第ニ章:日本の氣が変わってきた。減っていくことは、終わりではない。
増やすことに疲れた私たちへ。こちらは「神々が整える未来」全3章のうちの【第2章】です。人口減少や高齢化、年金制度の揺らぎといった社会の変化を「衰退」ではなく、神々の采配による「整え」と捉える視点を綴ります。★この章の後半では、「日本の氣が変わってきた」と私が感じた出来事についても触れています。昨日(2025/06/10)雨音の中でふと受け取ったその感覚は、今の日本の変化と静かに重なっていました。ぜひ最後まで、ゆっくりと読んでいただけたら嬉しいです。かつて、人口が増えることは「国の力」だと信じられてきました。子どもが多いことは希望とされ、高度経済成長を支えたのは、まぎれもなく「増える」という勢いでした。けれど今、すべてが変わってきています。・生まれる子どもは年々減り・高齢者の割合は過去最高に・年金制度も崩れつつあり・働く世代の不安は尽きないそんな現実の中で、「このままでは日本が終わる」と心配されている方もおられます。でも私は、そうは思いません。むしろこれは、「終わり」ではなく、「整えなおす」ための時間なのではないか。神々が、この国の形をもう一度整えてくださっているのではないか、、と。◇ 増えすぎたものは、やがて静かに整えられる自然の摂理には、必ず「バランス」があります。雨が降りすぎれば、風が吹いて乾かす。陽が照りすぎれば、雲がかかって遮る。咲き乱れた花も、やがて静かに散ってゆく。人の世界も同じです。私たちはこれまで、あまりにも「増やす」ことに偏ってきたのかもしれません。・人口・経済・物・情報・欲望・評価その結果、心が追いつかなくなり、社会の仕組みそのものが、もう支えきれなくなってきた。だからこそ今、神々はそっと手を入れて、「静かに整えてくださっている」ように思うのです。◇ 日本の人口は、本来それほど多くなかったここで少し、日本の人口の歴史を振り返ってみます。つまり、、人口が1億人を超えたのは、ここ70年ほどの出来事にすぎません。それ以前、日本はずっと、3,000万人前後で循環的に暮らしていた国だったのです。もしかすると、「減っていくこと」は「終わり」ではなく、『本来の姿に戻るだけ』なのかもしれません。◇ 減ることは、悲しいことではない人口が減ると、すぐに「人手不足」「国の衰退」と言われます。でも本当にそうでしょうか?人口が減るということは・余白が生まれるということ・騒がしさが和らぐということ・無駄に競わなくてよくなるということ・自然との距離が近づくということ・暮らしが、静けさと丁寧さを取り戻すということ。「多ければ幸せ」という幻想が解けていく時代に、私たちは立っています。「足りない」ではなく、「ちょうどいい」「成長」ではなく、「調和」「拡大」ではなく、「還る」そんな風に価値観を整えなおすことが、本当の意味での“豊かさ”につながっていくのではないでしょうか。◇ 年金制度は、「終わる」のではなく、「譲る」年金制度が揺らいでいます。払っても返ってこない不安。高齢者が増え、若者が減る構造的限界。でも、それもまた「終わり」ではなく、、『今の形を、手放してゆく時』なのだと私は思います。・国にすべてを任せるのではなく・自分の暮らしを、自分で整える・年齢に関係なく、できる形で働き続ける・支え合いは、制度よりも人のつながりで生まれるそうした『身の丈に合った支え合い』へと、神々はそっと道筋を整えてくださっているのかもしれません。◇ 神々は、「減ること」を通して、本質へと導いているもし今の時代が「神々の整え」であるとするならば、私たちはこの流れに抗う必要はありません。そして、昨日は一日中、大雨でした。雨音を聞きながら、私はふと感じとったのです。「日本の氣が、変わってきた」空気の層が入れ替わるように、目に見えない何かが動き始めている。6月23日頃、何かが起きる。そんな気配を感じました。日本は、神の国です。これはただの言葉ではなく、自然のすべてに神々が宿っているということ。そして今、この国は目覚めようとしています。静かに、大きな変化が訪れようとしています。それは、すべての人に見えるものではないかもしれません。けれど、感じ取れる人には、はっきりとわかるはずです。「減る」ことを怖がらずに、「減る」ことの中にある「知恵」と「静けさ」に耳を澄ませる。そして、数やスピードよりも、深さ・丁寧さ・つながりを大切にする暮らしへと還っていく。それは、日本という国の原点自然と共に生き、神と共に歩む『祈りの国』としての姿に、もう一度戻るということなのかもしれません。◇ 最後に増え続けることに疲れた私たちへ、神々がそっと届けてくださった「整えの風」。それが「人口減少」という形で現れているのなら、私たちはもう、無理に増やさなくてもいい。がんばりすぎなくてもいい。減ることの中に、本当の豊かさがある。減ることの先に、『祈りと調和の国』がある。私はそう信じています。