とある日。

道を歩いていると、小鳥のさえずりが聞こえてくる。

それは素晴らしくリズミカルで、

遠くまで届く声。

会話をしているようにも聞こえるし、

歌を歌っているようにも聞こえる。


いつもと違う珍しい鳴き方を鳥が披露したならば、私たちは思わずあれ?いつもと違う!と感動したり驚いたり不思議に思ったりする。


ちょっとここで質問。歌を歌ったり、ピアノを弾いたりしている人をみたら音楽をしているなあと思うだろう。


しかしあなたは、小鳥の鳴き声を聞いた時、

あぁ、小鳥、音楽しているなあと思うだろうか。



私はそう思っている。


基本、この世界に咲いたひとつひとつの音はどれも音楽になり得ると思っている。


だからこそひとつ疑問がある。


もし五線譜の上で、という制限をかければ

休符は存在するだろう。


しかし、この地球上、発生しているすべての音を把握できるとしたら、休符は存在するのだろうか?




そしてすぐ五線譜の世界に戻る。


歌や管楽器の場合、基本休符がなければ息継ぎの問題が生じる。

感動を生む音楽という面では、休符は不可欠だと思う。



休符さえ音楽だ。



五線譜上では音楽でないものは無いのだろう。

ト音記号も、クレッシェンド記号も。

吹奏楽の方たちや、

歌手の方は

メモも含めて。

音楽を作り得るすべてのもの。


五線譜上では音楽になれないものは無い。


五線譜の外でも、

音楽の世界を出ても、

その要素は音楽になり得る。


だから、音楽ってすごいなあと思うのだ。


何かであるものは、その何かであるはずだが、

何かで無いものは、その何かでは無いはずだ。

けれど、音楽の世界では、

音を出していなくても、休符として音楽になる。



音楽が大昔から多くの人に親しまれてきた理由をそこに感じる。


私もそんな音楽に魅了されている人間だ。


小鳥のさえずりから、あらためて

音楽に想いを馳せる私であった。




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