独身の頃働いていた
職場の事を思い出す。
娘の塾の送迎の帰り道、
通る大津通りは
その頃、職場へ自転車で通った道。

この道はここ数年、毎日通ったなぁ。
この道を通って季節の移り変わりを見て
都会に唯づむ豊かな木々達を毎日見るルーティンも
あと、残り数ヶ月かぁ。と
そんな事を思いながら車を走らせる🚗
塾の帰り道の時間帯と
あの頃、帰宅する時間帯が一緒で
色んな季節を感じながら通った夕方の帰り道を
また今になって車で通るのは何だかエモいぞ。



昔は身軽だったなぁ、悩みはあっただろうけど
もっと自己中に生きていたし
何にも考えていなかった。

それは
どうしてだろうと思い返した時、
あの頃は大切なものなんて私にはなかったんだと
思い出した。
その通った職場は居心地がなぜか良かったな。
それは誰の事も好きじゃなかったし
誰の事もどうでもいいとおもえる場所だったから

ストレスなんてあるようでなかった。

だって、どうでもいいから。

誰が悲しがっても怒っても笑っても 
気にもならない。


大切な人の居ない世界、大事にしたい物がない世界
大事にされる事のない世界は
楽なんだよな、
と、思い返しながら
夕方の秋の風の心地よさを感じながら
当時も同じ風の雰囲気だった事を思い出す。

いつからだろう、こんなに身軽じゃなくなり
身体から全てが重くなったのは。笑

愛する物、守りたい物の多い世界は
幸せの反対側に
きっと疲れている。そんな心がある。

どうでもよくない世界で生きるのは
こんなに大変なんだと
気付かされる。

我が子は可愛い。
けど可愛いから嬉しくてオムツをかえるんじゃない。
可愛いくて仕方ないと思いながらイヤイヤ期やり抜く人はどれくらいいるだろう。
可愛いくて仕方ないと思いながら反抗期をやり抜く人は
どれくらいいるだろう。

きっと愛する事と引き換えに、
色んな事を受け止めて受け入れて
やりたくない事を愛にかえて生きている。

だから、たまに、ふと、
自分のやりたい事、やりたくない事を漠然と
考えても分からなくなる。

愛する世界、守りたい物が沢山ある世界は

幸せの反対側に自分という愛する人を
見失いそうになる。

あの時、自転車で駆け抜けた坂道。

大切な物がない空っぽな自分。

ずっと何かを探していた。

だけど、大人になった今探しているのは、

あの頃、大切な物なんて何にもなかった
身軽で気楽で空っぽなのに強気で今だけを
生きていた自分。

あの時の私を忘れないで。と
そんな気持ちが湧いてくる。

中年の夏の終わりに
大津通りで大昔に落とした忘れ物を
久しぶりに拾ったような
そんな気がした。


久しぶり。空っぽで何者にもなれない、ならない私。

いい加減で適当で、暖かくて大雑把で
大半の事がどーでもよかった面白い私。

そんな私はスペシャルに最高だった私。



愛する世界の中で愛に溢れた世界の中で
愛のない自分もたまには飼っておこう。

御守りのように。


これは私の大切な宝物なんだ。と

いい加減だった私と仲直りした時。