまとめ始め、紀元2世紀になる頃には、ヘブライ語で「教え」を意味する〈タルムード〉を、その基礎をなす口伝律法(ミシュナ)とその註釈書〈ゲマラ〉として完成させた。ただし、活字となってそれが現れたのは1520年で、ダニエル・ボンバーグによってベネチアで出版されている。

 悪魔崇拝の都バビロンにその起源を持つ為、悪魔学は〈タルムード〉の全体を通じて重要な役割を果たしている。悪魔学はデミウルゴス(悪の創始者)を世界の創造主として言及すると同時に、悪魔の様々な姿を、①マジキム②シェディム③ルホト、と定義している。また悪魔の王としてアスモデウスが挙げられる。

 (ミシュナ)によれば、紀元前2世紀、以下の2つのことは決して大衆に明かされてはならない(授けられてはならない)とされた。
 1, 創造の作業
    2, 戦車の作業
 (秘密の活動「神の座」を意味する)。

この教えは、後、フリーメイソンの秘密の儀式の中で更に正式のものとなった。

 紀元1280年、〈タルムード〉の思想を更に 発展させた〈ゾーハル書〉(光耀篇)が現れ、
カバラ(思想)として知られるようになった。
この思想は、
①新たな教えの中で最も神聖な言葉としてのGeneration(ジェネレーション豊饒の儀式)
②イスラエルだけが未来世界を所有できる
という教え、この2つを基盤としていた。
 
因みに、先述したように、Generationは後、
フリーメイソンのシンボルの「G」となった。

 〈ゾーハル書〉は紀元3世紀にはバビロンに現れていた。セフェル・イェツラー〈形成の書〉に由来し、その象徴である10のセフィロト(数)は、宇宙は10の数字と22のヘブライ語アルファベット文字に起源を持つという思想に基づいついた(22枚のタロット札やセフィロトに通じる「22の小径(パス)」はこのアルファベット文字に対応する)。

 カバラ思想(Kabbaah, Kabalaなど、様々に綴られるが、Cabalaであることが多い)の中では、悪は独自の謎めいた姿で現れるが、その教えたるところによれば、悪はこの世の生命の出現、即ちアダムに遡り、アダムこそが生命の流れ全体のバランスを狂わせたとされ、それ故、この世のアダム人の肉体的存在を正式のものと認める教会、あるいはキリスト教思想も取り除かれなければならない問題であると見なされる。
カバラ思想及び、その継承者フリーメイソンの思想の根底にある反生命原理のまさに核心である。
 
 また、その主張するところによれば、最終的には悪魔崇拝が教会及び、キリスト思想を圧して勝利を収め、善と悪との問題に、悪の勝利、即ち善をこの世から抹殺する事で決着をつけようという計画なのだ。いささか安直ではないかとも思えるが、この計画こそがカバラ思想及びフリーメイソンの基本前提である。

 現在、私達はこうした反生命の教えに、文明が発達していく多くの場面で遭遇、直面している。**カナンの子孫は科学技術、都市生活、産業化、人類の文化的業績といった進歩を本能的に嫌い、がむしゃらに対抗する。**

 (**マリンズはカナンの子孫が科学技術や都市生活〜の進歩を本能的に嫌い、がむしゃらに対抗する。書いていますが、これはセム側の立場ではないか?と個人的には思います。)


 **彼等が目指すところはこの世を、前アダム人的原始状態、すなわちネアンデルタール人のような人類が、自らの原始性に気づくこともないほど「文明」とかけ離れた大地を、気の向くままうろつき廻る時代に戻す事であり、最終的には、前アダム人を「復活」させ、結果として神の創造物としてのアダム人によってサタン及びサタンによる世界支配が邪魔されないようにしたいのである。**


