こんにちは。
今回、参議院選挙の期日前投票を済ませたあと
役所の近くにある池上本門寺へ足を運びました。
これまでにも一人で、また家族と訪れたことのある場所。
今回で三度目になります。
でも今日は、「しっかり寺院巡りとして向き合ってみよう」と思い
これまで見ていなかった建物や細部にまで目を向けて、ゆっくり歩いてきました。
総門をくぐり、静けさの世界へ
何度目かの風景のはずなのに
不思議と「初めて向き合っている」ような気持ちになるから不思議です。
石段の上には、祈りの空気が
紫陽花がきれいでした。石段の途中からです。
石段を上り切るころには、周囲の音も心のざわつきも、すっと遠のいていきました。
風が吹き抜け、蝉の声もかすかに聞こえる。
そんな静寂の中にあるお寺の空気に、自然と背筋が伸びていくようです。
涼やかな音が響く、日蓮像のまわりで
境内の一角、日蓮聖人の像のまわりにはたくさんの風鈴が吊るされていました。
その光景がとても印象的で
しばらく立ち止まって見上げていました。
風が吹くたび、チリンチリンと涼やかな音が鳴り響き
まるで祈りの声のようにも感じられて。
静かに立つ日蓮像と、揺れる風鈴。
その対比がとても美しく、心に残る場面でした。
本堂と多宝塔、堂々たる祈りの建築
本堂では手を合わせ
しばし静かに過ごしました。
堂々たる造りの中に
人々の祈りが積み重なっているような空気がありました。
その近くに立つ多宝塔もまた
色彩と形が美しく
一つひとつの建築がそれ自体で“祈る姿”のようでした。
墓塔の前で感じたこと
今回は、奥まった場所にある墓塔にも足を運びました。
多くの人が静かに眠る場所。
手を合わせることが
願いというより「敬意」に近いように感じられました。
神社とは異なるしっとりとした空気。
ここには人が還る静けさと
祈る人を包む温かさがあるように思います。
神社と寺院、それぞれの良さ
私は以前から神社にもよく足を運びます。
開放感があって、空に向かって願いや希望を放つような感覚があります。
一方、お寺は内に向かう祈り。
静けさの中で、心を鎮め、今の自分と向き合う場。
どちらが良いという話ではなく
そのときの自分が何を求めているか
何を信じていくのか
それが、訪れる場所を自然と導いてくれるのだと思います。
今日の池上本門寺は
「静けさと祈りに包まれる時間」が
今の私にはぴったりでした。
選挙という“社会と向き合う行為”のあとに
“内なる静けさ”に立ち返る。
そんな一日の流れも、どこか象徴的だったかもしれません。
今日も心を整える良い時間になりました。
ありがとうございました。







