⚫終末についての問答
  (8章37~9:13)

 エズラの祈りに答えて主は言われた。
「お前の語った言葉の中には正しいところもある。その部分についてはその通り実現するであろう。確かにわたしは、罪を犯した者について、彼等の生成と死と破滅などに心を煩わすまい。それよりも、義人の創造と、彼等の巡礼と救いと、彼等の受ける報いを喜ぼう。わたしの言った通り実現するのだ。農夫は地上に多くの種を撒き、多くの苗を植えるが、やがて季節が巡って来ても、すべての種が生える訳ではなく、植えられた苗が全部根付くものでもない。同じように、この世に撒かれたすべての者が救われるというわけではないのだ。」

 私は答えて言った。
「もしお許し頂けますならば、申し上げたい事があります。農夫の撒く種は、季節に適った雨を受けなければ芽を出さず、或いは雨が多すぎて腐ってしまえば、死んでしまいます。けれども、人間はあなたが、あなたの御手によってつくられ、あなたに似せてつくられたので、あなたの像(かたち)と呼ばれていますし、あなたは人間のためにすべてをおつくりになったではありませんか。あなたは人間を農夫の撒く種と同じようなものとしておつくりになったのですか。いいえ、そうではないはずです。支配者なる主よ。どうかあなたの民を救い、あなたの嗣業(しぎょう)を憐れんで下さい。あなたは御自身の創造されたものを憐れまれるからです。」

 主は答えて言われた。
「現在あるものは、今生きている人のためにあるが、将来のものはこの後の世に生きる人のためである。わたしの創造したものを愛することにかけては、お前は到底わたしには及ばない。お前は度々自分を不義な者になぞらえるが、そんな事をしてはいけない。しかし、この点でもお前は至高者の前で称賛に価する。お前はいかにもお前らしく謙遜にへりくだった態度をとり、自分が最高の栄誉を得るために義人の一人と自分自身を考えないからだ。この世に住んでいる人々は、おごり高ぶって生きているので、終末の時には多くの悲惨な事を味わうであろう。だが、お前は自分の事をよく考えてみるがよい。そしてお前と同じような人々との受ける光栄を尋ね求めなさい。………だから、滅び行く多くの者についてはもう一切尋ねるな。彼等もかつては自由を与えられたのに、至高者を軽んじ、その律法を侮って、その道を捨てたのだ。そればかりか、彼等は主の義人達を踏みつけ、心の中で神は居ないと言った。彼等はこんな事をすれば必ず死ぬ事を知っていながら尚あえてしたのだ。お前の身の上にわたしが予告した事が起きるのと同様に、彼等のために用意された渇きと責め苦が彼等を待っているのだ。至高者は人間が滅びる事を望まれないのだが、彼等、創造された者が自分自身でおつくりになった方の御名を汚し、彼等に命を与えられた方に感謝する事を忘れたのだ。それ故、わたしの審判はすぐに行われる。わたしはこの事をすべての人に教えた訳でなく、ただお前と、少数のお前と同じような者にだけ教えたのだ。」

 私は言った。
「主よ、あなたは終末の時にあなたのなさる多くのしるしを見せて下さいましたが、何時このような事をなさるのかは教えて下さいませんでした。」

 主は答えられた。
「注意して心の中で時をはかるが良い。わたしが予告したしるしの内のあるものが起こったのを見たら、その時こそ至高者が、自ら創造された世を訪れる時が近づいたと悟りなさい。……この世に起こった事はどんなことでも始めと終わりがはっきりしているが、至高者の時についても同様に、始めは奇蹟と力強い御業を通して明らかにされ、終わりは報いとしるしによって示される。自分の行為故に、或いは信仰の故に救われ、罪を逃れることのできたすべての者は。予告された危難に耐えて残り、わたしが世の初めから聖なるものとして取っておいたわたしの国の中で救いを見るであろう。その時、今の世でわたしを嘲った者は驚きあわて、その道を拒んだ者は責め苦に遭うであろう。生きている内にわたしの恩恵を受けながら、わたしを認めなかった多くの者、まだ自由を持っている間にわたしの律法を嘲り、悔い改めの機会がまだあるのに律法を悟らず、無視した多くの者は。死んだ後、責め苦を受けてそれを認めるであろう。……義人がいかにして救われるかを尋ねなさい。来世は彼等のもの。彼等のためにつくられたのだ。」


 ⚫むすび
 (9章14~25)

 私は答えた。
「先にこの事は言いましたが、今また言います。これからも繰り返して言うでしょう。滅びる者の数は救われる者より多いと。それは調度波が一滴の水より多いのと同じです。」