(**カナン人達は、セム人達の頭や身体を進化論で言う「原始人の猿」に戻したい。という意味だと思いますが、進化論は彼等のでっち上げ理論なので、神が初めアダムやイヴを創造された時代は、神がアダムの子孫を守りむしろ、現代より遥かに幸せな時代であったと思います。それに当然アダムやイヴが原始人の猿同様の知恵しか無かったわけでもありません。要するに、サタン支配による、カナン人達支配層は近代的な生活を送り続け、奴隷であるセム人はノロマな猿にしたいという事だと解釈しました。)



 だからこそ、カバラ思想の継承者フリーメイソンは、私達の生命の血統を抹殺し、カナン人の呪いの最終勝利をこの世にもたらすことに照準を定める。過去を振り返る時、カナン人の子孫たる陰謀者によって定期的に繰り返され、人々を苦しめてきた大量殺戮、戦争、人類の破壊といったことに反駁の余地のなく説明を付けられるのは、この驚くべき見解をお いて他にはない。

 『ユダヤ教百科事典』では、カバラに61ページが費やされている。同事典の 見出し語としては破格の扱いだ。そこでは「キリスト教的カバラ」、つまり世俗的人間至上主義の中心的成果が18世紀後半、即ち「啓蒙主義運動」の時代に神智学系フリーメイソンの中に表れたと指摘されている。18世紀から19世紀にかけて、様々な革命を引き起こし、緒革命以前には宗教改革を生じさせたのは、世俗的人間至上主義におけるこの一大勢力だったという事だ。
こうした政治的結果は〈ゾーハル書〉の教えの倫理的帰結であり、その教えによれば、
**エン・ソフ(無窮なるもの)は間接的なやり方で世界を創造して、肉体的存在(生命)によって汚されるのを避けたとされる。(ここでも、この思想体系にある教えは基本的に反生命的である事が明かされる)。

 この無窮なるものは、10のセフィロト(神性からの流出)を介してのみこの世に顕現する。
〈ゾーハル書〉の教えでは、神或いは神の息子イエス・キリストのこの世への示現は一切否定され、非神性ないしは人間的な教義ばかりが強調されるのである。


(**補足文
無窮なるもの…… 「ゾーハル書」の解説から、神秘主義の言葉ではそもそも「究極者」について語れない。カバラーでさえこの究極者を言い表すのに、「存在」とか「実体」という概念を、いやそれどころか「神」といった概念すら知らない。
それの唯一可能な規定は否定である。エン・ソーフ(無限なるもの)とか、「アイン(無)」はおよそ名付けうるあらゆる存在のカテゴリーを超えている。……「ゾーハル書」はイスラエル人の問い、『ヤハウェ(エホバ)は我々の只中にいるのか、それともいないのか』出エジプト記17:7を、この「アイン」に関係づけ、『ヤハウェは我々の只中にいるのか、それともアイン(無)か』と捉えている。と有ります。)

 

 正統派ユダヤ教徒の宗教的慣習は、カバラ思想に基づいている。彼等は〈ゾーハル書〉に「世界中の民族を圧して勝利する時代」と記されているように、来たるべき勝利(タベルナクルの祭)を祝う。「それ故、この祭の間はルラヴ(ナツメヤシの葉)を彩り、トロフィーとして携え、我々がその他の人々(全民族)を支配したことを示すのである。」



⚪自由・博愛・平等、
 すべてはカナン人たるメーソンのために

 英国の「黄金の曙ヘルメス教団」の創始者W・ウィン・ウェスコットは、その名著「ザ・マジカル・メーソン(The Magical Mason)」の中で、フリーメイソンの起源として、以下の事柄を挙げている。
エルサレムのエッセネ派、ユダヤ教の慣習に最も厳格なパリサイ人系ユダヤ人、エジプト及びギリシアの古代の秘教団、ドイツのウエストファリアの秘密刑事法廷、中世の時代の同業組合ギルド、ローマ帝国の同業組合コレギウム、フランスの巡歴職人組合コンパニョナージュ、薔薇十字団。そして同時に彼は、ローマのカピトル神殿には「監督者」、つまり聖なる一団という楔石(くさびいし)があると指摘する。
事実、そのロイヤル・アーチの礎石には、対をなす白い立方石で造られた祭壇があって「聖なる名」が刻まれている。更に彼が続けるところによれば、フリーメイソンの儀式の起源となっている秘儀には「黄泉の国」に落ちるのを再現する事で、参入者の心の中にある死への恐怖を絶ち、彼等が全ての事の第一因に目覚めるようにしようとの意図があったとされる。
また、ウェストコットは、メッカにあるカーバ神殿の有名な「黒い石」もそうした秘儀の一部だと主張している。この聖なる石は英国国王の王座の下にも置かれていて、聖書の時代には「ヤコブの石」だったと言われている。

