蘇りしアメージング・グレーっす
ごあいさつ
1. 田舎者の学生が無駄に株式投資の予備知識をつけようとして、株式市場や IR 、企業の動向なんかを観察したり、バーチャ株で一喜一憂したりするだけの、内容がきわめて薄いブログです。
2. 周囲の意見に流され、勘違いが多く、数字の意味もいまいち理解できていません。書いていくうちに理解できていけばいいなぁ。今のところ多くが憶測だけど。
3. 学生の本分は忘れ気味。困ったもんだ。

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(091012)

ってことを書いてたりしましたが、今となっては過去の話。現在はセルフtwitter旅の記録まとめブログにしてます。
 
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地理院地図上のBRT

このまとめ記事のコメントを読んで。

 

「国土地理院にBRTの地図記号を~」的なコメントがあったので、現状どのような描かれ方がされているのか見てみようと思った。

 

BRTって

BusをRapidにTransitする、の略称。

有名 (主観) なのは東日本大震災の被災がきっかけで鉄道から転換した気仙沼線・大船渡線あたりなんだろうけど、それ以外にも存在していた。

また、この記事を読んで初めて知ったが、専用道がなくてもBRTには含まれるパターンがあるようだ。

右折レーンの右側にある直進レーンで有名な名古屋の基幹バスとか。

ただ、こちらは料金体系や車両などで差別化を図っている部分が多そうなので、とりあえず触れないでおく。

やっぱりBRTといえば専用道、というイメージが強いので (主観) 。

 

ということで、上記Wikipedia記事に載っている専用道持ちのBRTを地理院地図上で眺めてみる。

偶然だろうけど、ゆとりーとラインを除外すると 岩手・宮城・福島・茨城 と、都道府県レベルではエリアが固まっている。

 

大船渡線

[このあたり]

道路の種別は「庭園路」で、「大船渡線BRT」との注記がある。

「庭園路」は一般の車両が通行できない道路なので、バス専用になっている現状とは合っている (上から目線) 。

右下の鉄道アイコンあたりにかつて大船渡駅があったが、この地図からは読み取れない。

また、BRT化後は盛-大船渡間に2つの停留所が新設されているが、それもこの画像からは読み取れない。

拡大しても、Googleマップのように停留所が表示されることもない。

 

気仙沼線

[このあたり]

大船渡線と同じ。

画像中央付近からちょっと右下にある鉄道アイコンのところには不動の沢駅があったが、やっぱりこの地図からはわからない。

 

白棚線

Wikipediaを読んで初めて知ったシリーズその1。はくほうせん。読めない。

福島県の白河市から浜通り側の棚倉町を結んでいた鉄道路線の代行バスが発端。

国鉄というか省線時代で鉄路としては消えていたんだね。すごい古株。

以上、Wikipedia知識でお送りしました。

 

で、描かれ方はというと。

バス専用道路。

あまりにも古すぎるからなのか、固有路線名は消えてしまっていた。

ただ、道路の描かれ方は大船渡線/気仙沼線同様の庭園路。

鉄道アイコンのあたりには番沢駅という駅があったそうだ。よく場所がわかるなぁ。

……そうか、跡地にバス停があるのか……。

 

かしてつバス

[このあたり]

 

Wikipediaを読んで初めて知ったシリーズその2。

こちらは2007年の廃線なので、上記の白棚線よりは新しい。

茨城県の石岡市から鉾田市までを結んでいたそう。

国鉄/JRではなく、私鉄である鹿島鉄道の廃線跡を使用しているそうだ。

大船渡線気仙沼線と数年しか変わらないが、こちらも「バス専用道路」になっている。

石岡駅を出てすぐのカーブを過ぎるとしばらく直線。線形がいいね。

鉄道アイコン付近は東田中駅があった場所。ストビューによると今は屋根付きのバス停があるようだ。

入り口の手すりがかつての駅の名残っぽさがある気がする。改札口のような。

 