 主は答えて言われた。
「畑があってこそ種があり、花があり、仕事があって産物がある。農夫があってこそ脱穀場がある。わたしが、現在この世にあるものをつくる準備をしていた時がかつてあった。つまり住むべき世界そのものがつくられる以前である。その時わたしに逆らった者は一人もいない。まだ誰も存在していなかったからである。ところが今や、この世界には欠けるものの無い豊かな食卓と、尽きる事の無い牧場が備えられているというのに、そこに住むためにつくられたる人間は腐った生き方をしているではないか。わたしは、わたしの世界を考えてみた。どうだ、それは影も形も無いではないか。わたしの大地を見た。どうだろう、そこに入って来た人間共の悪巧みによって危険に瀕しているではないか。わたしはそれを見て、大変な苦労をして一部を救い、一房のぶどうから一粒を。大森林の中からたった1本の樹を救う事が出来た。生まれた値打ちもないようなものは幾ら多くでもみな滅びに任せるがよい。だが、わたしのぶどう、わたしの樹は救われるべきだ。わたしがあれほど苦心して仕上げたのだから。」




 以上が「第四エズラ書」よりの抜粋でした。


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 【カナンの呪い】1.
 (寄生虫ユダヤ3000年の悪魔学)

 ユースタス・マリンズの「カナンの呪い」によれば、最初のアダムとイヴの子供、カインとアベルについて(キリスト教の解釈はカインとアベルはイヴが産んだアダムの子供となっていますが)実はユダヤ教の解釈は違っているといいます。そもそも、ユダヤ教の教えは「モーセ5書」のみしか信者に教えていないのですが、彼等が扱う聖書「タルムード」やタルムードより、より正式?で上品?な「ゾーハル(カバラーの聖典)」においては、カインはイヴがアダムを産んだ後にサタンと交わり産んだ子供となっています。

 そして、(アベルがカインにより殺された為)アベルの代わりに神がアダムとイヴに与えた子供「セツ」がおり、このセツの子孫が「エノク」を生み、後の「ノア」を誕生させるのです。因みにセツはアダムに、外見中身共にうり二つであったと言われています。 

 旧約聖書外典の「エノク書」に見られた通り、天使であった「見張りの者」等が人間の女性に恋をして結婚し、その子供がみな巨人となり世界中をめちゃくちゃにした事から神が嘆き怒り、この世は大洪水を経験することになります。そして、神の眼に適った義人、「ノアの家族」から人類の再出発が始まる事になったのです。
 しかし、このノアの3人の息子の内の次男、ハムの妻がカインの家系の女だった為に人類は再び恐怖の世界に突き落とされる事になったのです。
以下、詳しく説明。


 「カナンの呪い」より

⚪夜の女悪魔リリスの轍をふまえて神はイヴを創造した

 ウェブスターの事典のリリスの項は、「ヘブライ語で夜の意味。①ユダヤ人の民間伝承、ヴァンパイアーの女悪魔、②ユダヤの民間伝承、イヴが創造される以前のアダムの妻」と記されている。リリスをアダムの最初の妻と見なす伝説も多い。こうした伝説によれば、神はリリスを泥と塵からつくられたとされている。

 そのリリスは、程なくしてアダムと口論をした。対等の立場を求めるアダムの下となる体位を拒んだからだ。彼女がレズビアンの守護神として採用された理由もここにある。

 リリスはアダムの元を去り、紅海の海岸に逃れ、そこで野生動物やハイエナに混じって生活し、悪魔との途方もない性交渉にふけったとされる。彼女の存在は、ユダヤの民の女悪魔の長となり、新生児を餌食とし、その生気を吸い取るとか、一人で寝ている男の血液を吸うとかいった恐ろしい伝説を多く生み出した。
またリリスは、「夜の鬼女」としても言及されている。〔イザヤ書34:14〕には、「荒野の獣はジャッカルに出会い、山羊の魔神はその友を呼び、夜の魔女は、そこに休息を求め、休む所を見つける」と記されている。この部分を除けば、リリスの名は、芳しくない評判の為に聖書から削除されている。

 他にも、リリスと彼女に付き慕う女悪魔がリリスーナアメー、メントラル、アグラス、ナハロスとして、4つの季節を支配したとする伝説もある。彼女達は闇の山々の山頂に集い、魔女の安息日を祝い、その時に悪魔の王子サマエルと性交渉をもったとされる。 


 泥と塵からつくったリリスが不幸な結果に終わった為に、神は次なる創造、つまりイヴの創造にはアダムの肋骨を使おうと決意した。
結果として、イヴは“haw wah”(あらゆる生物の母)として、また、後にサタンと交わったところから『蛇の母』として知られる事になった。サタンこと、この闇の王子は色々な姿を持っていたが、イヴに対してそうであったように、性的欲望の化身となる時には、蛇の姿で現れた。


 既にこの世には、悪魔とその従者の存在によって悪が確立されていたから、神は人類を罰しなければならなかった。
この罰を下すにあたって、神は公正であろうと決意した。それ故、一点の曇もなく、罰を受ける必要の無い者を選ばなければならなかった。

 神の選び方は簡単だった。汚れ無き者、つまりノアとその家族が選ばれた。ノアについては❲創世記6:9❳に「……その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった」

……何れにしても、ノアと彼の家族は世界に残されたアダムの子孫の中で最後の純粋な血統にあったから、神に選ばれたのである。

 (略)

