左目の手術は無事に終了。眼球に手術器具を入れるということに恐怖を感じていましたが、実際に経験してみると麻酔科が上手に全身麻酔をかけてくれたためむしろ気持ちの良い時間を過ごしてあっという間に終了しました。手術後も毎日両目に3本ずつの注射という拷問のような治療を受けたが、その甲斐あって徐々に視力、病変は改善しました。ただ真菌症は時間がかかる病気で、当初2、3週間の治療で移植まで行けると言われていましたが、結果3ヶ月の点滴と眼内注射を要しました。その間、大腸菌による肺炎, クロストリジウム大腸炎など合併症を起こし、その度に全身状態は落ち込みましたがなんとか持ち直すことができました。
また、1度目の化学療法で心機能低下し、心エコーでEF25%, large pericardial effusion ,moderate effusion指摘されたため、pericardial windowの手術を10月終わりに受けました。Pericardial window(心膜開窓術)は自分でも何度も執刀経験のある心臓外科では最も簡単な手術の一つですが、患者としての経験は術者としての経験と大きく違い、患者様が手術前にどれだけ不安になるかということを身を持って知ることができました。手術後心機能は徐々に回復し、EF55%, no effusion, no MRとなりました。

11月に入り、血液検査で真菌の値(Fungitell) が50から300に上昇していると言われ、また体重減少が続くので外来でもう少し元気をつけてから移植しようという話になりました。

11月下旬にようやく一旦退院に至った。思いがけず緊急入院から5ヶ月も立っていました。入院後期には感情も平坦化し、何事にも涙が流れなくなっていました。

Social Workerの方からAmerican Cancer Society(ACS)の運営するHope Lodgeが無料で癌患者を迎え入れてくれるという情報をいただき、そこにお世話になることになりました。マンハッタンのど真ん中に位置し、ホテルなら1泊400-500ドルはするであろうという立派な施設ですが、ボランティア運営されているということでアメリカの懐の深さを感じた瞬間でした。
9月に入り骨髄移植の計画がたてられた直後に眼内真菌症が見つかりました。敗血症でICUに入っていた時に視力低下を認め眼科受診しましたが、その際眼底所見は出血病変のみで、落ち着いたら自然に薄くなっていくという話でした。ところが、数週間後のフォローで新たに真菌病変が指摘されてしまいました。眼内真菌症は教科書では写真などを見ますが、眼科医でもなかなかお目にかからない病状のようで治療方針も暫く定まらず、他院へのコンサルトなどを経て抗真菌薬3剤の点滴および眼内直接注射の方針となりました。誰でも容易に想像できると思いますが、眼内注射の痛み、精神的な苦痛は大きなものでした。

目の治療に暫く時間がかかりそうだし、目が落ち着くまで移植はできないという状況の中で、日本に帰国して治療したら良いのではないかという話がでました。家族も一緒に暮らせるし、保険の心配もなくなり、経済的にも助かる、親戚の手助けもあるし、なにより食事がおいしい。
姉や友人を通じて、白血病、眼科ともに強い病院を探してもらいました。この時、多くの友人が迅速に情報を集めて送ってくれて非常に感謝しました。長らく連絡すら取っていなかった友人が私のために病院に電話して受け入れをお願いしてくれていると聞き、自分が良い友人をもったことを嬉しく思いました。
最後まで帰国か残留かで迷いましたが、
1. 日本では保険の関係で抗真菌薬1剤しかつかえないが、アメリカでは抗真菌薬3剤同時に使える。アメリカの方が使える薬が多い。
2. 現時点でアメリカの病院の治療を信頼している。
3. 帰国して血液内科も一流、眼科も一流という病院を探すのは難しい。
などの理由で、アメリカに残って治療を続ける事に決めました。

その後確定診断のために左目の硝子体手術を受けることになりました。
化学療法後の骨髄穿刺の結果、白血病は完全寛解であるという嬉しい報告をもらいました。また、唯一の兄弟である姉のHLAを調べたところperfect matching(10/10)であることがわかり、未来に微かな光が見え始めました。聞くところによれば、兄弟間でのマッチングの可能性は25%ということで、一人しか兄弟のいない私がperfect matching したというのは幸運なことでした。

8月には職場からの給料も停止となり、病院から1時間ちょっと離れた借家を維持することは難しくなり、3人の子供を帰国させることとなしました。日本に返すと言っても一度に3人も見れるほどの余裕はどこにもなく、1人ずつバラバラに親戚に見ていただくこととなりました。そして妻は私と米国に残り、看病をしてくれることになりました。

化学療法後に行った頭部MRIにて白血病疑いの病変が認められ、脊髄液は陰性だったものの頭部放射線治療を行うということになりました。閉所恐怖症である私は繰り返されるMRIに悩まされましたが、鎮静剤を使い何とか乗り越えました。
そして、9月に入ると待ちに待った移植の話が浮上しました。順調にいけば9月終わりには移植を行うということで、日程表を渡され希望に胸を膨らませていました。