ひたちBRT

[このあたり]

Wikipediaを読んで初めて知ったシリーズファイナル。日立電鉄線の廃線跡を使用している。

廃線は2005年なので、上記の鹿島鉄道とだいたい同じ時期になる。

ただ開通は2013年と、かしてつバスより3年ほど後らしい。

鉄道路線は日立市と隣の常陸大宮市を結んでいたが、BRT化後は日立市内だけになっている。

描かれ方は前述2路線と同じ。

鉄道アイコン付近には大沼駅があった。

ストビューで跡地を見ると駐車場しかなくて ??? と思ったが、

奥に乗り場があるようだ。

 

ゆとりーとライン

[このあたり]

唯一、中部地方に存在しているBRT。

ゆとりーとラインはゆとりーとラインという乗り物であって、BRTとは違うのかと思っていたが……。

しかし、確かに高架区間は専用道路だ。

その描かれ方はというと。

線を引かずとも一目でわかる。もろ鉄道。

路面電車よりも線が太い (参考: 豊鉄市内線) から、やっぱり鉄道。

……無軌条気動車……? いやでもガイドはあるのか。いやしかしレールではない。

うーん、謎。

ちなみに、高架区間は単線/複線が表記されないようなので、全線高架のゆとりーとラインはどちらなのか謎。

(高架+単線: 城北線、高架+複線: 名鉄名古屋本線)

まあ、上下線あるから複線でいいんだろうけど。

 

ちなみに、高架と道路の接続部は他のBRTと同等に庭園路。勝手に入ってはいけない道。

 

"町"は「まち」か「ちょう」か、どちらが多い? ざっくり平成の大合併前編

調査の発端となったのは以下の記事。

“町”は「まち」か「ちょう」か…調査して分かった東日本・西日本での傾向 境界線らしき川が長野にあった | 東海テレビNEWS (魚拓)

 

自治体の名前で「○○町」とあったとき、その読み方が「○○まち」と「○○ちょう」でどちらが多いかを47都道府県分調査している。

調査結果としては、記事タイトルの通り東日本と西日本で傾向が分かれており

  • 東日本では「まち」多め
  • 西日本では「ちょう」多め

となっていた。

 

しかし、平成の大合併では多くの町が合併し、消滅や名称変更が発生していた。なので、ここでは多くの町が存在していた平成の大合併前だとどんな結果になる?というのを調べたいと思う。

いつからの合併が平成の大合併? というのも曖昧な感じではあるが、ここでは2000年以降を平成の大合併として扱うことにする。なので、以降の図は全て1999年までの市町村で集計したものになる。

いきなり結論

先述の記事同様に色分けしたのが以下の図。

 

赤: 「ちょう」全て / 桃: 「ちょう」多め / 青: 「まち」全て / 水: 「まち」多め

※地図描画にはこちらを使わせていただきました。以降の地図も同じ。

 

全体的な分布の傾向は大きく変わらないものの、以下の変化が見られた。

  • 「まち」と「ちょう」の割合が逆転したのは宮城県だけ
    • 「ちょう」多め→「まち」多めになった
  • 「まち」か「ちょう」のどちらかに統一されたのは、広島県徳島県長崎県大分県
    • 上記の図でどちらかが「多め」となっていて、冒頭の記事内ではどちらかが「全て」となったもの
  • 「まち」と「ちょう」両方の読み方が出現するようになったのは、秋田県石川県熊本県
    • 上記の図でどちらかが「全て」となっていて、冒頭の記事内ではどちらかが「多め」となったもの

 

どうしたんだ宮城県! 逆転されているぞ!!

