この病気になって無くしたもの…先ず、「健康❗」
こればかりは、取り戻すことができない。肝硬変になって、脳も萎縮し始め、日常生活には不便は感じないものの、末梢神経の方が旨く繋がっていないらしく、たまに痺れたり、強張ったりする。
入院した時間、お金、失った周りからの信頼。これらも、欠けがえの無い物の様に思えるけど、時間は、命が助かったので、そのものは取り戻せなくても、これからの少し先の未来へ向けて、又、家族、有人と思い出を作ればいい。お金も地道に働いて、取り戻せるものは取り戻していけばいい。信頼も、時間がかかるかもしれないけど、飲まない自分の姿を見せ続けることで少しずつ、幾らかでも、認めてもらえたら其れでいい。
「命あっての物種だ。」 そもそも、あのまま飲み続けていたら、確実に、狂っていたか、死んでいた可能性の方が高かったのだから。
飲んでいた頃と比較したら、飲み代として消えていたお金も使わないし
(多分)時間も有効活用できるし、それなりに仕事への意欲もある。
だからと云って、「酒に一切の未練もないか」と聞かれたら二つ返事で「はい!」と迄は中々言えないかもしれない。
よく、AAのミーティングテーマでこのテーマが出ると「何もかも酒に溺れた自分のせいで無くして、残るのは自分の命位の物」と答える人がいるけど、幸い、仕事も家族も命も僕の場合は残っている。
逆にこの病気になって気づいたもの、貰った物の方が、もしかしたら多いかもしれない。
それは、有り難み、困っているときは、一人で悩み、ストレスを抱え込まないこと、誰かに助けを求めても恥ずかしくないこと、人の話はよく聞くこと、無理をしないこと、焦らないこと、自分が出来ないものは出来ないとはっきり言うこと。
自分みたいな凡人にできる事なんてたかが知れている。天狗にならない事、出来るだけ正直になる事。自分の気持ちを相手に言葉でしっかり伝えることができる様になる事。
等、良く良く考えたらそれほど難しいことじゃないのかもしれない。でも、少し前までは、そのほぼ全てができなかった。
不必要な見栄、意地のせいで。やってるつもりではいたけど、実際はできていなかった。
もしかしたら、無くしたものって僕の場合はそれほど重大なものは余りなかったのかもしれない。
これからも謙虚さと周りへの感謝の気持ちを忘れずに小さな気付きを見つけていこう……