岡崎歴史探究班 @ 岡崎市

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歴史ロマンで三河地方を盛り上げる!!〜岡崎市、豊田市、安城市〜
歴史、史跡、神社仏閣を訪ね歩く【岡崎歴史探究班】です

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北野廃寺(きたのはいじ)@ 岡崎市北野町
【持統天皇と大友皇子を辿る旅】【徳川家・松平家を巡る旅】



巨大なミステリーが眠る【北野廃寺(きたのはいじ)】・・・

【北野廃寺】は飛鳥時代に建てられた寺院跡です




もともと、
私たち【歴史クラブ】の始まりは
市議の原田さんから

「【北野廃寺】と【持統天皇】【大友皇子】の
関係性を調べて欲しい」


そんな、ご依頼から始まりました
私たちの出発点とも言える場所です

この【北野廃寺】

国・県指定文化財
の登録文化財




法隆寺の五重塔と
同じ規模のものがあったと推測され、

出土品には、ここと正倉院でしか
見ることができないものがあり、

持統天皇が来たと言うことが
わかっているのに
なぜ、その目的と内容は
記録に残されていないのか
。。。。

なぜ、これだけの寺院が
【廃寺】となったのか
。。。。

簡単には書ききれないほどの
多くの謎が眠っています







ここの場所も、遠くから見て

「すごい所だ」

ひと目で、そうわかるところ

あちこちウロウロしてみると、
塔の上から
誰かが

じっ・・・・

と、南のほうを眺めています


ひたすらに、ひたすらに、

全身の神経を集中させ
瞬きするのも
忘れる程の
忘れる程の
必死さで
南に向き合っています

「あっちは、大友天神社がある方向だね」

班長がすかさず、Googleで場所を捉えます


普段は宮司さんがいらっしゃらない神社です。近くにある【玉泉寺】でも、大友皇子の詳しい伝説を聞くことができます。




大友天神社は、
【大友皇子】を祀った神社ではありますが
その神社より、少しずれた場所に
大友皇子が住んでいたといわれる、

【丸藪の館跡】

も残されています



東大友町公民館前にある 【丸藪の館跡】


【丸藪の館跡】ちかくには、御陵跡もあります。以前はタテ2mヨコ10mあったそうですが、区画整理で非常に小さい史跡となりました。

「行ってみよう」

と言うことで、神社と館跡、
両方へ行ってみることになりました

着いてみると、
神社では何も感じませんでしたが
その後、
館跡の前に来ると。。。。

あぁ、なるほど・・・・

痛いほどの意識が
ここをめがけ
飛んで来るのがわかります
ものすごく大きな、意識です

。。。。

それは、紛れもなく

【北野廃寺】

のある、方角から

。。。。。。

「そうかぁ、おもしろいなぁ」

思わず、班長も唸ります

1400年の時を超えて
彼らは何を
訴えようとしているのでしょうか

そうでなくても、
班長が、
面白い推理を次々と
披露してくれるので
面白くて
しかたない私ですが~

今後の展開が
楽しみです~✨✨

(^人^)うしし・・・






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~歴史ロマンで三河を盛り上げる~【 岡崎歴史探求班 】

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◉法蔵寺(ほうぞうじ)その参/font>@ 岡崎市本宿町
【持統天皇と大友皇子を辿る旅】【徳川家・松平家を巡る旅】


酒を前にして、鬼が泣く・・・


前日、本宿町の【法蔵寺(ほうぞうじ)】にて

【夏目次郎左エ門(なつめじろうざえもん)】
【鳥居四郎左エ門(とりいしろうざえもん)】


という武将のお墓をみつけました



もともと、
松平家徳川家に仕える家柄ではありましたが
三河一向一揆では、家康軍と敵対し
家康に刃を向けた武将たちです

一揆に敗れ、捕まり、
普通ならば処刑される場面で、
その能力や武力を家康にかわれ
再び家康の配下に戻されることに

そこが家康のスゴいところ

自分に歯向かった者を、殺さず、逆に
味方に取り入れ
さらに、その才能を生かすのです

生かされたほうはどうなるのか、というと
そんな家康の恩赦に対し、
今まで以上の働きをみせることになります


そのように、
人を生かして使う戦術の積み重ねこそが
天下をとるという結果を生み出したのでしょう
三方ヶ原の戦い(みかた
結果
家康は、大敗した【がはらのたたかい)】にて
両名に命を救われることになります

夏目・鳥居 両名がとった行動は、自殺行為そのものでした

自分たちの命をもって、家康を逃すのです

この両名は
非常にマイナーな武将ではありますが
歴史好きの間では、
非常にファンの多い武将たちでもあります



私たち、
歴史クラブの班長も
そのうちのひとり
【夏目次郎左エ門】
の大ファン

お墓があると報告すると

「それじゃ、お酒をもってお参りに行こう!」

というご提案が・・・

班長と、両名の話で盛り上がった時点ですでに
私もふたりの気配に気がつき

(自分の話をしているとわかると、あの世から
聞きにくることが多い)

涙が溢れたので
自分はあまりしらないけれど、

「これは、ぜひ・・・」

とばかりに
班長のご提案に賛成しました

お寺へ行く途中のコンビニで
おいしそうな日本酒を購入

すでに、喜ばれているのがわかります

(早く来い、早く来てくれ)

