アルコールに対しての自分の悩み、不安を一人で全部抱え込もうとしても無理。一人で全部解決しようなんて無理。一人が出きることなんてたかが知れてる。
「何様?俺様!」でいる間は、絶対にわからない。気付けない。自己中心的で、利己的で身勝手な自分。そのくせ「陳腐なプライドとこいつらと自分は違う!自分の方が幾らかまし❗」見たいに思って、蔑んで見てる。上から目線で見てる間は、絶対にミーティングのなかで、正直に、素直に、話なんかできない。「こんな事言ったら恥ずかしい」「こんな事言ったら変に思われるかも」何て考えは捨ててしまえ。どうせ、皆同じ穴のムジナ。気違いの集まりなんだから、自分がやって来たことや、考えてることは大概皆通ってきてる。
アル中に重いも軽いもない。相場何年とかもそんなに関係ないんじゃないかな。一回「アルコール依存症」のレッテル張られたら僕らは死ぬまでアル中なんだよ。きっと。一杯飲んだら、漏れなく連続飲酒に入る。そして、精神病院出戻り!ありがちなパターンだよ。
僕は「仲間」って言葉が素直に受け入れられなくて嫌いだった。一歩会場の外に出たら、どこの誰かも分からない人の事を仲間と呼ぶなんて…だけど、少しずつ同じ方向を向いて歩いている人の事を見てたら「仲間意識」が不思議と沸いてきた。そういう人達の中での分かち合いがミーティングの醍醐味。過去の汚点をさらけ出して笑い話に出きるくらい前向きな人も沢山いる。自虐ネタで。
そもそも、「酒」に手っ取り早く逃げたのは自分自身。飲んでいたつもりがいつの間にか飲まれていたのも自分。止めようと決心しても、再飲酒してしまうのも自分。酒だけが全て悪いの?そうじゃない。飲み会の席での楽しさ、酔いの感覚、未々頭に染み付いてる。楽しい思いも沢山した。飲酒運転にしても、酔ってセクハラとかにしても、自分が飲まなければそもそも起きないし、酒のせいばかりじゃなくて結局は自分の意思で飲んで、結果的にこうなった的なものばかり。未成年や妊婦には、酒に対する影響の警告は聞くけど健常者にも、もっと酒の依存性、脳へのダメージ、内蔵、精神的なダメージの警告あってもいいんじゃないかなぁ?と思うよ。そしたら、アル中減るよ、きっと。