良性の腫瘍切除→4年半後に悪性転移で突如ステージ4、
希少がん患う45歳ママ、緩和ケア宣告でも「泣いてるだけじゃダメ」と思う理由
良性の腫瘍を切除して安心していたのに…4年半後に肺や上半身に悪性転移が見つかり、「希少がん扱い」のステージ4と診断された。病院でも初めての症例だという一児のママ(45)。現在、がんは子宮にも転移し、治療する術がないため、痛みを和らげる「緩和ケア」に移行している。幼い息子と夫との残りの生活を大切に過ごしながら、今思うこととは。
■治療方法は確立されておらず
現在、小学6年生の息子がいる。最初に体に異変があったのは39歳の時で、2019年5月。人間ドックのエコーで左脇あたりに「何かある」と言われ、大きい病院への紹介を受けた。
見つかったのは、7センチほどの膵臓の腫瘍。しかし、一般的な膵がんとは異なり、診断名は「充実性偽乳頭状腫瘍(solid pseudopapillary neoplasm、略してSPN)」だった。膵腫瘍の1〜2%程度を占める稀な腫瘍で、20~30代の女性に多いという。低悪性度の腫瘍で、転移する前に切除すれば治癒するケースがほとんど。私が通っている病院でも、これまでにSPNと診断された患者は手術後、全員が無再発で生存中だというデータもあった。
私の腫瘍は、開腹手術後の病理検査で良性だった。「良性で安心していたんです。その後も半年に1回、検査に行って4年ほど何の影もなかったんですが…」。半年後の2023年、突如、肺と上半身への悪性転移が認められ、希少がん扱いで、ステージ4と診断された。「突然の宣告で本当にショックでした。完治すると聞いていたのに、何で私なんだろうって。治療法も確立されていないみたいで、不安で何も手につかなくて。息子もまだまだ母親が必要な年齢で・・・」。
病院内でも今回のケースは初めてで、緊急のカンファレンスが開かれた。2回目の開腹手術後、膵がんに効果を示すとされる抗がん剤「ゲムシタビン」と、腫瘍に針を刺して通電することでがん細胞を死滅させる「ラジオ波焼灼療法」を行うことになった。
■小学6年の息子にも宣告
吐き気と熱に襲われる日々。歩くとよろけて、息が切れるようになった。それでも治療の効果は得られず、2024年には肝臓への転移も見つかり、今年11月には子宮と骨盤にがんが転移し、治療する術がなく、緩和ケアを提案された。
一番つらかったのは、夫と息子に状況を伝えた時だ。小学6年の息子は涙を流しながら「ママ…あとどれくらい生きられるの?大丈夫?」と聞いてきた。「たまらず、私も泣けてきました。家族3人でただただ、泣くしかできなかったです。」
宣告を受けてからというもの、夜も眠れず、泣いてばかりいた。しかし、次第に「このままじゃダメだ。時間がもったいない」と思うようになった。息子にも「ママも病気と闘うのを頑張るから、あっくん(息子の愛称)も学校でいろんなことを頑張ってね。」と少し明るく振舞えるようになった。がんの痛みも強くなり、最近は医療用麻薬を使って痛みをコントロールしている。そんな中でも、何気ない家族3人の団らんを楽しく過ごすようにしている。
■ブログに掲載した理由
お医者さんは最善を尽くしてくれているのは理解しています。一方で、治療法がなかったのが悔しくて、死にきれないと思って。何とかSPNという病気を多くの人に知ってもらって、研究が進んで治療法が確立されてほしいんです。
実は後日、私と同様の症例が、同じ病院内で見つかったという。「20代の若い女性だと聞いています。私の事例がどうか、同じ病気になった人、これからなってしまう人の役に立てればと思います。」