つづき

元サタニストの自叙伝 (5)
2009/12/12  ブログ主さん公開

(冒頭略)

私はカードにサインし、それを自分の財布の中にどこか誇らしい気持ちで歩いた。私はカード(サタン教会の会員)を持ち歩くサタニストであった。それだけのことである。どんな赤ん坊も殺さないし、十字架につばを吐きかけたり、主の祈りも逆から唱えたりする必要はなかった。20ドルをポンと出し加わっただけだ。ロータリクラブより近いものだった!もちろんシャロンと私は自分の低い位のメンバーには参加するのを決めたことを告げなかった。実際は彼等ウイッチとサタニストは反対のもので、同時にはなり得ないものだと言っていた。しかし、高い位のメンバーのある者達には、私が行うラヴェイの魔術の哲学の説明に惹かれ(サタン教会に)参加した者もいた。私達はミルウォーキーの地方で何か始めたいと考え、教会の本部に手紙を書いた。早速返事がきて、サタン教会の第2段階-ウオーロックに参加するための申込書が届いた。それは最初の段階よりもっと怖がらせるものだった。長い質問があり、哲学的なかなり多くの主題に対して、エッセイ式の答えが求められていた。思い出す限りではより多くの金がかかったが、答えを埋めて送り返した。私は呑気にしているのが嫌だったので、可能な限り他の文献に当たり始めた。私は他の別々に枝分かれしたオカルト教会にコンタクトを取った。

 O.T.O(東洋テンプル騎士団)は由緒あるドイツの魔術師/フリーメイソンの結社で、19世紀にシークレットチーフ(アセンデッドマスター)により設立されたものである。アレイスター・クロウリーはおそらくその秘密(すべてのメーソンの本当の秘密)を発見して、急いでメンバーになった。
シャロンと私は本当にクロウリーに興味があり、O.T.Oの接触も更に徹底的になり、要求的になってきた。それでラヴェイの他の資料の研究に加え、彼等と共に研究することを始めた。また、他の独立したサタングループとも連絡を取っており、黒い子羊(Black  Ram)結社とも対応していった。私は定期的にサタンのミサに通うようになっていった。シャロンと私はクロウリーの儀式を多く行った。地上の教師とスピリットマスターは、真剣なサタニズム(サタン教会よりも)に進むためには2つの明らかに対立する仕事を完成する必要があると言った。
一つはフリーメイソン団に参加し、マスターメーソンになること。そしてより高位に進むこと。2つ目は全くおかしなことだが、聖職を受けカトリックの僧侶になることである。
これは自分にとって驚きだった。カトリック信者として育ってきたからである。実は私が最初にオカルトに加わった大学の小さな神学部について、一方では僧職の勉強をしていた。カトリックの教養はよく知っていたし、カトリックは厳密にメーソンになることを禁じていることも知っていた。何故相反する者にならなければいけないのか?こう説明された。何世紀にもわたり、主に人間の継承ラインによりオカルトの血からは流れていると。私はこれには納得した。というのはカルトシズムとウィッカの両方とも、それぞれ僧職の間において継承されるという基本的な教えがあったからである。私が教えられたところによると、カトリック教会はベトラインの流れ(聖ペテロからと伝えられる)の貯蔵庫であり、フリーメイソンはジョアンニ(Johannine)(聖ヨハネ)の守衛であるということである。儀式的な魔術で創り出される流れの一部は、この異なる2つのエネルギーの流れによるものである。カトリックとメーソンの間の反対性というのは、実際は表面的なものであると説明された。最高のレベルになるとこれら2つの宗派は混じり合うのだ。もちろん、一般民衆は闇の中に隠されているのでこれを理解しない。全てのカルトは「知らなければならない」基盤に基づいて運営されるものだ。

(中略)

こうして私は2つのマイルストーンを達成した。行く所はどこにもなかったが、闇の王国を上がっていった。

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(6)
2009/12/13 公開

サタン教会では合法的な教会を持っているとしている。他の教会と同様に、権利と税金の優遇を受けている。アメリカでは法を犯さない限り宗教の自由を享受しており、自分に合っていると思われるものを信じることが許されている。
(略)しかし合法だからといって、彼等の霊的な危険性は度外視できない。サタン教会のメンバーもまた他の中核をなすサタニストと共に、魂を失う危険にさらされているのである。ここでもまたサタンの性質はまさに嘘つきだということを覚えたい。彼は嘘つきの父(ヨハネ8:44)、騙す者(第二 ヨハネ7章)と呼ばれている。何も法を犯すことを行っていないと言うとき、サタンに対して最も敬虔な者を信じるのであるなら、私達は浅はかであると言えよう。これらの教会はしばしば、よりハードコアなサタニズムの布石となる。
(中略)合法的なサタニストの教会は政府のふるいにかけられ、制限されたため多くはない。にも関わらず、少なくともアメリカには4500の存在を確認できるサタン的グループがある。それらのほとんどは小規模であるが、その数以上に影響力は大きい。サタン教会のメンバーは明らかに5千〜万人もの数に達した。ラヴェイによると1980年代中頃には2千人あたりで増えているとのこと。
ラヴェイはライオンの調教師、映画館のオルガニスト、柔道の黒帯を持った警察付の写真家を経験したあとに、1966年に彼の教会を始めた。
(略)
1966年5月1日の夕方、ラヴェイはサタン的
天才のアレイスター・クロウリーを手本として、サーカスの強い男でありエジプト魔術の僧侶として自分の頭を剃り、その年をサタン年の最初の年として宣伝した。
(略)
ラヴェイは「黒魔術」の勉強会を始めたが、元々のサタン教会の中核になる部分が発展していったのは、このグループからである。ついに彼は「サタンの聖書」をまとめあげたが、これは「サタンの黙示録」のみならず、哲学や心理ドラマ、憎むべき宣伝(?)を見事に融合させるよう設計されていた。この出版に伴い、彼の名声と教会のメンバーの数は跳ね上がった。


(※※補足情報)
アントン・サンター・ラヴェイ 
(Anton  Szandor  Lavey   1930_1997年)
サタン教会の宣伝モデルを作り出した人物。
彼が始めたことで有名となり広まっていった。
サタン教会の大衆向け?もしくはサタン教会の表向きの雛形を作ったといえる。
しかし、本物のサタニストに言わせると、「彼はサタンの宣伝マンとしての役割は大いに果たしたが、霊的な能力はそれほどでも無かった。(つまり大したことない奴。)」という。
(元サタニストのジョン・ラミレス氏の談)