ゆうゆうねこの感想ブログ

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「会計ねこ子の感想ブログ」から
ゆうゆうねこの感想ブログとなりました。
内容は、本などの感想です~~

R国がU国に戦争を仕掛けておいて、

 

そのU国抜きにA国とR国が和平案をまとめる、

というわけのわからないことが起こっています。

当然、内容はR国に有利です。

 

A国の大統領はTさん。

 

Tさんは、この和平案をU国のZ大統領が飲まないと、

一切の情報提供も軍事支援もやめる、ということのようです。

 

 

この結論はどうなるのか。

 

正義とは何か。

 

結局は「侵略した者」勝ちになるのか。

 

暴力が勝つのか、21世紀になっても。

 

 

一つ言えるのは、こんなT大統領を選んだA国民もこれから先行きが心配だということ。

U国以上の災難が自らの身に降りかかるのではないか、ということ。

 

「精神の腐敗」が、いつも大国を滅ぼしているのではないか。

 

 

 

「果てしなきスカーレット」がどうも芳しくない。らしい。

 

映画が芳しくない、という評判を聞くたびに思い起こすのが

『春を背負って』という山の映画だ。

 

これは、『剣岳・点の記』を見逃してしまったので、なんとか時間を作って映画館でみた。

んだけど、本当に、ひどかった。

最後、二人が手をつないでぐるぐる回っているところで、

笑いそうになった。

なんなんですか。

 

私は、山が嫌いではない。

でも、そんなに登山に詳しいわけではない。

いいと思っている人もいるかもしれません、ごめんなさい。

 

 

映画コムのレビューを見ると、笑えて、ちょっとストレス解消になるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「月夜よし よよしと人に つけやらは こてふににたり またすしもあらす」

692 詠み人知らず

(「月がきれいな、いい夜ですね」と告げたら「来てね」ということに似ていますね。だから、待っていないわけではないです)

 

月がきれいですね、という意味を知らずに

普通に話していた。

(夏目漱石によると「月がきれいですね」は「アイラブユー」なのだそうだ)

(この歌によるわけではないと思うが…)

そんなこと知るかい。

 

 

「月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わか身ひとつは もとの身にして」

747在原業平朝臣

詞書「五条のきさいの宮のにしのたいにすみける人にほいにはあらてものいひわたりけるを、む月のとをかあまりになむほかへかくれにける、あり所はききけれとえ物もいはて、又のとしのはるむめの花さかりに月のおもしろかりける夜、こそをこひてかのにしのたいにいきて月のかたふくまてあはらなるいたしきにふせりてよめる」

(月は、あの人のいた昔のままの月ではないのか。春もまた昔のままの春ではないのか。自分一人だけがもとのままです)

 

伊勢物語第四段に出てくる歌。

相手の女性は二条后、藤原高子だとされる。

このあと業平は、「東下り」する。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あききぬと めにはさやかに みえねとも 風のおとにそ おとろかれぬる」

169 藤原敏行

詞書「秋立つ日よめる」

(秋が来たと 目にはっきりとは見えないけれど 風の音で ハッと気づいた)

 

秋風

さやか残念だった

別れてよかった

 

 

 

「天河 あさせしら波 たどりつつ わたりはてねば あけそしにける」

177 紀友則

詞書「寛平御時、なぬかの夜うへにさふらふをのことも歌たてまつれとおほせられける時に、人にかはりてよめる」

(天の川の浅瀬を知らないので 探しているうちに 渡ることができずに朝になってしまった)

 

七夕は秋の行事 太陰暦

自分の気持ちを読んだものではない(全般的にそうだけれども)

浅瀬がなくても渡ろう←溺れちゃう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはいいのか??

 

AIの解答

「法学を勉強していないのに法学部長が任命される状況は、まずありえません。法学部長は、法学の専門知識を持ち、長年の学術的実績と指導力がある人物の中から選出されるのが一般的です。法学部の学部長は、法学者として高い評価を得ている人物が務め、法学の発展や教育の質の向上に貢献することが期待されます。 」

 

 

 

 

 

 

飛行機に例えると、

研究活動は戦闘機、教育活動は旅客機と考えられないだろうか。

 

それぞれ役割が異なるもので、優劣をつけるものではない。

 

旅客機はできるだけ多くの人を載せて、安全に目的地まで進んでいく使命を持っている。

だからこそ、高校まで「学習指導要領」があり、それに沿って進んでいく。

 

これは、もとはと言えば、コメニウスの大教授学から始まっていて、

それまでは、知識は限られた一部の人しか持てなかったのである。

一般の人は字も書けなかった。

 

多くの人を安全に目的地まで送るということ、

だからこそ聖業と言われるのに違いない。