山羊の歌(河出書房新社):コンスタンチン・ヴァーギノフ | 夜の旅と朝の夢

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【ロシア文学の深みを覗く】
第52回:『山羊の歌』
山羊の歌/河出書房新社

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生活も落ち着いてきたのでブログを再開して、【ロシア文学の深みを覗く】を続けましょう。

今回は、予定していなかった作家第二弾。コンスタンチン・ヴァーギノフの『山羊の歌』を紹介します。このブログで紹介する本としては珍しく、今年出版されたばかりの新刊本です。

作者のヴァーギノフは本書が初翻訳本らしいので、日本ではほとんど知られていないでしょう。僕も本書を手に取るまで聞いたことすらありませんでした。本書解説などによると、1899年にペテルブルクで生まれ、1934年に亡くなった詩人、小説家。著名な文学研究者であるバフチンなどとも交流があったそうです。

本書『山羊の歌』は、1927年に出版されたヴァーギノフのデビュー作。

タイトルの『山羊の歌』は、明記されていませんが、おそらく「悲劇」の意味で使われています。なぜ「山羊の歌」が「悲劇」を意味するかというと、古代ギリシアでは、悲劇のことを「山羊の歌」を意味する「トラゴーイディアー」という言葉で呼んでいたからです。

本書の舞台は、1920年代のペテルブルグ。しかし、この表現は正確ではありません。なぜなら、ペテルブルグは1914年にペトログラードに名を変え、さらに1924年にはレニングラードと呼ばれるようになっていたから。

『ペテルブルグなんて、終わったのさ、俺の夢なんて(P7)』

『今やペテルブルグはない。あるのはレニングラード、ただそのレニングラードもわれわれの関知するところじゃない――著者は棺桶を作るのが仕事でもあっても、揺り籃作りの職人じゃない(P8)』

以前紹介したベールイの都市小説『ペテルブルグ』では、ペテルブルグがまさに縦横無尽に描かれていました。そこでは、ペテルブルグは、現実の都市を超えた魔都、祝祭が未来永劫続いてゆく何かでした。

本書『山羊の歌』も、ペテルブルグを描いた祝祭的な小説になりえたでしょう。いや、実際祝祭的なところがあります。でもそれは祝祭の残滓でしかないのではあるまいか。ペテルブルグは既にないのだから。祝祭を行うべき場所が既にないのだから。祝祭を行うべき場所がないとは、何たる悲劇か。

ストーリーを紹介するのは難しい。本書では、特定の主人公はいません。あくまでも「主人公たち」と複数形で呼ばれています。

類い稀な学識を惜しげもなく人々と分かち合うテプチョールキン、詩を書き続ける名もなき詩人、敬愛する詩人に関するものを集め、それらから詩人を再構築しようとするミーシャ、キッチュなものを集め、キッチュを西欧で初めて分析しようとするコースチャなど、主人公たちは、文化的・芸術的な行為に身を投じています。

しかし時代は流れます。文化や芸術の地位は低下する一方。そんな社会に主人公たちはどのように反抗するのか?

いや、反抗などできやしません。時代の流れは個人の力より圧倒的に強い。では、主人公たちはどこに流されるのか。もちろん底辺へ。文化も芸術もない堕落の境地へと流される。

かなり癖が強く、決して読み易い本ではありません。でも不思議と人を引きこむ力のある小説です。ということで、興味のある方は読んでみて下さい。

次回は、予定していなかった作家第三弾としてクルジジャノフスキイを紹介する予定です。