唯一、平成の大合併前後で「まち」「ちょう」の数が逆転した宮城県。

平成の大合併前、「まち」「ちょう」の分布は下図左のようになっており、大合併後は右のようになった (赤: 「ちょう」、青: 「まち」、白: 市または村) 。

県北部の細々とした「ちょう」たちが、軒並み合併で消えていることがわかった (大崎/栗原/登米/石巻あたりがでかそう) 。
一方で、県南部の「まち」たちは存続している様子が見て取れる。
このような動きがあったことから、「まち」「ちょう」逆転が起きたようだ。

 

謎の飛び地・東北太平洋側と九州北部

北海道はまあ、全国各地からの開拓者が来てたから置いといて……。

 

東日本は「まち」が優勢な中、岩手県と大合併前の宮城県は「ちょう」が多数派となっており、西日本では「ちょう」が優勢な中、福岡県、大分県、熊本県では「まち」が多数派となっている。

「まち」「ちょう」の読み方がバラバラな理由は専門家にとっても「難問」らしいが、上記の宮城県地図 (合併前) を見ると、なんとなく北側に「ちょう」が多く見える。
北側は「ちょう」が優勢な岩手県。こちらの地図を見てみると…… (塗り分けは宮城同様)

意外と市や村が多くまだらではあるが、中部から南部にかけて赤 =「ちょう」が多いように見える。
果たして、岩手県中部~宮城県北部にかけて何があったのか……。

 

一方、「まち」が多めな九州北部。まとめて地図にすると以下のようになった (離島は一部省略) 。

縮尺や方角がバラバラな県ごとの地図を無理やりくっつけたのでいびつだが、鹿児島の圧倒的「ちょう」率と宮崎-大分 (と熊本少し) 間の「ちょう」「まち」のせめぎ合いが見て取れる。
全然傾向がわからない。霧島山+阿蘇山+九州山地+宗太郎越え?

 

一方で、福岡-佐賀/長崎間の「ちょう」「まち」比率はグラデーションぽく見える。

 

ミラクルワールド九州は謎がいっぱい。

 

「そん」って……?

東日本、いや関西以東では存在を知る機会も少ない (たぶん) が、「〇〇村」と書いて「〇〇むら」ではなく「〇〇そん」と呼ぶ自治体も存在している。
こちらも上記の「ちょう」「まち」分布と同様に、大合併前の数で色分けしてみた。

 

赤: 「むら」全て / 桃: 「むら」多め / 青: 「そん」全て / 水: 「そん」多め / 白: 「〇〇村」自体存在しない

 

先述の「読み方がバラバラな理由〜」でリンクした先の記事には大合併後の「むら」「そん」分布図があるが、それと比較すると「〇〇村」自体が消えつつあることがわかる。

 

上記の地図では兵庫県と香川県だけだったが、大合併後は栃木県、静岡県、石川県、福井県、滋賀県、三重県、広島県、山口県、愛媛県、佐賀県、長崎県と、全都道府県のおおよそ1/4を占める一大勢力になってしまっている。

 

鹿児島県についてはなんと「むら」「そん」同数という奇跡が起きているが、大合併前は「むら」が多数派となっていた (「むら」5に対して「そん」4) 。
現在は「むら」2と「そん」2、で同数となっている。

 

逆転が起きたのは?

圧倒的「むら」率の関西以東はもう盤石だろうから、今さら逆転は起きえないだろう。
新たに村ができることもないだろうから、「村消滅県」も置いておく。
鹿児島県もどうなったかはもう見たので、置いておく。

ということで、「そん」が存在する地域では数の逆転が起きたのか? 確認しておこう。

 

県名 大合併前の多数派 大合併後の多数派 判定
鳥取県 そん そん 変化なし (合併前後、全て「そん」)
岡山県 そん そん 変化なし (合併前後、全て「そん」)
徳島県 そん そん 変化なし (合併前後、全て「そん」)
高知県 むら むら 変化なし (全て「むら」になった!)
大分県 むら むら 変化なし (全て「むら」になった!)
熊本県 むら むら 変化なし (全て「むら」になった!)
宮崎県 そん そん 変化なし (合併前後、全て「そん」)
沖縄県 そん そん 変化なし (合併前後、全て「そん」)

 