 ……この箱舟に「すべて命あるもの、すべて肉なるものから、2つずつ連れて入り……」と神はノアに命じた。箱舟のスペースは限られていたから、船内にある間は、どの種にとっても新たな生命が生きていく余地は無かった。そこで神は性行為を禁じた。
ところが箱舟に入った一人、ノアの次男ハムはこの命令に背いた。箱舟の中で、褐色の肌の前アダム人の女と交わった。その子孫は黒人で「クシュ」と名付けられ、エチオピアの象徴となった。


(※※補足〈創世記7:13〉
『まさにその日、ノア、そしてノアの息子たち「セム」「ハム」「ヤペテ」またノアの妻と息子達の妻が彼と共に箱舟に入った。』
とあります。そしてハムだけがノアの箱舟において違反者となりました。)



⚪聖書の“意図的な誤記”は未来への重大警告だったのか

 聖書を読み進めても、誰の事かわからなかったり、わかっても間違っていたりする為に、この辺りは釈然としない。
[創世記]に表れている通りの事の次第、説明、そこに登場する人々に辿り着けないのが現状である。何世紀もの間には誤訳があったか、勝手な編集がなされたのだろうか?


(※※補足 マリンズが上記言っている通り、確かに一部、聖書の文脈には不思議な、辻褄が合っていないと思える箇所があります。特に旧約聖書の〔創世記〕は多いと感じます。そして、何故か、ユダヤ教の「タルムード」や「ゾハール書」はしつこい位 [創世記]の神の言葉やそれ以外の言葉の一文一句に解釈を付けています。しかも、ユダヤ教なので悪魔思想としか思えません。しかし、創世記への、このこだわりは何なんでしょうか?)

 この世の生き物は、洪水以前の至福を取り戻したが、ノアはハムの罪を思い悩み続けた。
あまりの憂いさに彼は葡萄酒を大量に飲み、酔っ払って裸で寝入ってしまった。

 ❲創世記9:24〜27❳ に記されているように、ハムの息子カナン(※箱舟で出来た子)は裸の祖父を見た。とはいえ、一箇所で、彼は正しくは孫と呼ばれるべきところを「ノアの末の息子」と記されている。ハム以外のノアの息子、セムとヤフェト(ヤペテ)は裸の父親を見て、慌てて着物で彼の体を覆った。が、目を覚ましたノアは寝ている間に生じた事に激怒し、カナンに呪いの言葉を発した。

 「カナンは呪われよ。奴隷の奴隷となり、
 兄達、(セムとヤフェト)に仕えよ。」

 ここもどうも釈然としない。セムとヤフェトはカナンにとっては伯父であって兄ではないからだ。
この「謎」は恐らく故意のもので、この節をとくに研究させ、未来の世代すべてにこの重大メッセージ、警告を理解させたかったのではないだろうか?

 カナンに対するノアの激怒について、カナンに対する呪いについて、様々な説明ななされてきた。例えば、ほとんど信じられていないが、ハムがノアの妻と寝たか、或いはそうしようとした為、という説もある。この推測を裏付ける根拠は存在しない。
また、箱舟の生き物に下された神の命令をハムが破った事を、ノアは依然として思い悩んでいた為に、カナンに呪いの言葉を発したという説もある。……だが、これも信憑性に欠ける。 

 旧約聖書に登場する人々は、その行為を見る限り、極めて直接的である。ノアがハムの事で悩んでいたのであれば、呪いはカナンではなく、直接ハムに向けられていたはずだ。どちらの説もノアのカナンへの呪い、3000年の間には人類に災いをもたらしてきた呪いの激しさの説明としては妥当とは言えない。

 唯一、ノアの怒りの説明として納得できる説があるとすれば、それはカナンが祖父を激怒させるだけの「何か」をしたとする説である。
裸の祖父を見た事で、呪われるほどの逆鱗に触れるとは考えにくい。聖書研究者の結論は、カナンが何か実に下劣な事をしたのではないかという事だった。それは一体どのような事だったのだろう?

 現在、翻訳されている聖書にその手掛かりは実際のところ存在していない。この研究者達はカナンは混血種であり、それ故アダムの子孫の厳格なモラル規律に束縛されなかった為、祖父に対して同性愛的行為に及んだのではないかと考えたのである。ノアは純血種である故に、その行為に対して激怒し、あのような呪いの言葉を発したのではないか、と。

 カナンの呪いは彼の名に因むカナンの地にも及んだ。その地の人々、つまりカナンの子孫自身が人類の最大の災厄となり、そのまま今日に至っている。悪魔崇拝、オカルト的儀式、幼児の人身御供、人肉嗜食といった習慣を始めたからというだけでなく、異邦に出て、移民先の各地にこうした淫乱な慣習を持ち込んだからだ。

 エジプトにその悪魔的カルトを持ち込んだばかりか、フェニキア人(彼等の後の名であり、紀元前1200年以降そう呼ばれた)として、様々な出来事を続発させて文明の悪魔化をはかった。
また、ベネチア人(中世史においてはこの名で知られている)として、ビザンチン帝国のキリスト教文明を破壊したばかりか、後には「黒い貴族」としてヨーロッパ諸国に侵入し、策略や革命、金融策謀を通じて、次第に実権を掌握していった。




 「カナンの呪い」2.へ続きます。