そう手招いています

お墓の前で、持ってきたお線香をあげ、
用意してきた家康の肖像画や、日光東照宮や、
家康の甲冑、お墓の写真などを見せました

班長の目をとおし、彼らがそれらの写真を眺めて
いるのがわかります

班長がコップにお酒をついで並べると
非常に感慨深げです。。。

お酒の呑めない私まで
お酒の匂いが、とてもおいしそうに感じます

すると、
【鳥居四郎左エ門】が私たちにこう訴えるのです

自分たちと一緒に葬られている
【三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)】で
戦死した仲間たちにも、声をかけてやってくれ、
彼らの働きを、崇めてやってくれ、と・・・・


その場所には、夏目・鳥居 両名とともに
【三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)】で
亡くなった武将のお墓18基が、
名も無いまま、ずらりと
横一列に並べられています
どれも、ひざ下ほどの、
小さな小さな、お墓ばかりです



えええええーーーーーっ・・・




感動・・・・・




この場においても
自分たちのことより、
人のことを思いやるの・・・



いったい、どういうひとたちなの・・・




もうしばらく、その場にいたかったのですが
帰る時間もあったので、
帰り支度をし、最後にもう一度手を合わせてから
その場をあとにしようとすると


うううっ・・・・



たまらず、私の両目から涙が込み上げます




(帰らないでくれ

帰らないでくれ・・・・)



強く、後ろ髪をひかれます


泣きながら後ろを振り返ると
大勢の武将たちが
こちらを、じっと、
みつめているのがわりました


あまりにも、涙が込み上げるので
狭い石段を、転げ落ちそうです
・・・・・



(もっと、話してくれ

もっと、話していってくれ)

と・・・・・





「ううう・・・・すみません・・・

なんせ、主婦なもんで

帰らなくちゃいけないんです・・・

子どもも、迎えに行かなきゃ

ならないもんで・・・」


「また、ゆっくりくるから~笑」


班長も、明るく言い聞かせています




この班長なら、

たとえ、私の都合がつかなくても、

ひとりでも、

行きたくなったら、行くことでしょう



楽しみに、待っていてほしいと思います




もちろん


私もまた、


逢いに行きます












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~歴史ロマンで三河を盛り上げる~【 岡崎歴史探求班 】

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◉法蔵寺(ほうぞうじ)その弐@ 岡崎市本宿町
【持統天皇と大友皇子を辿る旅】【徳川家・松平家を巡る旅】


        落ち着いた佇まいの法蔵寺

えっ?! う◯ちを漏らしながら、家康が逃げた戦!?

こちらのお寺には、
家康の父や妹、長女のお墓があるのですが
名前がないお墓も
同じ敷地内にたくさん並んでいます。
そのなかでしっかりと、
お名前がわかるお墓に出会いました。

そのお墓の主は

【夏目次郎左エ門】
【鳥居四郎左エ門】




        夏目次郎左エ門は、夏目漱石のご先祖


この両名は、家康を守るため
戦で、自ら家康の身代わりとなり
討ち死にした、大変力のある武将たち

その戦とは【武田信玄】と浜松で戦った

【三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)】

家康が大敗したことで有名な合戦ですが
岡崎歴史探求班のメンバーさん曰く、

「あの2人の働きがなかったら、
家康はこの戦で死んでいただろう」


家康は馬上で脱糞しながらも
(う◯ちを漏らしながらも)
命からがら、この戦場から逃げ出しました

後に、
家康はこの経験を忘れないようにと
脱糞して逃げ出した自分の姿を
自画像として、描き残しています






【三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)】が
どれほど、悲惨な戦であり、
その中で
どれほど、勇敢な武将たちであったかということを
メンバーさんが切々と説明し始めると・・・・


あぁ・・・・
その、

お二人が、


泣いているのがみえるのです・・・


男たちの涙とは
なんと重く
清々しいのでしょうか

私の胸に迫ります・・・・



どれほどの忠誠心と勇敢さで
目に前に迫る恐怖心と
戦ってきたことでしょう


自分のために死ぬのではなく

おやかた様のために
国のために
人々のために
死んで行く




「怖い」
「苦しい」
「逃げ出したい」




そう叫ぶことは
許されない
この状況

なんという忠誠心でしょうか

いまの時代では、
出会うことがない深い想い

いくら名前が明記してあっても
どんな人物なのかを知らなければ
お墓の前を、さっさと
素通りしてしまうことでしょう

どちらのお墓も
松平家の立派なお墓とは違い
膝下までぐらいの高さの
小さな小さな
お墓です

その
小さなお墓ひとつにも
大きな歴史が詰まっている


・・・・・

次回、こちらを訪れるときは
ゆっくりと、
話を聞いてみたいと思います




     両名の正面に建つ、家康の父、広忠公のお墓




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~歴史ロマンで三河を盛り上げる~【 岡崎歴史探求班 】

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◉法蔵寺(ほうぞうじ)その壱@ 岡崎市本宿町
【持統天皇と大友皇子を辿る旅】【徳川家・松平家を巡る旅】




あの、シーボルトも参拝したお寺【法蔵寺】

日本武尊(ヤマトタケル)伝説と、
行基(ぎょうき・奈良時代の僧侶)と、
松平家・徳川家

それぞれに深い関わりがある、
非常に歴史あるお寺です。

こちらも、遠くからひと目みただけで

「格が違う」

そう、わかる場所です。



お寺の雰囲気や境内の様子が
豊田市の【松平郷】(まつだいらごう・松平家発祥の地)
に非常によく似ていて、落ち着きます。

こちらに参拝する前も、
参拝した後も、
非常に不思議なことが続きました。。。




本堂の素晴らしさは、
言葉や文章では、言い尽くせません。

ここで過ごした時間は
とても幸せな時間でした。





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~歴史ロマンで三河を盛り上げる~【 岡崎歴史探求班 】

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