 フリーメイソンのモットー、「我を通じて王が支配する(Per me reges regnant)」も権力にまつわるそうした古代シンボルに由来している。フリーメイソンは、王を支配する事で、背後からその権力を行使するという事だ。たとえ王権が革命(その勢力はフリーメイソン自らが組織したものである事が多かった)によって覆され、国王が斬首されても、背後で操る者は予め警告を受けて無傷で逃れ、次に選ばれた指導者(通常、彼等の秘密評議会によって任命された人物)を通じて、支配を続行したのである。
フリーメイソンは、東方的専制政治によって絶対権力が行使され、維持されるよう努める一方、既存秩序に対抗する革命勢力を重んじたり、資金を提供したりする事で、世界的影響力を獲得した。彼等のスローガンはフランス革命のモットー、「自由、平等、博愛」となった。

 「自由、平等」とはフリーメイソンにとってだけのものであり、フリーメイソンでない人々には奴隷の立場が運命付けられた。「博愛」にしてもフリーメイソンたる、カナン人の間の友愛に過ぎない。

 このスローガンは、「ニューエイジ」運動として自らを宣伝するフリーメイソン文書の全てに登場する。
アメリカ合衆国の首都ワシントンに住むフリーメイソン団員の機関誌のように、多くの刊行物が「ニューエイジ」をその名に揚げ、例の三角形を表紙に載せ、その縁を「自由、平等、博愛」というモットーで飾り付けている。

 このニューエイジとはセムの子孫の最後の生き残りが抹殺される事になる最終ハルマゲドンの後に始まる新秩序の事である。




⚪光を掲げる者ルシファーは
 オカルト位階メーソンの支配手段

 フリーメイソンの世界にあって、エルサレムはフリーメイソンの発祥の地として名高い。ソロモンの神殿は初期のフリーメイソン・ロッジによって建設されたという言い伝えもあるくらいだ。
ソロモン王はその神殿を紀元前1005年に完成させ、約40年間、世を治めて60歳で死亡し、その王位は息子のレアベアムに継承された。マッキーの『フリーメイソン百科事典』(前出)によれば、〈ソロモンの東方の座(Oriental Chair of Solomon)〉の項目には「象徴的ロッジにおける棟梁(マスター)の座(The seat of the Master in a  Symbolically Lodge )」と記され、マスターは象徴的には、かつてソロモン王が支配した職人(クラフト)の上の座に就くと考えられる為と説明されている。同じ理由から、グランド・ロッジのグランド・マスターの座も、この名を受け、英国では「王座」と呼ばれている。

 フリーメイソンのシンボリズムによれば、「虹」はルシファー[光を掲げる者]の神聖な表現として現れ、その輝かしさを表象している。フリーメイソンの資格状には、以下のような詩文が記されている。「そして神は言われた。ここに光あれ、するとそこに光があった」

 実際のところ、ここで神の名が使われることは典型的な誤魔化しであり、真に意味するところは、高位階(オカルト位階)のフリーメイソンしか知らない。つまり、これは儀式を司る位階が職人メーソンを支配する為に利用する組織内での欺瞞の一例であって、これによって高位階のフリーメイソンは職人メーソンを支配するのである。

 ルシファーとは、アルバート・パイクがマッツィーニ始め、フリーメイソンの指導者への書簡の中で明らかにしたように、神として、師として崇拝される存在の名である。