多数派の変化はなかったものの、「むら」「そん」両方ありながらも「むら」が優勢だった県については、「そん」が消滅してしまったことがわかった。
「そん」は高知3 (「むら」は16)、大分1 (同10) 、熊本2 (同18)だけしかなかったので、絶滅 (!) するのも時間の問題だった、という感じか。

 

 

まとめると、現在「むら」「そん」の混合があるのは鹿児島県だけになり、その他の都道府県は「むら」だけ / 「そん」だけ / 村自体がない、の3勢力に分かれてしまっている、ということが判明した。

 

まとめ

  • 東日本は「まち」「むら」
  • 西日本は「ちょう」「そん」
  • でも合併で大体「市」になっていった

 

おまけ

せっかくまとめデータを集計用にcsvで作ったので、コードじゃないけどGitHubに置くことにしました。使い道はわかりません。

データ間違ってたら直してくれると嬉しいです。

192agur2/LoJMP: List of Japanese Municipalities' Pronunciation (around 2000) - 日本の市町村の読み方一覧 (2000年ごろ)

 

ついに! 株主総会初陣の旅

記事作成: 2023/02/11


目的/動機

株主総会なるものに行ってみたかったので。

 

日程

15: 塩尻-(?)-東京のどこか この記事

16: 東京のどこか-(?)-国会議事堂前-(東京メトロ丸の内線)-新宿-(中央本線)-塩尻 この記事

 

移動手段

覚えていないけど金券ショップあたりで安い券でも買ったのだろう/鉄道

 
過去に散々勝手極まる株式ネタ記事を書いておいて今更だが、この年の前年に初めてリアル株式を購入していた。
とは言っても単元で10万もしないようなところだけど。
そして、株主となって初めて株主総会の招待状が送られてきた。しかも社会人に優しい日曜開催。
これは行ってみるしかないでしょうと、一路東京へ向かった。
 
そんな株主総会の前日、土曜日。
せっかくの東京なので、東京にしかないものを見ることにした。
 
向かったのは、上野の国立科学博物館。

 
とりあえず外観。
 
中は、なぜか骨格標本ばかり撮影していた。
 
この人は動くギミックがあったような。
 
しかしひたすら骨、骨、骨。
何が自分を骨撮影に駆り立てたのか、今となってはなんの記憶もない。
展示物を見るのに忙しくなっていったのだろうか。
 
この日はこれでおしまい。東京で1泊。
 
翌日、ついに株主総会へ。
会場はホテルオークラ。縁がなさすぎてビビる。

 
ちなみに出席した総会はこちらの会社のもの。
株主総会の前、通期の決算発表の時だったかその後だったかは忘れたが、MBOを発表していた。
総会の質疑ではその件についての質問も出ていた。
ただ、質問が出たからといって方針が変わるわけでもなく、普通に回答されて終わっていた。
 
このMBOの買い付け発表のお陰で、一応1万円くらいはプラスになりました (税引前) 。
しかし買ってたのは1単元だけなので、大儲けにはならない。
 
総会のメインイベントである報告と決議が終わった後は、立食パーティー……と言うほどではないが、そんな場が設けられていた。
しかし他の出席者はプロ揃いだったらしく、用意されたメシ (海苔巻きなんかが出ていた気がする) はあっという間になくなった。
なので、あまり多くはありつけず……。
 
これにてイベントは終了。お土産をもらって退場。
ちなみに、ストビューを見るとこの建物は立て替えられている様子。
 
↓2013/6

 
↓2022/9

綺麗なビルになってますなぁ。
 
あとは近くに首相官邸と国会議事堂があったので、近くを通過。
 
丸の内線の国会議事堂前駅から
多分新宿に出て、
と書いてあることからあずさに乗って帰ったようだ。
 
帰宅してお土産開封。
会場にもなったホテルオークラのおいしいスティックケーキでした。
 
 
……で、この記事を書いたところで改めてシンプレクスHDを調べてみると、いつの間に再上場していたのね……。
 
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